『幻想王国 〜ルン王国復興記〜』





  第1章 『開闢!』












  ようよう自分が自分でない……まったく《ほかのもの》として生を受けたのだという理解が身についたのは、物心がつく五歳のころ。
  エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、野分ハルミという子供として目を覚ました。
  遊び場にしていた近所の神社で、ヒーローごっこのさなか頭を打ったのがきっかけだったらしい。そのへんの記憶は微妙に飛んでいる。ただ頭をしたたかに打った痛みだけが、苦痛として記憶に刻み付けられている。
  そうして、目を覚ましたとき。
  板張りの天井を見上げたまま、彼がまずはじめに『所望』したのは、チャイ(ミルクティ)であったという。


  「はぁ?」


  野分リツコ(23)は、ぼさぼさの頭をかき回して、ほとんど尽きかけたタバコを灰皿に押し付けた。短いスカートで足は組むなっていうのに。


  「チャイって、ああ、ミルクティね。どこでそんな洒落た言葉覚えてきたの」
  「あったかいチャイが飲みたい」
  「あったかいのって、あんたたしか猫舌でしょ? どうしたのよ急に。…打ち所が悪かったのかしら」手を伸ばして、彼の額にふくれたコブを指先でつついてくる。
  「いたい」


  じゃまなので、腕をふって打ち払う。しょせん五歳児の抵抗など、母親にかかっては仔犬のいやいやと同じぐらいの防御力しかない。


  「あったかくて甘々のチャイが飲みたい」
  「あんたが食べたがるだろうと思ってスーパーでプリン買ってきたんだけど」
  「…じゃ、プリンの後でいい」


  ハルミはずっと母親と二人暮しだった。父親は彼が生まれる前に「違う花に飛んで行ってしまった」らしい。ま、彼にとって父親というのはどうでもいい存在だった。彼の世界は、そのほとんどが母親によって構成されていた。
  プリンは好きである。布団から這い出して食器入れに取り付いたハルミは、小さな専用スプーンを取り出して、ちゃぶ台でプリンを食べだした。彼が非常にお行儀よくプリンを食べだしたのを見て、リツコは


  「ほんと、あんたどうしちゃったわけよ」と顔を覗き込むようにした。
  「じろじろ見ないでよ」
  「なんだか急に大人ぶっちゃってさ〜」


  リツコは昼間はずっと家にいて、彼の世話をそこはかとなく焼きながら、夕食のあと仕事に出かけていく。夜のお仕事というわけだ。
  少し前の彼ならば分からなかったことも、今の彼にはうすうす察せられる。《目が覚めた》一瞬にして、彼には大いなる知識と理解力が舞い降りていた。
  プリンを食したのち、彼は母親への要請をすっかりあきらめて、台所をあさり始めた。そうして賞味期限切れ間近の紙パックの紅茶を発見し、おもむろにチャイを作り始めた。紅茶がパックのものしかないため、変則的な作り方を試みる。まず鍋でお湯を沸かして紅茶パックを投入すると、砂糖をこれでもかと大匙三杯、そして煮出されるのが止まったと見るやパックを捨て去り、冷蔵庫から取り出した牛乳をばあっと盛大に投入する。隠し味に、冷蔵庫の片隅にあったチューブのしょうがを指で一つまみ入れる。煮立たせる直前で火を止めて、完成〜!


  「えっ? これなに」
  「チャイ」


  リツコの専用コップにチャイを注いで渡しながら、自分はもう飲み始めている。たしかに猫舌の彼だが、こう熱いチャイを、ふうふう言いながら飲むのがよいのだ、と美味に目を細める。


  「あっ、おいし!」


  甘いもの好きのリツコが気に入らないはずもなく。世帯主の満面の笑みが野分家の狭いリビングを明るくした。
  五歳の子供相手に、率直にソンケーの念を抱けるのが彼女のたくさんある美点のひとつだろう。牛乳が加熱処理してない本物のミルクだったらもっとおいしく作れるのだが、ないものねだりをしても仕方がない。そのうちにちゃんと作ってあげようと心に決める。


  「それじゃあ、晩ゴハンもハルくんに作ってもらおうかしら」


  普通なら子供目線のジョークかとスルーするところだろうが、彼女はこういうとき意外と本気であったりする。生来のめんどくさがりで、特に料理関係、あと片付け関係が死ぬほど嫌いなのだ。たぶん子供の初めての料理が生煮え・コゲコゲの悲惨な出来になったとしても、彼女はけっして自分で料理しなおすということはすまい。自分で作るぐらいならと、文句たらたらと平らげてみせるに違いない。


  「それは親の使命」
  「そんなシメイなんてムツカシイ言葉、リッちゃん知らない」
  「……へぇ」


  料理の一つや二つ、プロの調理人が青くなるようなものが作れないことはなかったが、ここでそれをやってしまうと無精母リツコがこれからずっと何もやらなくなってしまうのだろう。いけない、いけない。母親を堕落させると火の粉が自分の頭の上に降ってくるに違いない。


  「じゃ、ハルちゃん料理…」
  「…イクジホウキだね」
  「……はぅ」


  リツコはぐでっと床に転がって、意味もなくごろごろした。不満を表明しているのだろうか。
  ま、食器のあと片付けや、洗濯物の取り込み、お使いぐらいは使われてやらないでない。暇なときは、という条件付だけど。
  エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリク……野分ハルミ(5)は、転生を完了した。






  その日、事実上王国は開闢した。
  国王エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、年号を遍世と定めた。
  西暦二〇一五年、ルン年号に照らせば遍世元年、春のことである。






  ***






  さて、これからどうしたものか。
  大いなる悩みは、ハルミを鬱々とさせた。
  窓辺で腕組みして考え込む幼稚園児は非常に珍しかったのだろう。いつも子供にオモチャにされている心配性のサヨコ先生が、熱があるのではないかと騒ぎ出した。
  《ハレノキ幼稚園》は、今現在ハルミの社会性のかなり大きな部分を占めている。昨日までの自分が相当なやんちゃ坊主であったことは分かっている。いま流行りのヒーロー物、忍術戦隊シュリケンジャーのリーダー赤井琢磨が彼のオキニであり、必殺技火龍バズーカが炸裂するたびに泣き出す園児が量産されたものだった。


  「熱は……ないわね」


  額に手を当てて訳知り顔に診断を下した保育士に、ハルミはちらりと生暖かいまなざしを向けた。幼稚園児だって、悩むことはあるのだ。いまはひとりにしておいてほしいと目に意思を込めてみたのだが、何を勘違いしたのかサヨコ先生ははっと眼を見開いて、ゆでたカニのように顔を真っ赤にした。


  「いま、ケイベツされたかも…」


  あながち的外れでもない感想を述べて、サヨコ先生は傷付いたふうによよよっと職員室に逃げていった。いつもいじめられているうちに、幼稚園児程度でも人をバカにすることがあることを知っているのだろう。
  とりあえず自分のまわりに静寂が訪れて、彼は物思いに沈んだ。


  (ともかくまずは手元不如意が痛いな……なんとかするにしても、この歳じゃどうにもなんないしなぁ)


  彼はまだ、たったひとりの新生ルン王国の民だった。
  エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクはルン国王であり、彼のまわりには優秀な側近たちと護衛兵、国家の運営スタッフが参集し、国を切り回していた。
  常ならば。
  しかし、彼は《国たがえ》を行った。
  もともと基盤のあったルンの王土を離れたのだ。ここにはまだ何もなかった。


  (まずは、ぼくがここにいることを知らしめなければ、みなが集まるのに困る。そのためにはまず目印になるような烽火を上げるしかないけど。新聞に広告でも打ってみようか……いやそれも結局おカネがいることだし……やっぱり、いまは最優先でおカネを作らないとなんともなんないな…)


  さて、どうやって金を稼いだらよいだろう?
  幼稚園児にバイトができるわけもなく、わずかな現金収入は大人の気まぐれで与えられるお小遣い程度である。それが彼の全収入である。推定年収、一万円程度。
  ムリだ。まごうかたなき厳しい状況は、彼に数十年前の『国難』を思い出させた。
  当時めぼしい産業とてなかった山岳の小国に、ひどい旱魃が訪れたのだ。多くの国民が飢えに苦しみ、体力の落ちた子供たちがただ風邪をこじらせたというだけで次々に命を落とした。国民は王宮に救いを求めたが、そのころルンの王室も非常に貧しく、先祖伝来の宝物を処分しても十分な医療物資を手に入れることができなかった。
  これではダメだ、と彼は思ったのだ。当時ビセルガ王であった彼は、周囲の反対を押し切って資金をかき集め、乾坤一擲の大胆な投資でみごと国を富ませることに成功した。


  (あのときはホント苦労したんだよね)


  お金のまったくなかった王宮じゅうの金目のものをかき集めて、最初の『元手』を作ったとき、妃や側近たちが泣き崩れて大変だった。これで国がつぶれる、大いなる義務を放棄するとは何事だと、いつもは彼を敬っていたものたちまで非難の大合唱をしたのだ。彼らを黙らせるには、計画を見事成功させるしかなかった!
  いまは、あのときよりもさらにおカネがない。経済とはおカネ(資本)をどれだけ効率よく回転させるかだということを彼は知悉していた。元手が少なければ少ないほど、スタート時点での苦労は何層倍化する。


  「は〜る〜くん!」
  「一緒にお遊びしましょ!」


  この歳でできた友達なのだから、『幼馴染み』というやつになるのだろう。ハルミの暮らすアパートの大家の娘、世話焼きでおしゃべりしだしたら止まらない藤倉マナミと、不動産屋を営む町内会長の娘、くせの強い赤毛と勝気な目で気弱な子供をよく泣かせる八神レナである。
  たいてい幼少期というのは、わんぱく小僧がモテるものである。無邪気な三角関係は、少女同士の引っ掻き合いという前振りを経て、「どっちと遊ぶの!」というあまりうれしくない二者択一をハルミに迫った。
  いまはそれどころじゃないんだけどなあとぼやきつつも、ハルミは第三の選択肢を偶然にも得て、それをチョイスした。


  「シュリケンジャーごっこしようぜ!」


  ごっこ遊びなら、赤井琢磨役は誰にも譲れない。当然のように現われた「自称赤井琢磨」が二人も現われて、もも組の教室はそのとき戦いの場と化した。
  すわ我こそはと飛び出したハルミは、隙だらけの幼児キックをはじき返すと、ライバルの一人を睨みつけた。諏訪リョウジは彼が《親友》とみなす実力者である。ふたりの争いで敗れたほうが青山涼の役に甘んじる。
  他の園児など相手にならないような鋭いキックがわき腹を襲うが、ハルミは巧みな足裁きでなんなくそれをかわすと、足首を捉えてリョウジをひっくり返してやった。


  「うわっ」
  「じゃ、ぼくが赤井ね」


  反撃がこないように足首を固めたまま、リョウジをけん制しつつ宣言する。もともとごっこ遊びをするのが目的であるから、役争いは早々に終了する。


  「あ〜っ、ハルくんはマナミと新婚ごっこするんだから!」
  「シュリケンジャーなんてやめましょ!」


  外野の声など耳に入らないふりをして、外へ飛び出していく。男子たちが、その後に続いて次々と外に飛び出した。
  こんなことしてる場合じゃないんだけどな〜とか思いながらも、野分ハルミたる部分の奥底で燃え上がる情熱の炎を消し去ることはできない。ま、ひと仕事してから考えよう、とハルミは刹那に身をゆだねた。






  そうだ、とりあえずフリーマーケットだ。
  唐突にそんなことを思いついたのは、マナミのウソ泣きにだまされて砂場の隅でおままごとを始めたときだった。ピクニックシートの上にオモチャのお皿やコップを並べ始めたとき。ハルミの着想が天から舞い降りた。
  とりあえず処分するようなものは、家を探せば結構出てくるだろう。それを売っておカネを作ればいいのだ。むろん年齢など問われない。
  こうしてはいられないと、いまにも駆け出しそうになったハルミの手を、マナミがむんずと掴んで放さない。目で「放してよ」と訴えてみるが、返されたまなざしで「あたしを捨てる気なの!」と訴え返されて、脱力する。


  「ふりーまーけっと?」
  「公園でやる《お店ごっこ》だよ」


  ごっこ、という言葉に主婦役のマナミが食いつき、娘役のレナがイベントのにおいに敏感に反応した。ふたりにしがみつかれて脱出に窮している彼を見て、滑り台からすべりおりてきたリョウジが手を上げた。


  「あっ、それ! こんしゅうの日曜日にあるやつだろ!」


  妙な展開になってきた。
  販売後の収益を運用することも頭にあるハルミにとって、無思慮な幼児の頭数が増えるのはあまりよろしくなかった。どうせ儲かった資金を、「アイスが欲しい」とか「あのぬいぐるみ買って〜」とか、建設的ではないほうに散財させられるのが目に見えている。
  なんとか話の流れを変えようとあれこれと思案するうちに、いやまてよ、と思い返す。人というのはおおいに使い回してこそ力を発揮するものだ。野分ハルミというちっぽけな子供ひとりにどれだけの可能性があるというのか。むしろこの四人で動いたほうが、なにかと選択肢が増えるに違いない。


  「…そういえば、リョウちゃんちはスーパーやってるよね」


  諏訪リョウジは商店街のスーパー「諏訪マート」の息子である。そのバックヤードにうずたかく積みあがっているであろうキズモノ、半端モノ、賞味期限切れ間近品などなど、まさに金のなる木である。
  八神レナの家にも、死蔵されているお歳暮関係のものが大量に隠されているかもしれない。そうだ、藤倉マナミは料理自慢だから、クッキーとか焼いてもらえば「幼児の作ったかわいいクッキー」的な空気で数が出るかもしれない。うん、これはこれでいけそうだ。


  「じゃ、みんなでやる?」
  「うん! やるやる!」


  三人が唱和した。






  その日、国王エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクの陣頭指揮により、王国は経済復興プログラムに着手した。
  西暦二〇一五年、四月一一日。計画実行日は、四月一五日(日)と定められた。









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