『奇跡の星』





  第一話 『国家開闢』












  銀河の果てに、ひっそりと国が打ち建てられた。
  偶然に発見された地球型惑星に、入植した人々は総勢で30万人。彼らを乗せた10隻の移民船の船腹には、母なる星地球で《極東》と呼ばれる弧状列島に本拠を置く巨大複合企業の名があったという。




  《inspire the future “HETACHI”》




  移民船はヘタチ重工業製のH‐10。
  定員10万人タイプの巨大船で、巡航速度は民生としては最高水準、静穏性、住環境は豪華客船にも比肩する準特急クラス、いかなる危険にも堪え得るとされる軍用高張力合金製の船殻強度、巡洋艦クラスの重武装は生半な海賊さえも寄せ付けない。ヘタチ重工の技術の粋を集めて作られた最新鋭の豪華移民船であった。






  「出発の時は、まさかこれだけの社員が手を上げるとは思ってもみませんでしたが」


  人類文明圏の《外洋》を目指して10年にも及ぶ航海の末、暗黒星雲と乱流の渦巻く名もない難所を乗り越えた彼らは、ひとつの美しい可住惑星を発見した。


  「星の名前は《ヘタチ》に決まったそうですね」
  「愛社精神の発露と思いたいところですが、おそらく『そうあることが当たり前』とでも思われているのでしょう。本社のあった都市も、税収比率の関係で《ヘタチ》でしたから」
  「もうちょっと愛らしい名前でもよかったのですが…」
  「《きらりん☆プラネット》とかやめてくださいよ。あれCEOの案でしょ。耳にしただけで萎えますから、それよりは百倍はましというものです」
  「あれは……ネタだったのに……というより、なんでわたしの案だと分かったのです?」


  ぷうっと頬を膨らませたのは、少女だった。
  大衡リィネ(18)は、地表暦20世紀に彼の企業を創業した大衡リョウヘイの血を継いでいるが、もともと経営の本流にある本家筋の者ではなかった。
  モノがあふれ、資本家と労働者、上層と下層の境があいまいになった生産力過剰の時代。労働に対する意欲は人類の中から急速に失われ、経営者もまた《富める》ことへの執着をなくしつつある星間文明時代。ヘタチを支配してきた大衡家宗家は、経営責任者としての労を厭わない者を一族のなかで求めた。
  そうして手を上げたたった一人の人物。
  経歴は人類文明の最高学府とされる連合中央大学を主席で、それも歴代最年少の7歳で卒業、その後『遊学』と称して人類文明圏の諸星系に広がったヘタチ営業拠点を見聞して回ったという。
  優秀であるが、実績は皆無。
  ただ競争者が現れなかった現実が、彼女を巨大複合企業ヘタチの総帥へと押し上げることとなった。
  新たな星系を発見するたびに人類は豊富な資源を獲得し、巨大化した企業群が全自動プラントから安価な商品を吐き出した。瞬く間にモノはあふれ、人は物欲を減退させた。売れるのはもっぱら使ったらすぐになくなる消費財ばかり。家電製品などの耐久財は、その性能があまりに高まり熟成されたことで、『まだ充分に使える』と製品の買い替えが滞るようになっていた。
  ヘタチは、かろうじて営業利益は確保していたものの、製造王国としての存亡の危機に瀕していたのだった。




  『モノ作りの原点に回帰しよう』




  総帥の座についた大衡リィネは、所信表明として新事業部の立ち上げを宣言した。
  《回帰事業部》……ヘタチ全従業員100万人から自薦によってのみ募られた10万人が、その新事業部に召集された。前代未聞の巨大事業部はその家族を帯同して、《新事業拠点》を目指して旅立った。
  そんなにも他部署から人材を引き抜いて大丈夫なのか? 第三者の視点的には、それはひどく危うい行動に映っていたようで、連日星間ニュースがヘタチの暴挙を追いまわしていたが、どれだけ忍耐力のあるメディアも、三年も旅に同行したあたりで『益なし』と脱落していった。
  ヘタチ既存事業部のほうはどうなったかというと、まったく影響らしい影響もなく。全自動プラントの保守、整備、そして資材調達と営業活動さえ怠らなければこれらの事業は充分に維持できたのだった。


  「たぶん10万人が50万人になってたとしても、たぶんヘタチはつぶれなかったと思うのです」


  自動化がどれだけ進んでも、雇用維持を連合政府から求められるものだから、基本ヒトは余っていたのだ。
  ヘタチ総帥大衡リィネは、自ら移民船のひとつに座乗して、《移動する本社》から全傘下企業を掌握していた。高額な4D通信(時空波通信)を使えば、どんな遠方にあろうとも瞬時に情報のやり取りが可能であった。
  ヘタチ《回帰事業部》の旅は10年で終わりを迎えた。
  人類文明圏の最外縁、人類がほかの知的生命と接触して初めてその存在を知った《六帝族》のテリトリーの間近、暗黒星雲の途方もない質量とガスの乱流によって公海上の《難所》と呼ばれたサルガッソ宙域を、ヘタチ重工製移民船《H‐10》は、その巨大な推力と強靭な船殻によって乗り越えた。
  危険の中に身を投じたことによって、ヘタチ社員とその家族30万人は、暗黒物質の帳に隠された美しい第二の故郷、太陽と同規模の恒星日向(ヒュウガ)の周りをめぐる三つの惑星の中に《ヘタチ》を発見したのだった。






  惑星《ヘタチ》
  地表の90%が海水に覆われた青い水の惑星。
  散在する無数の島嶼の中で、唯一大陸と認識される広い陸地に降着した移民船団は、30万人の人間たちを吐き出した。
  おびただしい数の汎用工作プラントが引き出され、建築用の資材が量産されるのと平行して、数百台に及ぶ自動重機が移民船の周囲、半径10キロに及ぶ平原を瞬く間に整地した。
  首都、ヘタチ市。
  星間文明にまで発達した人類文明の開発力は、たったひと月でそこに人口30万人の近代都市を現出させた。文明生活を送るための最低限のインフラが整ったとき、総帥大衡リィネはこの地にヘタチ本社屋を建設すると宣言した。
  もともとの本社は地球の弧状列島に存在していたが、大衡リィネが移民船とともに航海に出た後はその座乗船に本社機能を帯同させたため、この地ヘタチに根を下ろしたからには、ここに本社を設置するのも自然の流れと言えた。


  「地上300階建てって、何人本社社員がいると思ってるのですか」
  「いやぁ、しかしお嬢…いえ、CEO。天下のヘタチの本社屋が凡百の高さでいいわけがありません! 幸い高高度建築ユニットも積んできたことですし、いっそのこと1000階建てだって」
  「高さ3000m超えてるのです。雨季の雷雲が直撃してくる高さでお仕事なんて真っ平なのですが。あなたがた重役連で最上階を有効活用するならOKです。わたしは地表に低いのを作って使うのです」
  「いえ、そんな。お嬢……CEOを差し置いて最上階をいただくなど…」


  なんとかと煙は高く昇るというやつである。そんなおバカ提案をする上席執行役員のひとり松浪ケンゴ(59)は、事務方を統括する役員である。数字に強い有能な人物だが、それ以上に先代CEO大衡ショウイチロウへの敬慕が強すぎてリィネにはいささか暑苦しい腹心であるといえた。


  「あなたはわたしの所信表明挨拶を聞いていなかったのですか? わたしたちはここへなにをしに来たのですか?」
  「そ、それは分かっておりますが…」
  「ヘタチの未来のために、この《回帰事業部》はいまだかつてなかった新しい価値観による《付加価値》の高い商品を生み出すことが求められているのです。新しい土地で、新しい生活を始める……無償で土地を与え、給与を支払い、自由気ままに暮らさせるかわりに、ヘタチは条件付けを行う」


  にやり、とリィネが笑むと、松浪上席執行役員は額に浮いた冷や汗をハンカチでせわしなく押さえた。


  「欲求のおもむくままに《創意》せよ。”inspire the future”(未来に新しい息吹を)なのです。文明に囲まれた便利な生活から脱却し、現代病たるルーティンワークから距離をとることで、社員たちに瑞々しい《創意》を持ってもらうこと、それが《回帰事業部》の確信テーマなのです」


  リィネが同席する者たちを静かに見回した。移民船内の役員室には、ヘタチの上級管理者たちが一堂に会している。


  「ひと月に一度、新しく生み出した産物、発明品、理論概念、それらを品評する会を開きます。わたしを《びっくり》させたり《うならせ》たりすることが社員に与えられた唯一のお仕事なのです」


  リィネの視線が、また松浪上席執行役員のところに止まる。


  「その《1000階建ての本社屋ビル》があなたの《創意》なのだとしたら、少しがっかりなのです」


  ピシッ。
  松浪上席執行役員の顔面の筋肉が硬直した。
  10年もの時をかけてこの星にまでたどり着いた少女がどれほどの決意を秘めてそこにあるのか、少し想像力があれば分かろうものである。頭の堅い同僚を哀れみの眼差しで見やったほかの役員たちも、リィネの次の言葉で身震いするような緊張感を与えられた。


  「社員の方々が苦労して作り出したいろいろなものから、《商品性》を見極め、吸い上げることがあなた方のお仕事なのです。もしも《1000階建ての本社屋ビル》を作ったほうがお仕事の能率が上がるというのでしたら、建築を許可するのです」


  その瞬間、ヘタチ本社屋超高層計画は白紙化した。
  代わりに、リィネの要望で、本社機能を持った極めて《低層》の建物がヘタチ市の中心部に建設されることとなった。


  「わたしは木と畳が好きなのです」


  ヘタチ本社は、純和風木造作り、どこぞの政財界の黒幕が住みそうな屋敷をもって当てられた。市民にも開放された広大な日本庭園の中にたたずむその新本社は、『ヘタチ屋敷』と呼ばれるようになる。






  惑星ヘタチは、こうして産声を上げた。









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