『インフリ!!』





  第10章












  「いつになったら、少尉殿をお助けするんだ!」


  ケイティは握ったこぶしを壁に打ちつけた。


  「自分が訊いてまいります!」
  「自分にも行かせてください! いまをおいて少尉殿を救出するチャンスはありません! それをみすみす逃すわけには」


  ふたりの隊員が立ち上がると、ほかの者たちも一斉に立ち上がった。旗艦の警備を任される警衛隊が持つもっとも強力な装備に身を包んだ彼女らが身動きするたびに、がしゃがしゃと騒々しい音が立った。
  臨時の警衛隊詰所のなかには殺気立った空気が満ちている。海賊艦への突入準備に入ったのは、すでに二時間前のことである。以来、艦隊司令部からはなしのつぶてである。


  「そんなことは分かっている!」


  ケイティが吼えた。
  時間を与えれば与えるほど、海賊どもは船の制御系を復旧させてしまうだろう。彼らにもキャッツランド艦隊の腹のなかに閉じ込められているという危機感はあるであろうから、防戦の準備も着々と行っているはずである。


  「モンク人どもが……どこまで祟れば気が済むんだ」


  キャッツランド第九艦隊は、いまモンク国の戦時特別大臣なる人物と、会談にのぞんでいる。元駐キャッツランド大使でもあるその人物、バーキン・ルーサは、星団世界の平和を体現する偉大な政治家というその役どころに酔ったように、終始ゆるみっぱなしの顔を同行のモンク系メディアに垂れ流していた。


  『わがモンク、そしてキャッツランド国とのあいだで、相互理解の努力が不足していたことは悲しむべき事実です。しかし遅まきながらその不足に気づいたうえは、平和のために両国民が手を携え…』


  彼らはひたすら、間が悪いといわねばならなかった。
  テーブルを囲むキャッツランド人たちに、友好的な雰囲気は微塵もなかった。ただこの会談が一瞬でも早く終らぬかと、それだけをいらいらと待ちつづけている。その場の機微に鈍感でありつづけるバーキン・ルサという人物に、外交官としての資質が十分量あるのかどうか、はなはだ疑わしいところである。


  「軍曹殿!」
  「軍曹殿!」


  普段なら恐れはばかる鬼軍曹相手に、警衛隊の面々がこうして食ってかかること自体、異常といわねばならない。部下たちのようすも張り詰めた係留索のようだが、ケイティ自身も鬼気迫る面相である。


  「全員この部屋から出るな。いいか、わたしの指示があるまで、絶対にだ!」


  ケイティが重い腰を上げた。警衛隊隊員らのこの上官に対する敬意は、主従の忠誠に近いものがある。第九艦隊旗艦カーリカーンで、ケイティ軍曹がもっとも恐れられる下士官のひとりでありえるのは、その戦闘力ばかりでなく、下級兵士たちの絶大な支持を得ているためである。


  「分かったな」


  念を押されるまでもなく、カーリカーン警衛隊は彼女の命令ならば圧壊寸前の融合炉心にさえ飛び込んでいくであろう。一堂を睥睨して、ケイティは鼻を鳴らした。煮え切らない現状に不満を抱いているのは彼女も同じことなのである。
  警衛隊で、唯一彼女の命令の埒外にある彼女自身は、詰所を出た。空気を換えるつもりで外に出たのだが、廊下のほうも状況はさして変わらない。
  詰所から身をかがめるようにして出てきた軍曹の巨躯に、廊下で来るべき時を待っていた一般の兵士たちが色めき立った。


  「軍曹殿が出てきた」
  「提督閣下に突入決行を上申なされるのですか」


  そこは船底倉庫を見下ろす作業用の通路である。船底倉庫に固定された海賊艦をぐるりととり囲むように、大勢の兵士たちが待機している。艦隊の虎の子、機甲猟兵ばかりでなく、本来肉弾戦など軽蔑して顧みもしない艦載機のパイロットや整備兵なども、慣れない小火器を抱えて海賊艦を監視している。笑えないのが、軍医や看護兵、それにコックたちまでが手に手に得物を持って繰り出していることである。数はすごいが、ものの見事に烏合の衆然とした光景である。おそらく旗艦に乗り込むほとんどの兵士がこの船底倉庫に集結しているのだろう。
  予定通りならば、艦隊の選りすぐりの猟兵たちを掻き集めて、海賊艦への強襲を行うはずであったのだが、モンクの大臣が来てしまったおかげで、作戦決行は順延となってしまった。


  「お祭りはいつになったら始まることやらね」


  部下たちとともにレーションを配って回る主計長カッツェ・ナコルが、ケイティを見つけて腕組みした。


  「提督閣下に直訴でもするのかい? どうせ会談が終るまで会っちゃもらえないよ」
  「そうだろうな」


  分かりきったことを聞くなと、ケイティがむっすりする。


  「しかし、やつら海賊どもが予定外の暴走して、やむを得ず現場判断で鎮圧に乗り出す、ということはおおいにありうるだろう。モンク人のクソ大臣など知ったことか」
  「なんだか本気の発言に聞こえるんだがね」


  カッツェは苦笑いしているが、彼女とて、事が起こるのを待ち構えている烏合の衆のひとりである。艦底倉庫は彼女らの縄張りとはいえ、カッツェ指揮下の主計隊はあらごとを処理するような人員ではない。が、レーションを配る彼女たちの装備は、許される範囲の最大級のものである。船外作業用の携帯牽引索と、宇宙ゴミ処理用の破砕銃……それらが腰に吊ったかなり大き目のショルダーバッグにおさまっている。戦闘用でないから、むろん機動性など考慮されていない。


  「だけど、予定外の暴走というのが、海賊どもにしか起こらないなんてあたしにゃとても言い切れないね。なんだい、あのばかどもは?」


  カッツェが顎で示した先には、囚われのヴィンチ少尉の肖像パネルを掲げ、やる気満々に気勢を上げる集団がある。


  《艦隊のアイドルを守れ!》
  《海賊には死を! 副官殿にはキャッツランド女の愛を!》


  まるでホロアイドルの親衛隊である。ケイティとカッツェは白々とその光景を眺めやったが、どちらもその集団の正体を察し得なかった。


  「あそこにいるのは、おまえんとこの副長なんじゃないのか?」


  ケイティの指摘に、カッツェは渋い顔をした。


  「あれはレーションを配っている最中だ。一緒にはするな」


  主計副長フーロン・メセは、部下にレーションを配らせながら、おのれは壁際に立って集団のアジ演説に耳を傾けている。彼女は艦隊内で不正疑惑が持ち上がるたびに、よくその名のあがるふだつきの不良士官であった。不正物資を艦内に運び込んでいるとの噂が多々あったが、それが言いがかりであると信じているのは本人を含めて艦隊には誰ひとりいないであろう。
  物資管理の責任者であるカッツェが、「証拠が上がり次第、宇宙にたたき出す」と宣言しているにもかかわらず、あいかわらず艦内に禁制の嗜好品が出回りつづけているのは、おそらくこの主計副長のせいであろうと予想されている。
  カッツェの視線に気づいて、フーロンは直立不動の姿勢をとった。


  「そんなことはどうでもいいんだよ。それよりもあのばかどもを抑えておかなくていいのかって聞いてるんだよ。さっきからふきあがりまくって、うるさくてかなやしない」


  カッツェがわしわしと手のなかの鞭をしぼるたびに、その視線の先にとらえられたフーロンが居心地悪そうにもじもじとした。ビン底眼鏡の主計副長が媚びるように愛想笑いしたところで、それほどかわいげがあるわけではない。


  「いっそのこと、やつらに暴発してもらうか…」


  ケイティはぼそぼそとつぶやいたが、それはしっかり主計長の耳に届いていた。 「聞こえてるんだけどね」


  「聞こえなかったことにしてくれ」


  歩き出したケイティは、兵士たちを掻き分けて、フーロン・メセの横に並んで立った。やや肥満気味のフーロンであるが、いかにその横幅を換算したところで、ケイティの巨躯には簡単に圧される。首をすくめる主計副長をつかまえて、ケイティは何事かささやいた。カッツェが否定したのにもかかわらず、警衛隊軍曹は不穏な集団の首謀者が主計副長であると決め付けているふうであった。根拠ははなはだしく不十分であったが、ケイティ軍曹の動物的な勘がそう告げているのなら、それはおそらく正しい認識なのであろう。
  カッツェは鼻を鳴らしたあと、おのれの装備が万全であるか、もう一度念入りに確認した。
  騒動が起こるのに必要なものは、ほんの少しのきっかけだけだった。そのきっかけが、いま警衛隊軍曹の手によって強引に作り出されようとしている。
  主計隊ばかりでなくほかの兵士たちも、その一触即発の空気を感じ取ったように、手に手に得物を取り上げて最終確認に入った。






  「ぼくたちにもなにかできることがあるはずだ」


  専任副官の少年は、傍らの看護兵にすがりつくように身を固くしながら、開け放たれたままのドアの向こうを行き交う海賊たちをうかがっていた。その宝石のように澄んだ琥珀色の瞳がなにを映しているのか、タンダ看護兵は激しく妄想せずにはいられなかった。
  彼女のかいなのなかに納まった、少年の存在を示す暖かさとたしかな量感。年頃の少年が発する甘い体臭が、彼女の鼓動を早めさせる。


  「ぼくたちのせいで、第九艦隊が不利益をこうむっている。なんとかここを脱出できればいいのだけど、もしもそれがかなわないことなら、そのときはみずからこの命を断ってしまう覚悟がいるね」


  いまこの至福の瞬間が、ホロカメラに収めるように永遠に取っておけたらいいのに。タンダは少年の息遣いをかいなのうちに感じ、このいとしい生き物を完全におのれの所有物にしたいと激しい焦燥に駆られた。
  いまこの瞬間、まぎれもなくこの少年を占有しているのは彼女だった。状況がそうさせているのだとしても、彼女はその甘美さをとうとう味わってしまった。
  思うさま抱きしめて、耳にかじりつきたい。なめらかなうなじに唇を這わせたい。組み敷いて頬擦りしたい。この少年に、ここにいる自分という存在をかけがえのないものとして認めさせたい。その瞳で見つめさせたい。
  少年はいま、脱出計画を考えるのに夢中になっている。たしかにいま二人に降りかかっている災難は、放っておけば致命的な結末をもたらしかねない。海賊たちの手から脱出することが彼女たちの唯一の選択肢のはずだった。
  そう思っていたのは、つい最前までのことである。
  ひとの都合というものは、時と場合によって千変万化するものである。


  「タンダさん、自決用の薬はあるのかな?」
  「あ、いえ、そんな劇薬は…」


  彼女のなかで、新たな選択肢がいくつも浮かんでいた。
  彼女がこの少年を得るためには、無事脱出などしてはいけない。むしろ海賊の交渉を成功させ、第九艦隊……いや、少年の現在の所有者である艦隊司令ニーナ・ニオール中将から、少年を引き離さなければならない。海賊が脱出を果たしてから、今度は少年を手に入れた彼女が海賊船からまんまと脱出する。それが達成すべきテーマとすると。


  (この船には海賊たちも知らない装備がいくつも追加されているから……それにあたしには切り札がある)


  彼女の右手が、バッグを引き寄せた。いままでこつこつと貯めつづけた、貴重なお宝グッズ。そして、彼女の指示で発動する手はずになっている救出劇。
  かいなのうちで身動きしようとするいとおしい生き物を、力任せに抱きすくめたい衝動を必死に抑えながら、組み上がっていた思考のパズルをいま一度ばらばらにして再構築する。この子は絶対にあたしのものにする。
  そのとき、部屋に人が入ってきた。俯いていたタンダは、それに気づくのに少し遅れた。


  「さあ、立て」


  殺気のかたまりが、こめかみをかすめたような気がした。
  黒髪の海賊が、ぴたりと少年の首筋にナイフを突きつけている。
  ナイトウォークのスベン。この海賊をタンダはそれほど嫌ってはいなかった。彼女に乱暴を振るい続けた海賊たちのなかにあって、この青年だけがつねに暴力をたしなめる側にいた。


  「出番だ。ついて来い」


  眼差しを直接に交し合っているのは専任副官の少年である。挑発を受けた少年の頬に、さっと赤味がさした。


  「おまえに命令されるいわれはない。絶対におまえたちに協力なんかしない」
  「これは命令だ。おまえの意思は関係ない。立って歩く気がないのなら、オレさまが抱っこしていってやろうか?」


  少年がすばやく立ち上がった。
  だがその動きはけして海賊の命令を受け入れたからではなく、反抗するための予備動作にほかならなかった。
  キャッツランド士官たるもの、およそひと通りの体術を身につけているのがたしなみとされている。が、看護兵であるタンダ自身そのようなスキルは持ってはいないし、あの少年の愛らしいか細い肢体に、海賊の暴力をはねのけるだけの力があるとはとうてい考えられなかった。
  だが彼女の愛する少年は、見事にその杞憂を払ってみせた。
  海賊が無造作に伸ばした手を払いのけるや、そのままふところへと飛び込んで、鋭い蹴りを放った。その素早くしなやかな攻撃はとりあえず成功しなかったものの、格闘術において少年がけして素人ではないことを証明していた。
  続けざまに放った肘打ちと、さらに踏み込んで打ち出したバックハンドは、海賊を数歩後退させた。海賊が感嘆に口笛を吹くと、少年はそれを嘲弄ととらえたか、顔を真っ赤にして息つく暇もなく攻撃を続けた。
  だがそれらの攻撃は海賊にかすりこそすれ、直接的なダメージを与えられるものではなかった。海賊がもてあそぶようにナイフを振り回すと、少年はむなしく部屋の隅へと追い込まれた。


  「さあ、一緒にきてもらおうか。カン違いするんじゃねえぞ。おまえはお客様じゃねえんだ」
  「だれがおまえのいうことなんか…!」
  「おまえはどうもオレさまが本気で攻撃してこないとたかぁくくってんじゃねえか? ああ?」


  海賊と少年はにらみ合う。
  たしかに海賊の指摘は正しいようにタンダには思えた。あの少年をわずかでも傷つけようものなら、艦隊司令ニーナ・ニオールは間違いなく逆上する。海賊の命綱ともいえる人質交渉がまともに進まなくなることは、火を見るよりも明らかだった。


  「…たしかに、それはまちがっちゃいねえ。だがな」


  海賊が目線をはずした。予期せず目が合って、タンダが息を詰めたその一瞬、


  「あっ」


  少年の声がした。
  海賊がおのれに向けてナイフを無造作に放ったのを、タンダはただ呆然と見つめていた。ナイフは彼女の耳元をかすめて、背後のベッドに突き刺さった。
  いったいあの海賊はなにをするつもりで……彼女の思考の空白を、少年の短いうめきが埋めた。彼女のほうへ注意をそらした少年の頚を打ち据えて、意識を失ったその身体を海賊が抱きとめていた。


  「ついてくるのならかまわんぞ、ネコ女」


  海賊は言い捨てて、部屋を出て行った。彼女はまんまと少年の気をそらすための道具に使われてしまったのだ。
  タンダは後を追おうとして、ふとベッドに突き刺さったままのナイフに目を留めた。これがなんの役に立つのかさしたる思い付きがあったわけではなかった。彼女はナイフを手にとり、引き抜いた。見かけ以上に重かった。


  (あの子は、あたしのなんだから)


  現実は彼女に企ての余裕を与えてくれない。だが、あの少年をおのれのものにするためには、是が非でもやり遂げねばならない。
  廊下に出ると、見張りの海賊たちがげらげらと笑い立った。足を引っ掛けられてたたらを踏んだが、彼女はわき目も振らずに少年の後を追った。






  この男は、いったいなにを喋りにきているのだろうか。
  ニーナは、本気でそんな疑問を頭に思い浮かべていた。むろん、このモンク人が、紛争の調停のためにこの艦に乗り込んできているということは分かる。だがこうした会談は政治屋の仕事であり、軍高官とはいえ前線指揮官のひとりにすぎない艦隊司令を捕まえて話し合ったところで、なにほどの意味があるだろうか。


  「…それで、大臣。あなたはわたしたちと、いかなる問題を協議しようとしておいでなのですか?」


  モンク国戦時特別大臣の長広舌が途切れるのを見計らっていたニーナが非常に初歩的な質問を発したとき、「さもあらん」とずぶの素人を弄ぶあくどい商人のようにしたり顔になったモンク人に、同席したキャッツランド人たちは儀礼的な笑みをたたえながら深刻な殺意に身を震わせた。


  「両国が遺恨を残さず歩み寄る、いまが最後にして唯一の機会であると申し上げたいのです。くだんの問題がこれほどの騒動となるとは、たしかにあなたがたキャッツランド人の文化に対してわがモンクの認識が未熟であったことが原因の一端であるにせよ、辺境星域の常識ある市民のひとりとして困惑を禁じえません。…そこで、両国が直接戦端を開いてしまう前に、ぜひともいま一度、われわれモンクの民に、交渉の機会を与えていただきたいのです」


  モンク人バーキン・ルーサは、交渉テーブルに身を乗り出すようにしてニーナを見た。
  どうして他星系の男はこうも不細工なのだろう。そんな関係のないことを少しだけ考えてから、ニーナは腕組みをほどいた。


  「いまさらなにを交渉しようというのです? すでに貴国とわが国のあいだで、幾度かの交渉がもたれたと聞いています。もはや話し合うことなど何も」
  「それがどのような交渉であったか……もういまは恨み言など申しますまい。われわれは真の意味での外交交渉を、この戦争を食い止めるための建設的な話し合いの場を求めているのです。…わがモンクと貴国とのあいだには、残念ながらすでに外交チャンネルは存在しておりません。大キャッツランド軍の英雄として名高いニーナ・ニオール中将閣下に、貴国女王陛下との折衝の仲介をしていただきたく参ったのでございます」
  「わが親愛なる女王陛下のお怒りは非常に深甚なものです。実のない言葉のみの交渉はおそらく無駄となるでしょう」


  まったく、このように実のない会談などニーナこそごめんであった。彼女は一刻も早く、彼女の身体の一部にも等しい愛する存在を海賊の手から救出しなくてはならないのだ。
  会談の打ち切りを宣言するように席を立とうとしたニーナであったが、モンク人外交官の次の一言が、彼女の身動きを止めさせた。


  「むろん、わが国といたしましても、貴国との大事な会談に及んで、手土産のひとつもないとは申しません。それで、こちらがご用意いたしましたのは…」


  モンク人が目配せすると、同行のモンク人武官が端末を操作した。すると会談室の一方の壁に映像が現れた。
  寒々とした針葉樹の森。まだ雪の名残りがある白っぽい風景のなかに、大勢のモンク人がひしめき合うようにして動いている。一様な制服を着ているところから、それが公的機関の人間たちであることが容易に想像できた。
  映像が切り替わり、人込みが大写しになる。そこに、ニーナ以下第九艦隊の面々が凍りつくような人の姿があった。
  雪解けの白に解けてしまいそうなシャムミルクの髪。夢見るようなスミレ色の瞳が、一度だけホロカメラのほうを見て、そして力尽きたようにうなだれた。
  チーニー・フェンネル。
  それはキャッツランド人なら誰もが見間違いようもなくよく見知っている人物の姿だった。モンク人たちの黒っぽい人込みの中、犯罪者のように連行されるキャッツランド人の少年は、いっそう小さく白っぽく見えた。


  「当局の必死の捜索で、ようやくかの亡命者を拘束いたしました。いまはとある施設で、十分に手厚い保護を受けています」


  映像はまだ続いている。
  チーニー・フェンネルが通り過ぎたあと、ホロカメラはもうひとつの光景を鮮明に映し出していた。それはこの公式の場に相応しいとはとても思われない、無残な映像だった。
  焼け爛れた家の残骸。
  そして、緑色のシーツに並べられた、下半身がほぼばらばらになってしまった女性の遺体だった。モンク人の個体差をあまり認知できないキャッツランド人でも、そのモンク人女性だけは非常な知名度を持っていた。
  チーニー・フェンネルが伴侶に選んだ、憎らしいほどの幸運に恵まれたモンク人女性である。


  「両国の交渉がうまくいけば、いつでもあの亡命者の引渡しには応じられます」


  おまえたちの憎悪の対象である馬鹿な女はこっちで始末してやったと、モンク人外交官の脂っこい追従の笑みが語っていた。
  ニーナは、わなわなとその身を震わせた。
  モンク人外交官は、それを凄惨な死体の映像のためだと理解した。が、それこそが彼らのキャッツランド人に対する理解の浅さの証左であった。相手のモンク人の死に対して、キャッツランド人たちの感慨はたいしたものではない。弱いから、つがいの男を奪われたのだ。分不相応の相手を得たがために、身を滅ぼした。男とつがうということは、それくらいの覚悟があってしかるべきなのだ。しかも相手の少年が女王陛下の愛人であり、キャッツランドの国民的アイドルともなれば……それも当然の末路である。
  それよりも彼女たちを動揺させたのは、チーニー・フェンネルが犯罪者のように手荒く扱われていたことに対してだった。あのチーニー・フェンネルを、何の権利があってあのように扱うのだ。彼は血を流しているようであったし、歩き方がどこか不自然で、ほかにも怪我をしている可能性が考えられた。捕らえられる際にモンク当局に乱暴狼藉を働かれたのに違いない。


  「チーニー・フェンネルの命に別状はありませんね?」
  「それはもう、確実に請合います。それでは、貴国の女王陛下と…」
  「それについては、機会を改めましてご連絡いたします。ですが、一言よろしいでしょうか?」


  はっ? というモンク人の表情が、まるで道化師のように滑稽であった。


  「あなたがたは、どうもわたしたちの尾を踏むのが得意なようですね。たとえ会談が実現したとしても、それが無条件で成功するなどとは思わないでいたほうがいい」


  ニーナが席を立つと、クオン・ニムルス、ジェダ・アーリの二人も立ち上がった。
  詰め寄って何か言いかけようとする他星系人たちに、警衛隊員たちが銃口を向けた。


  「会談はこれで終わりです。客人たちがお帰りになる。一分以内にだ」


  戦場であるといえ、これはあまりに儀礼に反する野蛮行為であった。モンク人は怒りをこらえたように口をつぐんで引き下がったが、同行のメディアやシカン人武官のほうは退艦するまで騒々しくわめきつづけた。


  「やつらはバカなのかしら?」


  ニーナのつぶやきに、ニムルスが応じた。


  「たとえどれほどの愚か者でも、チーニーさまの命をその手に握っているのは紛れもなく彼らなのです」
  「そして、あの子の命を握っているのも、バカさかげんではあまり変わらない海賊どもってわけね……わが女王陛下は、艦隊の鼻先に愛人が吊るされたら、派遣艦隊三百万将兵の命とチーニー・フェンネルの命を秤にかけて、どちらを選ぶと思う?」
  「仮定で答えてよい問いとは思われませんが」
  「公人としては、むろん三百万将兵の命と天秤にはできないといわれるでしょう。だけれど私人としてなら、たぶん一秒も迷うことなく、冥界のいやしい使い魔とだって契約書を交わすでしょうね」


  冗談を口にしているにしては、ニーナの声音が低い。
  キャッツランド女王の行動をそれほどの確信をもって言い切れるということは、おそらく同じような問題を抱えるこの第九艦隊司令官にとってもそれはいえることであるのだ。究極の選択を強いられる立場に追い込まれたならば、この艦隊司令はおのれの身以外のものすべてを差し出しても、あの副官の少年の命を購うであろう。
  ニムルスはやや暗い表情で口をつぐみ、そのうしろのジェダ・アーリは、まるで憎むべき敵をでも見るように艦隊司令の背中を凝視した。


  「…ずいぶんと時間を過ごしました。さっそくヴィンチ少尉の救出作戦に入りましょう。いまの少尉の様子は?」
  「先ほどまで監禁されていた部屋にはいないということは分かっています。…もうだいぶ隠しカメラの存在に気づかれています。電気系統は可能なかぎり分散させてありますが、それでもすでに半分以上が使用不能の状態です。おそらくわれわれの目の届かない空間を確保して、身柄を移したものと思われます」
  「モンク人どもめ……ほんとうに祟るわ」
  「『アタルゴウ』の支配下にある人工知能から、少尉殿がおられる場所はおよそ特定できています。おそらく海賊艦の艦橋です」
  「…海賊から何か働きかけはなかったの?」


  ニーナの言葉を待っていたように、ジェダ・アーリが報告を開始した。


  「一○ニ○、海賊の頭目を名乗る通信がありました。続いて一○ニ三、一○ニ七と、同様の通信が入っています。一○三○には、非常に強硬な声明が…」
  「なんでわたしに伝えなかった!」


  いきなり怒鳴りつけられた次席幕僚は、一度目をつむって怒りをやり過ごしたあと、不服さを表して当然の理を述べ立てた。


  「会談中でありましたので……他国との重要な外交交渉を中断させてまでご報告差し上げるような問題ではないと」
  「なにが重要かはわたしが決めることだ!」


  ぎりぎりと胸倉を締め上げられて、次席幕僚は青くなった。外洋航行中の艦隊司令官は、権力の大剣を振るう現代の絶対君主である。


  「閣下!」


  そのとき、警衛隊の静止を振り切るように、通信士のシャーリーがニーナたちの前に走り出た。その口から飛び出した報告は、悲鳴のように裏返った。


  「海賊が……副官殿を」






  「ずいぶんと待たせてくれるじゃないか。ニオール」


  海賊の頭目は、手のなかのハンドガンを弄びながら、ふてぶてしい笑いをカメラ越しにニーナ・ニオールに送った。


  「そろそろ退散することにした。太老の敵討ちはまた日を改めてってことでいいことにした。たしかにいまは逃げ出すので精一杯だからな」
  「分かった。だから、おまえたちの安全を保障する代わりに、その子を解放してちょうだい。その子を引き渡してさえくれたら、おまえたちがどうしようと、どこに向かって逃げていこうと、一日この場で待ってあげる。約束する」
  「あいにくと、あんたとおれたちとのあいだに、口約束で物事を進められるような信頼関係なんざこれっぽっちもねえんだ。解放は、脱出の成功が確定的になってからだ。…おっと、物騒なこたぁ考えんじゃねえぞ」


  海賊はハンドガンを、気を失ったまま椅子に座らされているエディエルの頭に押し当てた。ニーナはまなじりを吊り上げながらも、寸前で気を取り直して「なにもしない」と示すように両手を上げてみせた。


  「でも、どうやってその船を飛ばそうというの? もうおまえたちも分かっていると思うけれど、その船の操縦系は…」
  「んなこたぁ、分かってるよ」


  海賊が「やれ」と、小声で手下に指示を出した。すると、ニーナの前に並んだモニターのひとつが、海賊艦からせり出してきた円筒形の物体を捉えた。それが何かは一目瞭然であった。


  (信号弾…)


  武装として認識せずにそのまま海賊艦に放置されていた信号弾だった。百キロはあるだろうそれを船体上部に持ち上げたのは、驚くべきことに機械ではなく人力であった。海賊たちは四人がかりでゆっくりと銀色の筒を捧げ上げた。


  「こいつぁ閃光物質を拡散させるために小型弾頭を仕込んであってよ、至近なら意外と破壊力があるんだ」
  「しかし、そんなまがいものの武器でなにをしようと……だいいち制御も利かないそいつで、どうやって照準を合わせるつもりなの? …まさかわたしの想像してるとおりのことを考えているようなら、悪いことは言わないから、やめておいたほうがいいわ」
  「たぶんてめえの予想は当たってるぜ。ここはてめえの船の腹ンなかだからな、ようは常識っつうもんをぶッ切っちまやいいんだ」
  「待て!」


  海賊艦にそろそろと近付きつつあったキャッツランド兵たちは、信号弾を持ち上げた海賊たちと目が合って、泡を食ったように腰の得物に手を伸ばした。が、海賊たちの行動のほうが早かった。


  「大掃除だ! やっちまえ」


  すべてが手動操作だった。
  人の手で支えられた信号弾は、人の手によって起動ボタンを押されて、危なげな飛行を開始した。いや、それは『飛行』ですらなかった。物品移動の効率化などの目的で船底倉庫に設定されている低重力がなければ、ただ真下に落ちるばかりであっただろう。信号弾は一度バウンドして浮き上がったあたりで加速を始め、キャッツランド人を逃げ惑わせながらもよりの壁に頭から激突した。
  白熱した閃光が船底倉庫の薄暗がりを、一瞬だけ吹き払った。
  海賊が言ったとおりに、信号弾にも多少の破壊力が秘められていたらしい。視力が回復するよりもはやくに、船底倉庫の減圧が始まった。


  「空気が抜けるぞ! 船外活動服を着た者以外は早く退避しろ」


  わらわらと逃げていくキャッツランド兵たちと違って、海賊たちは最初から装備を整えている。続けざまに運び出した信号弾で、船殻の別の場所を吹き飛ばした。
  船底倉庫を、束の間の暴風が荒れ狂った。


  「海賊が固定索を切り離しています!」
  「旗艦猟兵部隊と警衛隊が突入を開始します! ご指示を」
  「待ちなさい! やつはエディを!」


  ニーナの声は裏返って、シルクを裂くような叫び声になった。
  彼女の見ている前で、船底倉庫のハッチが開き始めた。空気の奔流に押し出されるように、海賊艦が索具を紙テープのように引きずりながら動き出した。
  海賊たちのやり方は非常に周到であった。海賊たちは次々に信管をはずした信号弾を持ち出すと、今度はそれをワイヤーで船体に固定し始めた。そして、それらを同時に起動した。急造の補助推進ロケットであった。


  「エディ!」


  海賊艦が第九艦隊旗艦カーリカーンの腹から這い出したのは、それから一分も経たないあいだであった。
  海賊艦にはまだ自前の推進力がない。漂いだした海賊艦は、まるで宇宙を漂う遺棄物のようにゆるりと、しかし確実にカーリカーンの船体から離れていった。


  「エディ…」


  モニターの向こうで、取り残されたキャッツランド兵たちが狂騒に駆られて右往左往している。ニーナも彼女たちと一緒になって叫びだしたかった。モンク人の訪艦で失われた時間は、あまりにも大きかった。ニーナはこのときほんとうに取り乱していたらしく、脱兎のごとく部屋を飛び出そうとして、艦内で唯一自動化されていない執務室のドアに顔面からぶつかった。


  「この……いっつぅ」


  痛みをごまかすように顔面をごしごしとこすり上げ、腹立ち紛れにドアを蹴りつける。木製のドアであったが、存外に頑丈にできていたようで、痛みで足を抱えたのはニーナのほうであった。


  「閣下」


  ニムルスの冷静な声音に、ニーナが剣呑な眼差しを返した。


  「お忘れですか? まだやつらの艦の人工知能を支配しているのはわれわれです」
  「そんなことは分かって…」
  「提督……あれをご覧ください」


  通信士のシャーリーが、はばかるように小さな声でいった。
  モニターのひとつが海賊艦を追尾している。そしてその画像の一部が、切り取られたように拡大した。海賊艦に絡まったままの固定索の端に、小さな物体がいくつかぶら下がっている。


  「警衛隊の一部のようです……なかにおそらくケイティ軍曹も」


  脱出した海賊艦。
  それに命がけで取り付いた頼もしい部下たち。
  海賊艦の五感ともいえる人工知能を掌握しているのはアタルゴウ……ニーナの最新鋭艦、カーリカーンの人工知能である。目の前に散らかっていた事象の積み木を、ニーナは素早く組み上げていった。
  海賊たちは、この脱出劇ですっかり舞い上がっていることだろう。彼らがまだ事態の主導権を握っているつもりであったら、それこそがあの少年を取り戻す好機となるに違いない。


  「シャーリー。軍曹につながるかしら」


  大キャッツランド軍の英雄といわれるゆえんの、果断。
  ニーナ・ニオールは、これから起こることすべてを予想し受け入れたうえで、おそるべき決断を下していた。


  「公開性の高い通話になりますが…」
  「海賊艦の通信系を遮断してから、つないでちょうだい」


  それほど待つこともなく、ケイティ軍曹のせわしない呼吸音が、カーリカーンの艦橋に伝わった。警衛隊の簡易な船外服では、連続活動時間が限られている。


  「…閣下。こちらケイティ軍曹。どうぞ」
  「すみやかに艦に突入しなさい。…大丈夫、海賊どもの目はふさいでおきます」
  「どのみちこの船外服には、もって五分程度の空気しかありません。三分で潜り込んでみせます」
  「警衛隊の勇気ある隊士たちに、母なる精霊のご加護を」
  「ご期待に添いましょう。もしも副官殿を救出した暁には、ぜひお聞き届けいただきたい要望もあります。必ずや、この身命に替えましても、副官殿を連れ戻してまいりましょう! …きさまら、二分でハッチに取り付くぞ!」


  通信機の向こうで、警衛隊兵士らの意気軒昂とした声があがった。ニーナは通信を切りながら、「あの子を一晩貸せという願い以外なら聞いてあげるわ」とつぶやいた。
  ニーナは通信を終えると、そばにいた幕僚たちが青ざめるような命令を矢継ぎ早に発した。艦橋にその命令の復唱が相次いだ。


  「提督! お待ちください!」
  「もう二度とモンク人どもに邪魔はさせません。各分艦隊は、脱走した海賊艦を中心に四方に展開。こちらの行動を妨害しようとする勢力は、各艦全力をもって排除!」
  「提督!」


  ニーナは、愛人を盾にされたときに女王のとるだろう行動を予言したが、それはおそらく確実に彼女自身にもいえる予言であったのだろう。ニムルスはこのときニーナの解任を真剣に検討した。そして、躊躇した。
  危機は出来した。









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