『人類王国物語 ゴンドワナ史』





  第二話    『フォー・チュアンという名の少年』












  「誰だ、あの子供は」
  「どこの門閥の者だ? こんな化物がいるなんて噂にも聞いたことがないぞ! とんでもない力だ」
  「第一身分の者なら、われらがまったく知らないでいるはずがない……ということは、第二身分か! まさかそんなことがあっていいわけはない! 選りすぐられた第一身分の血からでなく、下賎の濁った血からあのような力を持った者が生まれるなんてことは」
  「なにかの手管ではございませんの? でなければとうてい信じられませんわ!」
  「古代の血が隔世して現れたとしか思われぬとほうもない力だ。わたしはよく見ていなかったのだが、本当にあの子供がやったのか? 剛力の大人が力任せに放り投げたのではないのか」
  「たとえ王国一番の力自慢が投げたとしても、さすがにここまでは届きますまい。見なさい、この大穴を! ここに見物席がなければ、鉄球はもっとはるかかなたまで飛んでいったことでしょう」


  貴賓席での貴族たちの騒ぎは、もはや試験の行方などそっちのけのありさまである。席に飛び込んできた鉄球が数脚の椅子を粉砕し、土台を貫通して大穴を明けている。
  その大穴を遠巻きにしている貴族たちの壁が一部崩れて、数人の随員を伴った紫色の人影が現れた。その姿を目にして、多くの貴族たちが優雅に目礼した。


  「これは国王陛下」
  「すごい音がしたな。本当にあの試験台から飛んできたものなのか?」
  「いま聞きにやらせております。ですが鉄球を使う試験はあの一箇所のみ、あの場所から飛んできたものと見て間違いはございますまい」
  「本当にここまで飛ばせるものなのか。来年はここに席を作らないよう申し付けておかなくてはならないな」


  光沢のある紫色のローブを重たげに引きずって、国王と呼ばれた小男はしげしげと穴を眺め回すと、細工物のオペラグラスを取り出して『臼砲』試験の場所を見やった。
  国王オルデウスZ世……王国の法制上、もっとも優性と認定された『超人』であるはずのこの人物は、近視だった。


  「どの子供なのだ? 数が多すぎてよく分からぬ」


  数百年にも及ぶ人類王国の歴史上、長らく『国王』の座を占めてきたラトー家の血の集約は、この男の姿かたちによく顕われている。白蝋のような肌、つるりと起伏に乏しい容貌、秀でた額、そして子供のような短躯……およそ勇ましさからかけ離れた風貌であったが、人類王国ではもっとも神に祝福された風貌のひとつであった。魔力は野蛮さと対極の、退廃と脆弱にこそ宿るものといわれている。


  「朕がやったら、どのくらい飛ぶと思うか?」
  「畏れ多いことを……わが王国の至宝であらせられる国王陛下に、試験のまねごとなどしていただくわけにはまいりませぬ。たとえ試験をなさったところで結果は火を見るよりも明らか。あの程度の子供の記録など及びもつかない大変なものとなりましょう」
  「やっぱりそうだろうな。朕もそう思っていた。しかし朕ほどではないとしても、あの者の力は目を見張るものがある。試験が終わり次第、朕が前に召し出すがよい」
  「御意」


  よほどお気に召したのであろう、国王はオペラグラスで『臼砲』試験の会場ばかりを眺めている。国王の右に習えとばかりに、貴族たちも次々にオペラグラスを取り出した。






  小さな子供がおのれのしでかした失敗を理解できずにきょとんとするように、少年は乾いた唇をぺろりと舌でなめてあたりを見渡した。周囲の激烈な反応は、およそ彼の想像の範疇になかったのだろう。
  歩けばその前に陣取る子供たちが道をあけ、息を呑んでその通過を待ち構える。視線は痛いほど集まっているのに、少年が投げるまなざしを正面から見返そうとする者はひとりも見当たらない。誰もがこの少年の見えざる肩書きに『貴族』の二文字が書き加えられたことを認めていた。
  マルカは、生唾を飲み込んだ。


  「王家か大貴族の子弟かしら」周囲から、ひそひそとささやき声が聞こえてくる。
  「普通じゃないよ。おれたちなんかじゃとても相手にならない」


  そう嘆いた子供は、抱え込んだ膝のあいだに顔をうずめた。それはそうだろう、予想もしない実力者が現れるたびに、合格枠が確実に減っていくのだ。試験が始まるまで闇雲に抱いていた自信など、試験が進むごとに確実に壊れていく。マルカも額に浮き出した嫌な汗をぬぐって、少年の動向を目で追った。
  少年は足早に試験待ちの子供の間を抜けると、誰かに呼ばれでもしたのか、一般の観覧席のほうへと近づいていった。


  「ちゅあん」


  見物席のほうから手を振ってくる小さな子供の姿がある。まるでわがことのように喜びを全身に表して、さかんに飛び上がり、手を振る。7、8歳の少女は、彼の身内かなにかなのであろうか。


  「ウルスラ」
  「すごかったね、ちゅあん! みんなびっくりしてるよ、ほらっ!」
  「おやじさんの看病はしていなくていいの? まだ寝たきりでなんにも用が足せないんだから。…え、ご近所の人が見ててくれるからって」
  「とうちゃんが行ってきてくれって言ったの。だからあたしがちゅあんを応援するの。とうちゃんなら大丈夫。とっても高いニアゲダイから落ちたって、ぜんぜん死なないぐらい丈夫なの」


  少女は見物席の手すりから背伸びをして首ひとつようやく出している状態であったが、少年が近づいてくると顔を輝かせて手すりに身を乗り出した。周囲の見物客もいまの一件を見ていたらしく、珍獣でも見るようなあからさまな好奇心をのぞかせて目を向けてくる。その注目が、また少女を得意にしているようであった。


  「このお人が、チュアンさんかね」
  「あたしゃ物心ついてからずっとこの試験を見物してきたけど、こんなにもぶっとんだお力ってのを見るのは初めてだよ。たいしたもんだ! 合格間違いないよ」


  少女は港人足の娘であるに違いない。長い髪を後ろで編んで垂らすのは、船乗りのあいだで流行っているヘアスタイルである。そのあたりの見物席に集まる人々にもそれが多く見受けられたから、そのあたりの席にかたまっているのは、港近くの下町の住人たちなのであろう。むろん下層民である。


  「おなか減った?」


  たずねて少女が差し出した食べ物は、最近の貧しい人たちが主食としている川魚の干物である。泥臭い川魚の干物なんておいしいわけもないのに、少年はそれを受け取って口にほおばると、手を振ってその場を離れた。


  「がんばって、ちゅあん!」


  その少女は、「チュアン」という名のあの少年のことが好きなのであろう。その好意を全身で表している。
  どこかへ行ってしまう前に、どんな顔をしたやつなのか確認しなくては。
  マルカは少年の行く手に回り込むように足早に移動した。その後ろにテテルとリンが付き従う。貴族の子弟たちまでくっついてきたときはさすがに彼女も嫌な顔をしたが、口論しているような時間はなかったので無視した。
  集団の中から眼前に飛び出してきたマルカたちに、くだんの少年は立ち止まって目を見開いた。


  「あんたは…」言いかけたマルカをさえぎるように、声高な問いが貴族の子弟から発された。
  「おまえは、どこの家の者だ!」


  横で聞いているだけでもむかむかくるほど、偉そうな口調である。クラウドと名乗ったトレゴレン家の子弟である。
  リーダー格のこの少年に追従するように、ほかの子弟たちも口々に言い立てた。


  「どんなインチキをしたんだ? 普通どんなにがんばったって、ひとりであんなに飛ばせるわけがない。どうせおまえも見物席に何人か術者を伏せておいて、試験に合力させたんだろう!」
  「こいつの顔、見たことあるやつはいるか? そんな優秀な術者を抱えていられるなんて、結構大きな家のはずだぞ。それなら王宮に出入りしてないはずがない。こいつの顔に見覚えのあるやつはいないのか」


  初対面の相手に向かって、いきなりインチキだと決め付けてかかる彼らの無神経さに、言われた当人の少年よりもマルカのほうが腹を立てた。


  「…ゴウリキって、なんのこと? それってインチキなの?」


  子弟たちの断定的な物言いに、彼女の直感が刺激を受けた。「インチキなの?」 繰り返す少女の声音の険悪さに、周囲の子供たちばかりでなく、貴族の子弟たちも居心地悪げにもぞもぞした。


  「いくぞ」


  金髪の少年が吐き捨てるように言って歩き出すと、貴族の子弟たちは小魚の群れよろしく同じ方向に動き出す。「答えなさいよ!」少女の厳しい追及が向けられると、子弟たちはそろいもそろって目線をそらした。
  もう何を言っても届かないというぐらいの距離が離れてから、下層民の子供たちがざわめきだす。


  「おい、やつらインチキしてるのか?」
  「ゴウリキってやつ、やっぱりインチキなの? それじゃ…」
  「ゴウリキって、力を合わせるって意味だろ? やつらこっそり大人の術者に助けてもらってるってことか。やっぱり貴族がインチキして試験に受かってるって話、ホントなのかな」
  「なんて卑怯なやつら!」


  腹立たしそうに見送りながら、マルカは少年の前に立ちはだかった。格好よく腰に手を当てて大人ぶるあたりは、彼女なりに相当に虚勢を張っているといえただろう。あんな腰抜けの貴族とは違うんだと、目配せしあう子供たちの顔にも意思の疎通がある。
  その勝気そうな少女の、あからさまに敵対的な眼差しにさらされて、少年は少しむっとしたように無表情になった。


  「あんたもインチキをやっていたの? 貴族には見えないけど、それはなにかの変装?」
  「ぼくは……貴族じゃない」
  「でもあいつらだって言ってたじゃない、ひとりの魔力であんなにもばかげた距離飛ぶもんじゃないって。ゴウリキっていうのをするにしたって、大人の術者を何人も雇わなきゃならないのよ。そんなの、貧乏人にはムリ。貴族じゃないんなら、どこかの成金商人の息子かなにかしか…」
  「そこ、どいてくれないかな」


  見ている前でどんどん温度を下げていく少年の表情に、気味悪げに子供たちがしりぞいた。マルカだけが、多少表情を引き攣らせながら彼の前に立ちはだかっている。


  「あたしはマルカ。バザーのマルカ。あんた、チュアンって言うの?」


  少年は答えない。彼はこの威圧的な少女に対して、非友好的な態度を採ることに決めたようだった。
  ちらりと一瞥をくれたのみで脇にそれて歩き出した少年の背中に、マルカが慌てて声を投げる。「ちょっと待ちなさいよ!」 まさか無視されるとは思っていなかったのだ。


  「こっちが名乗ったのに、シカトしないでよ!」


  掴もうとするマルカの手を振り払って、少年はずんずんと歩く。にんじん髪の少女は、それであきらめるのかと思いきや、怒気で顔を真っ赤にして少年の服の襟首をむんずと引っ掴んだ。予想外の剛力だ。
  喉を締められる格好で、少年はたたらを踏んだ。


  「名前、言いなさいよ!」


  マルカはすごい剣幕で、大人でも赤面してしまいそうな猥雑な言葉を石つぶてのように吐き出し始めた。もはや少年が言うことをきくまで、悪言はとどまることを知らないだろう。


  「名前は!」


  その迫力に押されて、少年は自分の名前を口にした。


  「フォー・チュアン」


  彼の名を何度となく反芻しながら、マルカは満足したように彼を解放した。






  少年の名は、チュアンといった。
  フォー・チュアン。聞きなれない韻を含んだ、不思議な名前だった。「フォー」とは、どういう意味なのだろう。
  見かけは、ごく普通の少年だ。着ているものは毛織と毛皮のつぎはぎのような服で、およそ町では見かけない代物である。住んでいる場所がウルクからずっと離れた、深い森の中だと聞いて、その服装も納得する。ウルーガという地名は、聞いたことがない。自分が単に知らないだけなのか、それとも人の口に上らないほど辺鄙な土地かどちらかである。
  そこで、チュアンは狩人の養父と一緒に暮らしていたという。この年までずっと森から出たことがなかったらしい。そんな他人との交わりのない暮らしが本当に成り立つものなのかどうか、はなはだ怪しいものだとマルカは思った。
  深く険しい森を駆け回っていたわりには、この少年の体つきからたくましさはあまり感じられない。筋肉が発達しているようには見えなかったし、袖からのぞく腕も日に焼けているわりには白っぽい。


  「あんた、痩せっぽちね」


  思ったことをすぐに口に出すと、チュアンはちらりとこちらを見て、ついとそっぽを向いた。表情に何の変化もないように見えるが、よく見ると口元が怒ったようにすぼまっている。けっこう分かりやすい。
  田舎育ちでずだぼろの服を着ているくせに、妙に垢抜けた印象があるのは、物怖じしない落ち着いた雰囲気と、小奇麗にすればさぞ見栄えがするだろう整った顔立ちのためだろうか。川で顔を洗って、ちょっとだけセンスのよい服を着せれば、きっと自分好みのかっこいい少年になるだろう。生意気な街の女どもに恋人だと見せびらかせば、さぞいい気がするかもしれない。
  少年が歩き出すと、マルカも歩き出した。
  少年が立ち止まると、マルカも立ち止まる。
  少年が嫌がろうがどうしようがお構いなし。さっきの試験では運悪く見逃してしまったこの少年の実力を、なんとしても見届けねばならない。なにより、人一倍の好奇心がおおいに刺激されてしまっている。
  それからの試験は、ずっといっしょに回った。少年はそれに対する不快感を誤解しようがないほどはっきりと提示していたが、すまし顔でマルカは無視した。試験番号も近いし、回る試験の順番もいっしょなのだから、行き先が同じになってしまうのはあたりまえ。バザーでしぶとく生き抜く浮浪児に、備わらずにはいなかったある種のあつかましさだ。
  そして腕組みして、少年の試験を見物していたのだが…。


  「337番、君は手を抜いているのか」


  『臼砲』の試験以後、マルカのほかにもいろいろなギャラリーがチュアンに付いて回っていた。彼のおそまつな試験内容に「手を抜いた」と決め付けたのは、一見して役人と分かる偉そうな顔をした年寄りである。試験官がこの老人に気を遣っているところを見ると、彼らの上役のような立場の老人なのだろう。
  年寄りが叱るのも無理はないとマルカは思った。彼女の目から見ても、チュアンは明らかに手を抜いていたのだから。
  たとえば『賢遊』の試験。
  試験会場の広場に埋め隠された百枚の木札のなかから、指定された番号の札を念の力で探し当てる試験である。一度に十人ぐらいが(全員別の番号札を指定されている)試験場を歩き回り、そこと見極めた場所で立って挙手をする。
  制限時間は1問1分。
  5回これを行って、マルカは2問正解した。むろん大切な試験であるから、慎重には慎重を重ねて、制限時間いっぱい使って試験場を這いずり回った。その結果の2問である。
  その横で、チュアンは正解なしで終った。問題を言われた後、てきとうに歩いて、気の向いたところで制限時間が尽きるのを坐って待っている、というていである。真剣にやっているというふうにはとうてい思われなかった。
  渋面の試験官に「正解はない」と告げられても、チュアンはどこ吹く風というようすで耳を掻いている。横で見ているこっちのほうがはらはらである。
  続いて向かった『陽点』の試験場では、さらに目を覆うような不成績を出して見せた。  
  『陽点』の試験とは、渡された木片を念の力で燃やすものである。試験を受ける子供たちが魔力の焦点を合わせやすいように、木片には焼きごてで小さな丸印をつけてある。この焼きごての印を『陽点』という。
  『陽点』の試験では、制限時間の半分で板を燃え上がらせたマルカの横で、チュアンはぶざまにも焦げ目ひとつ付けられないまま試験終了の声を聞いた。あいかわらず、小憎らしいほどに平然とした様子である。


  「やり直しさせなさい」


  まさに異例のことである。
  『殿試』で、やり直しが認められるケースは極めて少ない。たいてい有力貴族の子弟が親の強権づくでやり直しを認めさせたりするのであるが、試験官のほうから「やり直せ」と命ぜられるなど、およそありうることではなかった。
  そうして、次の組といっしょに改めて試験に臨んだチュアンは、初志貫徹とばかりにまったく同じ結果を再現して見せた。腕組みして監視していた老役人は、真っ赤になって地団太を踏んだ。


  「どういうつもりなの? 体調でも悪いの?」


  半ば責めるようにマルカが問うと、


  「どうして?」と、逆にいぶかるような顔を向けられた。


  そのしれっとした表情を見て、マルカは思わずかっとなった。


  「なんで手を抜いてるのかってきいてるのよ! これは一生に一度の試験なのよ! これで合格したら、あたしたち貴族になれて、一生なに不自由なく贅沢な暮らしをしていけるわ! なのになんで、そうやって手を抜くの?」


  彼女に胸倉を掴まれて、さすがにチュアンも面食らったように瞬きした。なんで手抜きしたのがばれたんだろう? そんな顔をしている。
  子供が時々つくあさはかなウソのように、彼の手抜きは明々白々なものであるのだが、当の本人にはその分かりやすさが理解できないようすである。ずっと森の中で暮らしていたというのも、まんざらウソではないようだ。
  『臼砲』の試験が得意でも、『賢遊』のほうは得意でないという者はたしかにいる。だが『臼砲』が得意なのに『陽点』が不得意というのはたいへんおかしな話で……『火』と『風』は親和する関係にある……それは技塾に通っていない浮浪児のマルカでも知っている魔力の常識であった。
  相手の無知を知ると、マルカは勝ち誇ったような気分になった。田舎のほうはなんて遅れているんだろう! 
  次の試験の場所へと移動しながら、マルカは「魔力とは何ぞや」という講義をえらそうに始めたのだが、教えようとする言葉のいかほどが少年の耳に入ったことだろう。彼女の熱心な講義に、チュアンは期待ほどの反応を示さなかった。マルカが業を煮やして怒鳴りかけたとき、それを制止するように仲間の手が彼女を引っ張った。
  「マルカ姉」 テテルのすがるような声。
  もうそこは、厳粛な空気が包む最終試験場だった。
  不合格を確信した大勢の子供たちが、順番の列を作りながらめそめそと泣いている。その列の後ろにつくと、さすがにマルカも表情を厳しくして口を閉ざした。ここにいるほとんどの子供は、彼らの確信どおり不合格になる。それはマルカとて他人事ではない。


  「がんばれよ、マルカ姉」
  「あたいらたちのなかじゃ、受かる見込みのあるのはマルカ姉だけだ。貴族のやつらがイカサマさえしてなきゃ、マルカ姉の成績だってもっと上に…」
  「あいつらを絶対見返してやってくれよ!」


  彼女の仲間たちも、現時点でほぼ合格は絶望的であった。
  『殿試』には、合格者の定数のようなものはなかった。参加者の成績いかんでは、増えもするし減りもする。それでも例年、20名からの合格者が誕生する。
  千何百人中の20人、予試を含めれば数万の中の20人である。そしてその数字は、だいたい試験に参加する貴族子弟の数に比例するものであった。人類王国では第一身分の相続は認められていなかったが、その子弟が試験で優遇される慣習はなかなか改まるものではない。
  実質、第二身分の合格者枠はほんの数名、へたをするとゼロということもある。富裕な商家が試験関係者に袖の下を渡して合格を買うといううわさもあったから、ほんとうはもっと狭き門なのかもしれない。
  ようは貴族の子弟たちと並べても勝るとも劣らない成績をたたき出し、試験官も無視できないほどの存在感を示す必要がある、ということである。むろん下層民出身の子供たちのなかではトップを取るぐらいの気構えでないと、後ろ盾のないマルカに合格の目はなかった。


  (あたしは合格して貴族になるんだ)


  そのためには、このチュアンという名の少年にも成績で勝たなくてはならない。おんなじ下層民出身の子供であっても、心を鬼にして勝ち抜かねばならない。


  (こいつはたぶん、とんでもない魔力を隠してる……なんのつもりかは知らないけど、あたしが勝つためにはその力を隠したまんまでいてもらったほうがいいのかもしれない。そのほうが都合がいい)


  マルカには、親もなかった。頼りにするほどの身内もない。あるのはただ同じ境遇で生きる浮浪児の仲間のみである。その日を生きるために他人の財産を掠め盗り、捕まれば役人の生皮をはぐような陰惨なリンチが待っている。下手をするとリンゴ1個で命を落とすこともある。


  「あたしはぜったい、合格するよ」


  マルカは不安げなようすの仲間たちに向かって、言い切って見せた。
  仲間のうちの誰かひとりでも合格すれば、みなを養うだけの実入りが手に入る。王宮からの多額の給付金があれば、どこかに家を買って、みなで暮らすことだってできるのだ。
  仲間うちでの、暗黙の了解。
  バザーの隅っこで、どぶねずみのようにこそこそと這い回るクズのような生活など、もうマルカにはまっぴらだった。この試験で不合格になれば、彼女たちは間違いなく、また同じ最低の生活へと戻らなくてはならない。そして死ぬまで、ゴミ捨て場を這いずり回ることになる。
  最終試験の呼出し番号が、だいぶ自分のそれに近づいている。
  『方陣』、そう呼ばれる試験。
  それがどんな試験であるか、事前に情報のようなものは手に入れている。ひとつ年上の子供を捕まえて聞き出せば、そんな情報は簡単に手に入る。殿試の五つの試験のなかで、もっとも難度を感じる試験であるらしい。実際にどんな試験なのかは、見物していればだいたい知れる。
  大きな鐘が打ち鳴らされた。それが開始の合図。
  『方陣』の試験場は、最後の見世物とばかりに貴賓席の目と鼻の先にある。何人かの子供たちが試験台へと上がってくると、王候貴族たちのオペラグラスがいっせいにそちらを向く。彼らの好奇の目にさらされるだけでも、たいていの子供は居竦んでしまうだろう。
  やや大きめの演壇のような台に立たされた子供たちを何十人もの試験官(この場合は術者として)が取り囲み、怖い目で睨みつける。
  外面上は分からないが、この一点鐘目で軽い念を試験官たちは発し始めている。そのまましばらくもせぬうちに、子供たちに身体的な失調が現れ始める。
  まともに立っていられなくなる。
  ある子供は頭を抱えてうずくまり、またある子供は倒れこんでげえげえと胃の中のものを吐き出した。
  そして口をきく余裕さえあればギブアップしそうな子供たちを置き去りにして、二点鐘目が打ち鳴らされる。それを機に試験官たちの送り込む念波がさらに強められる。
  最初、30人ぐらいの子供たちが試験台の上に立っていた。突然襲った体の変調に何とか耐えていた幾人かが、その段階で全員腰砕けに膝をついた。


  「終了! 330番から359番まで、前に出なさい」


  試験台のまわりは、子供たちの吐き出した吐瀉物で、かすかに異臭が漂っている。吐いたものはすぐに水で流され、排水溝へと落とされているのだが、それでもやっぱり臭いがきれいになくなるわけではない。最終試験がこんなものだと知り尽くしている試験官や見物人たちは悪臭に不感症になっているし、緊張のきわみにある子供たちにも顔をしかめている余裕はない。
  マルカは前に進み出た最終試験をともにする子供たちを見渡して、ぺろりと唇をなめた。
  4人の純正の貴族子弟。
  得体の知れない化物じみた力を持つ少年。
  そして自分……。
  ずいぶんと水準の高いグループじゃないか。このなかで果たして自分は勝ち残れるのだろうか。次第に高まってくる胸の鼓動に、体の節々がおののくように震えた。


  (あたしは、絶対に勝つ!)


  誰も一言も発さない。
  マルカは自分の頬をぴしゃりと叩くと、オペラグラスを構える見物席の貴人たちを見回して、深呼吸した。
  あそこはもう、けっして手の届かない場所ではない。来年になったら、自分もあそこで勝ち誇ったように新品のオペラグラスを構えているに違いない。いつも自分たちを虫けらのように扱ったルカードの細工屋に、飛び切り上等なのを作らせよう。あのごうつくじじいも、あたしが貴族になったらさぞやびっくりするだろう。
  決然とした意思を表明すべく、マルカは誰よりも早く試験台への段々に足をかけた。
  今日この試験は、あたしのために用意された晴れ舞台なのだ。このバザーのマルカのためだけに、生まれる前から用意されていた晴れやかな舞台……。
  試験台の段々は、わずかに5段ほどで尽きた。たいした高さがあるわけでもないのに、急に広々と視界が開けたようにマルカには感じられた。
  胸の鼓動が早鐘のように鳴っている。全身に急激に血が巡り始める。身体がかっと熱くなっていく。


  「マルカ姉のたてがみだ」


  どこかでテテルの声が聞こえた。だけれど、それがどのあたりから起こったのか、もはやマルカには判然としなかった。自分がどこから歩いてきたのかすら忘れていた。ただ舞台に立つ自分と、それを見守る人々がいるだけだった。


  「耳の奥だよ……気をつけて」


  高揚感に包まれたマルカの耳元で、誰かがささやいた。
  その誰かがあの少年であることに気づくゆとりはなかった。
  鐘が打ち鳴らされた。






  「蛮族どもの進撃が止まった? わが軍が勝ったのか?」


  側近のひとりに耳打ちされて、国王は構えていたオペラグラスを下ろして瞬きした。国王を相手に膝をつかないこの側近は、宮廷で相応の高い位官にあるのだろう。しゃべり続けようとする側近を手で制し、国王は短く苦情を言った。


  「聞こえん」


  耳を指さし、聞き取れないと手振りすると、側近もその意味を解したように口をつぐんだ。まわりにいた貴族たちが、総立ちになって口々に言いあっている。


  「まだ余裕がありそうだ……このまま五点鐘はクリアするな」
  「それよりも試験官のほうは大丈夫なのか? この先何点鐘まで用意できるんだ? これだけの術者が束になってかかって、子供ごときを打ち負かせないなどというのは問題なんじゃないかね」


  鐘が打ち鳴らされた。『方陣』試験の第六点鐘である。
  試験台に立つ子供の数は3人にまで減っていたが、苦悶に顔をゆがませているのは当の子供たちではなくまわりを取り囲む試験官のほうという様相となっている。


  「ほかの子供たちは担ぎ出せ! このまま放置しておくのは非常に危険だ!」そこここでは、陸に上がった小魚のように試験を脱落した子供たちがぐったりとしている。


  貴族たちが騒ぎ出すほどこの試験で耐性を示しているのは、金髪と黒髪のふたりの少年と、明るい赤毛の少女ひとりの、合わせて3人である。


  「あの者も残っているな。くろがねの球をあれだけ飛ばす力があるのなら、この試験、最後まで耐え切ってしまうのだろうな。しかしほかの2名もなかなかがんばるではないか。三点鐘までたえられる者さえまれであったというのに、とうとう六点鐘まできやった」国王も感心しきりである。
  「あの金髪の子のほうは、なんでもトレゴレン卿の秘蔵っ子とか。さすがは名門の血でございます」
  「ふむ、『百の目』の血を受けた子供か。末楽しみな逸材というわけか」
  「七点鐘!」


  見物席から群衆のため息がざわめきとなって立ちのぼった。
  見物席にある大人たちも、むろんのこと子供時代、この『殿試』を経験している。ゆえにこの『方陣』試験の子供に与える身体の失調感を、わがことのように追体験してしまう。
  試験の始まりしな、まず息が苦しくなる。試験官たちの術が、肺を外側から絞り上げるように干渉し始める。
  次に平衡感覚が乱れる。耳の奥の三半規管を、激しく揺さぶられる。息苦しさとめまい、吐き気に襲われて、たいがいの者がここでリタイヤする。
  それにも耐え切った者に襲いかかるのは、頭痛、胃痛、貧血等々……この世のありとあらゆる苦痛である。もっとも、この七点鐘などという段階を実際に経験している者の数はまれである。苦しみのほどは想像するしかない。


  「ああ、ひとり…」


  見るうちに、顔色を変じた金髪の少年が、見えない手で地の底に引き込まれるようにずるずるとくず折れた。『百の目』と呼ばれる大貴族の秘蔵っ子は、その血筋の確かさを証明してみせたのだ。貴賓席からひときわ大きなため息が漏れる。
  残るはあと2人。黒髪の少年と、にんじん色の髪の少女。どちらも身なりからして下層民のそれである。下層民の見物席からは潮が満ちるように大きなざわめきが生み出されている。ことあるごとに虐げられることの多い社会的弱者の立場にある下層民にとって、貴族階級に公然と挑んでかかれるのはこの殿試ぐらいのものである。貴族の子弟に下層民の子供が競り勝ち、しかも近来にない好成績を上げるなど、いかにも彼ら好みの展開であるといえる。
  この子供たちはどこまで耐えられるか。
  音を上げるのは子供が先か、試験官が先か。これは見ものとばかりに、息詰まる雰囲気が見物人のあいだに広がった。


  「スウェン卿、そちはどちらが勝つと思う? 黒髪か赤毛か」
  「どちらが勝つか、でございますか。…恐れながらこの試験に勝つ負けるは」
  「1番最後まで残っていたほうが勝ちに決まっておるではないか。そいつに馬を賭けよう。朕はオルテガ号を賭けるゆえ、スウェン卿はあの自慢の白い馬を賭けてみてはどうだ」
  「マリア号でございますか…」


  国王と側近は互いに目を交わさぬまま、『方陣』試験のほうを眺めて会話している。
  熟考の末「それでは」と、側近のほうが賭ける対象を口にのぼせかけたとき、わあっと歓声が上がった。
  見るとにんじん髪の少女のほうが身体をぐらりと揺らして、膝をついていた。そしてそのまま、体力の限界とばかりに倒れこもうとする。それを残った少年のほうが横から支えた。
  勝ち残ったのは、黒髪の少年のほうであった。


  「そちがさっさと賭けぬから、マリア号が朕のものにならなかったではないか。朕はあの黒髪が勝つと踏んでいたのに…」
  「わたくしもあの黒髪に賭けるつもりでしたが……わたくしが先に賭けてしまっていたら、陛下はどうなされるおつもりでございましたか」
  「なんだ、そちもあの大飛球を見ていたのか。卿はてっきり奥詰めで、見物していないと思っておったのに」
  「…いえ、台宮に詰めておりましたが……大飛球、でございますか?」
  「おお、そうなのだ。あの黒髪が、『臼砲』の試験で、とほうもない記録をたたき出したのだ。ほら、あのあたりに兵が近寄らぬよう見張っておるだろう? 鉄球があそこまで飛んできて、席に大穴を開けたのだ。何でも支えの柱までひびが入ったらしい。近寄ると危ないからと兵らが見張っておるのだ」
  「あの臼砲の台座からここまででございまするか! これはまことにとほうもない」
  「であろう?」


  まるで手持ちの名馬を誉められたように嬉々と相好を崩す国王に、側近は追従の笑みを浮かべて見せていたが、ややしてふと思い出したというように手を打って、先ほど言いかけた要件を蒸し返した。


  「それで先ほどの件でございますが、陛下」
  「おお、そうであったな。蛮族どもが退いたのであったな。苦戦したようだがさすがは『先の手』のゴセン将軍、最後に頼りになるのはやはりあの武辺者か。して将軍からの要望はなんなのだ? 気の利かぬあの男が報せをよこしたということは、朕になにかねだろうというのだろう。追討軍の増援か? ならば手持ちの兵で何とかしろと伝えよ」
  「いえ、ドワーフ族との戦闘はいぜん不利が続いているとのことでございます。ドワーフどもが進撃を止めたのは、ゴセン将軍のある交渉の呼びかけに応じたものと…」
  「ある交渉?」
  「報せの者は、『儀式』を行うとだけ……おそらく大陸諸族に伝わるという、例の『儀式』のことではないかと……一両日中にゴセン将軍が帰還なされるようでございます。詳しくはそのおりに、ご自身の口から陛下に奏上たてまつりたいと」
  「またあの世迷言か。将軍は本当にそんな迷信を信じているのか? 石斧で獣を狩ることしか知らぬ野蛮人どもに、そのような『礼』などという高度な法が作れようものか」
  「しかしその将軍の呼びかけで、ドワーフどもが進撃の足を止めたのも事実。そのあいだに新たな戦いの準備が許されるのなら、誤解であろうがなんであろうが歓迎すべきことでございましょう。…もしもその『儀式』が真実存在して、幾人かの人身御供で王国の未来が購えるのなら、不毛な戦争を継続して民を疲弊させるより千倍も効率的でございます。さっそく天球院に先見を行わせ、善後策を詰めておきたく存じますが」
  「朕はそんな世迷言は信じておらぬぞ」
  「陛下…?」


  オペラグラスを目の前の側近に押し付けると、国王は貴賓席の通路を歩き出した。
  それを反射的に呼び止めようとして、側近は口ごもった。
  国王の歩み出したその通路の先で、すでに『殿試』のお祭り騒ぎが佳境を迎えつつある。
  殿試の名の由来は、いわゆる国王の御前試験であるというところからきている。一生に一度の試験を無事やり終えた子供たちを慰労し祝福するのも、国王の重要なつとめである。
  今年はいったい、何人の子供が第一身分へと這い上がるのだろうか。どれだけの子供が自分の閉ざされてしまった未来に絶望するのだろうか。
  超人の血を尊ぶ人類王国の民たちは、この試験の審判の瞬間を迎えると厳粛な気持ちにならざるをえない。自らの運命を分けたのも、この13歳のときの忘れ得ぬ瞬間であったのだから。
  壮麗な白亜の王宮を背に、国王の仮の玉座が段々の高みに据えられている。そこへ上り始めた国王の小さな影を見つけた見物人は潮が引くように声をひそめた。静まった周囲の歓声に、うつむき気味の子供たちも、めったに王宮の外に姿をあらわさないこの国の最高権力者を初めて目にして、生唾を飲み込んだ。
  ぞろぞろと動き始めた貴族たちが貴賓席を降りて、仮の玉座の両翼に居並んだ。
  もうすぐ、試験が終わる。


  「…さて、この子らにまっとうな未来を残してやるための努力はせねばな。まったく、『先の手』殿も無茶な注文をする」


  側近の男はきれいに整えたあご鬚をしごいて、肩の凝りをほぐすように首をぐるりと回した。この男は、台宮司(内務大臣)にして名門カダモン家の当主、スウェン・カダモン伯爵である。
  貴賓席の貴族たちと視線が合うたびに軽く会釈をかわして、スウェンは視線の注がれる会場に背を向けて歩き出した。










back/next
********************************************************** <





ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります!!

ネット小説ランキング>【登録した部門】>人類王国物語



inserted by FC2 system