『戦え! 少年傭兵団』





























 その日、少年のなかで世界が崩壊した…







































  第一章 『少年の剣』












  生きるために奪う。
  生きるために殺す。
  生き急ぐ人間たちの生と死の狭間に、夢という名の小さな希望のかけらが砕けて零れ落ちる。






  少年は、突然おのれの身に出来した運命に、ぶるりと戦慄した。






  ***






  「ちっ、…目ぇ覚ましちまった」


  何の予告もなく、生臭い呼気が眼前に近づいた。
  うッ。
  息が詰まりそうなほどに臭い男の呼気が、夢とうつつの間をさまよっていた少年の意識に冷水を浴びせかけた。
  そろり、そろり。
  ほかにも忍び寄る気配。騒ぎ立てようとした少年の口を、ごつごつした手のひらが乱暴にふさいだ。


  「死にたくなかったら、おとなしくしてろや」


  もう片方の男の手が、少年に覆いかぶさるようにして伸ばされて、後生大事に背後に隠した荷物袋を掴み取ろうとする。その段になってようやく、少年はおのれが追い剥ぎにあっている事実に思い至った。


  「命までは取らねえから、黙ってそいつをよこせ」


  盗賊なのか、それとも食い詰めた難民が夜盗と化したのか。
  この荷物袋は、少年の全財産だった。奪われた瞬間に彼はまったくの無一文、麦一粒あがなうこともできない悲惨な境遇が確定する。
  伸びてくる無数の手。
  追い剥ぎはその男ばかりではなかった。ほかにも何人かがこちらへと迫りつつあった。恐怖と緊張のあまり、少年の呼吸が引き攣った。




  げほっ、げほっ。




  こらえきれず咳き込むと、男が顔をしかめて少しだけ身を離した。
  のどが痛い。吐いた唾に血が混じる。


  「気ぃつけて。悪い風を吸い込むと、あたしらもただじゃすまないよ」


  流行り病。
  二つの国の軍隊が土地を取り合ってぶつかり合い、たくさんの兵士と、たくさんの巻添えになった村人が命を落とした。無数の死体は弔うものもなく野に累々と横たわり、腐れ果て、そしてたちの悪い疫病を発生させた。
  少年の肺を蝕む流感は、衛生状態の悪いそこここで大発生して、たくさんの死者を出しているたちの悪いものだった。咳き込み出したらしばらく止まらない。


  「おい、やべえんじゃねえか…」
  「盗るもん盗ってはやく帰ろうよ」


  少年は震える足で身体を起こし、荷物袋を抱えてあとじさった。そうして、すぐに背中が焼け焦げた土壁にぶつかった。


  (だれか…)


  そこはとても大きな宿屋の廃墟。
  在りし日は街一番の上等な宿であったに違いない二層建築の廃墟には、息を殺すように身を寄せ合う難民たちが幾人も危険な夜を明かそうとしている。襲われる少年の姿は、まかり間違えばほかの者たちにも降りかかった災いであった。
  ただ、彼が病身で狙いやすかっただけの違い。
  しかし彼を救おうとする人間の気配はない。誰もが息を殺して、災禍がおのれにだけは降りかからぬよう空気になった振りをしている。


  (助けて…)


  少年は驚いて毛布代わりに引きかぶっていた外套を引き寄せた。
  外気に温みが奪われて、悪寒が身体を這い上がってくる。いく晩も彼を苦しめている高熱が、少年の平衡感覚をグニャリとゆがめる。
  はっ、はっ。
  もしかしたら肺炎を起こしているのかもしれない。
  何度呼吸をしても息苦しい。
  ずっと苦にしていた目蓋がやっぱり開かない。鼻水が固まるように目ヤニがこびりついて、睫毛が縫い付けられたように絡まっている。間近に迫る者が《男》であると判じたのは、その低い声とごつごつした大きい手の感触からである。


  (目が見えないんだ……だれか助けて)


  顔中が腫れ膨らんで、いまの彼は恐ろしい面相をしているのに違いない。


  「堪忍しておくれ…」


  老女の声がした。
  その夜盗たちは、家族で逃げ延びた難民なのか、ちらほらと女の声もする。田畑を焼かれ、家を焼かれ、家財さえも略奪されて、ただひとつ命だけを抱えて戦火を逃れた不幸な者たちなのかもしれない。
  だからといって、彼がその不幸を肩代わりするいわれはない。食い詰めているのはこちらも同じなのだから。
  肉の落ちた腕は、抗うために振り上げることさえ彼に少なからぬ苦労を強いた。
  このままでは殺される。少年は思った。
  闇雲に振った手が、誰かの手をはじいた。いきり立った男の胴間声が張り手のように少年の耳朶を打った。


  「てめえはどうせもうじき死ぬ! ほかの人間が生き残るにゃしかたねえんだ!」


  なにが仕方がないものか。少年の生存本能は抗議の声を上げる。


  「その服はあたしのだよ! 破かないどくれ!」


  身勝手な女の声。乱れた襟をつかんで盗られるものかと身構える。


  「その剣はオレがもらう! ガキにゃ不相応ってモンだ!」


  荷物袋から柄が飛び出している、中剣というにも短い剣。だけれど、ナイフよりも倍は大きい。父親の形見の小刀の存在を思い出して、少年は手探りでそれを手に取った。
  鞘を投げるように捨て去り、抜き身の小刀を握り締めて、少年は後じさった。
  これは父親が残してくれた唯一の形見である。傭兵だった父親は、さきの戦で何人もの敵兵を道連れに壮絶に斬り死にした。


  (かかってくるなら、殺してやる)


  息が乱れる。
  心臓が早鐘のように胸の奥で暴れまわっている。
  このまま黙って殺されてなどやるものか。
  小刀が、重い。
  手に握ったその鋼鉄の重さが、アレクを戦慄させた。


  「こいつ、剣を抜きゃあがった!」


  場の空気が一瞬にして凍りついたのがわかった。ぼろくずのように寝込んでいた病人に、まさか命のやり取りを強制されるとは思ってもいなかったというように。
  何も見えない。
  距離感がわからない。
  もはや彼の背中は、退路を失い廃屋の土壁に張り付いている。
  雰囲気からして、おそらく暴徒たちは『素人』だ。相手が目の見えないめしいの病人だから、赤子の手をひねるようなものだと怯え切ったねずみのような難民の仮面をかなぐり捨てたのだ。貧しさはたやすく人を外道にする。
  手のひらに浮いた汗で柄が滑りそうだ。
  めまいが治まらない。
  膝の震えが止まらない。
  体調はすこぶる最悪だ。
  だけれど。
  はっと、彼は身構えた。『なにか』が身体に迫ってくる。
  常に戦場近くで日々を過ごしていた傭兵の息子にとって、戦闘は日常の一部であった。危険に対する嗅覚のようなものも自然と身に備わるようになる。
  気配に対する身ごなしはほとんど反射的であった。
  彼はおのれの直感の導くまま剣を振り回した。
  闇雲な一振り。
  わずかに何かにかすった感触と、耳障りな男のうなり声。たぶん相手の身体のどこかを斬りつけた。


  「…ッ! ちくしょう! 刺股をもってこい! あれで取り押さえろ」
  「気をつけて! アンタッ」


  戦場近くの川の水を飲んだのが原因だったと思う。高熱を発して数日間夢幻のなかをさまよってうつつに立ち返ったとき、彼は朦朧とおのれの置かれた危うい状況を理解した。生きるだけでも過酷な戦乱の巷に、身寄りのない病人は死人と同義であった。
  彼はひとり恐慌に陥り、ボロ布に包まって悪夢が覚めることを願った。だがそんな彼を現実は放っておいてはくれなかった。絶対的な弱者となりおおせた彼は、この乱れた戦乱の世では捕食するにたやすい小動物に過ぎなかった。


  「このくされ童が! ひと突きで刺し殺してやる!」


  男の声が吼えた。
  呼吸が発作のようにひっくり返る。いやだ。死ぬのはいやだ。
  また一瞬、脳裏に何かの光景が写った。大きな刺股。それを構えたがたいの大きい男。男の血走った目が、ぎらぎらと瞬いて彼の命を見据えている。
  ギンッ!
  直感に従った彼の剣が、刺股の攻撃をはじき返した。
  当たった!
  光を失った彼の視野は依然として無明の闇に覆われている。勘がさえていたことは絶望的な状況のなかの一条の光のようでもあったが、そんな幸運などいつまでも続くわけがない。
  まろびつつ逃げ道を探る。
  柱のようなものに頭をぶつける。ものに躓く。あっという間に体中が擦り傷だらけである。しかしそんなことにかまっているゆとりはない。そんな彼のあとを、荒々しい足音がいくつも追ってくる。


  (…ッ!)


  また、天啓のようにひとつの光景が浮かんだ。
  おびえつつも、彼という獲物を見逃すつもりのない盗賊と化した難民の家族。たとえ剣を持っていようと、彼の衰弱ぶりが確実な勝利を予感させるのだろう。みんな必死の形相で彼のあとを追いかける。
  男が刺股を突き入れてきた。
  ギャンッ!
  幸運がまたも彼を救った。脳裏に焼きついた光景を現実のものと混同した彼が振り回した剣が、たまたま男の刺股をはじき返したのだ。


  (また当たった…!)


  ついている。
  もしもこの場を生きて逃れることができたのなら、いつも胡散臭い説法で死後の安逸を説いて回る坊さんに布施のひとつでもしてやろう。
  呼吸がはねた。
  いよいよ体力が底をつきかけている。
  廃墟の間取りはほとんど覚えていない。迷路に迷い込んだように、外に逃げ出す順路もわからない。このままでは遠からず暴徒たちにつかまってやられてしまう。
  逃げることは根本的な解決にならない。この追いすがる暴徒のリーダーらしき男を戦闘不能にしなければ、彼はここを生きては出られない。傭兵たちに近しく生きてきた彼には、生き延びるための勘働きが肌身に備わっていた。
  運がよければもう一度ぐらい反撃ができるかもしれない。
  しかし弾き返すだけではだめだ。
  ならば、柄を叩くか?
  しかし体力不足の病人にしか過ぎない彼の攻撃で、男が刺股を手放すことなどあまり想像できない。
  ならば刺股を握る手を切るか?
  いや、この極限の状態でそんな繊細な攻撃など成功するわけがない。
  ふたたび少年の脳裏に、周囲の光景がフラッシュバックした。
  男は少年が逃げ込んだ小部屋に踏み入るや、力に任せて刺股を叩きつけてきた。アレクは男の突き出した刺股の脇に身体を入れ、深く踏み込んだ。
  また鮮明な光景が連続して脳裏に焼きついた。意想外の展開に体勢を崩す男。もともと武器などではない大きな刺股など、懐に入ってしまえばなんら脅威にはならない。
  踏み込んだ足を支点に、アレクはさらに後ろ足を蹴り出して突進した。そこから先は彼の身体が覚えている。自然と叩き込まれた剣技が手足を通して表出した。


  「ぎゃああっ!」
  「アッ、アンタァ!」


  アレクの剣は、男の下腹を裂いていた。ぶどう酒の入った瓶が割れたように、たくさんの血が飛び散った。男が悲鳴を上げながらはみ出してくるおのれのはらわたを掴んで押し戻そうとしている。戦火に焼け出された無一文の難民が、高額な報酬を要求する町の医者にかかることなどかなわない。この男はもうだめかもしれない。
  勝った。
  まだまわりには男の仲間が数人いるはずだったが、命を賭けて彼に飛び掛ってくるような覚悟を持つものは皆無だった。素人が慣れないことをして大火傷をしたというところだろうか。
  アレクは迷いなく剣を男ののどもとに突きつけた。
  ただで許してやるつもりなど毛頭ない。
  彼もまたこの過酷な世界で生き抜いていかねばならないのだ。


  「見逃してほしいなら、水と食料を置いていけ…」


  それが人生最大の危地を彼が脱した瞬間だった。








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