『戦え! 少年傭兵団』
第2章 『無明の中の手』
生前、父は言った。
『お前には才能があるぞ』
傭兵団で活躍する父の姿にあこがれて、彼……アレク・ハンゼはよく素振り用の練習剣を持ち出して振り回していた。
別に誰かと剣を交えてみたことがあるわけではない。もっぱら立ち木に斬りつけてみたり、草むらを払ってみたり、そんな程度の子供の戯れである。特に草むらを払ったときに不意に飛び出すムシやヘビの類には、正義の剣とばかりに喜び勇んで飛び掛ったものだった。
虫やヘビにとっては災難以外の何者でもなかっただろうけれど。
『突然飛び込んでくるやつを、お前ははずさないな』
意識などしたことはなかった。
真っ二つにしたヘビやカエルはそのまま傭兵たちの炊き出した鍋に放り込まれる。稼ぎが薄いときの貴重な栄養源だ。いろんな大人たちに頭をなぜられて、アレクはいずれ自分が父と同じ傭兵になることを寸毫も疑ってなどいなかった。
褒められることがただうれしくて。
『才能があるぞ』
父のたったその一言が、いま天涯孤独の身となったアレクの心をあやうく支えていた。
たった一本の小刀。南方風のそりの入った、たぶんそれほど高価ともいえない皮を巻いただけの柄と片刃の得物。銘もない。
しかしそれを手にしただけで、彼の立場は著しく強化された。
宿屋の廃墟での出来事。
夜盗と化した難民たちをその小刀で撃退した彼は、その瞬間彼を取り巻く空気が一変したことを察した。
(みんな……オレを怖がってる?)
彼の窮地を見て見ぬ振りしたほかの難民たちのことなど、この際はどうでもいい。ともかく彼は襲ってきた相手を返り討ちにし、あまつさえ斬った男の家財を奪い取った。
一袋の殻のついたままの麦と、たぶん農具の一種だろう先が二股に分かれた刺股。刺股はともかく、麦はここにいるすべての人間が垂涎するだろう貴重品である。
目は見えなくとも、もの欲しそうにこちらを見つめている視線を感じる。
病気だからとて、また寝込みを襲われたらたまらない。ふらつく足を叱咤して、アレクは宿屋の廃墟を後にした。
まだ体調は回復しない。
この流行り病は、生き死に半々といわれている。体力に勝ったものだけが病に打ち勝ち生き残ることができる。死ぬのは抵抗力のない子供や老人、それに餓えて弱り果てている者たちが多かった。
さいわいにしてアレクはそのどれでもなかった。
今年で十四になるその身体は伸びやかな生命力を潜ませ、生来戦い続ける大人たちに囲まれて鍛錬も怠らなかった。多少の飢餓で命の炎を消してしまうような弱さはおよそ無縁だった。
もう三日も寝込んだのだ。病はすでに峠を越えていた。
ただ。
「…熱が下がるまではじっとしてたかったな」
なめし皮の分厚い外套を身体に巻いて、危うい足取りでアレクは安全な隠れ家を探した。
ともかく、人のいない場所。
危険は常に、不遇な人間たちが身近に持ち込んでくる。
「街道筋は流民だらけだし、…そうすると山か」
沢の筋を見つけて、街道を外れること数刻。アレクは小さな炭焼小屋を見つけた。
が、先客を発見する。
「ヒッ!」
油断なくすでに小刀を抜き放っている。
もう歩き回るだけの余力はなかった。先客には退場してもらうしかない。
しかし争いは起こらなかった。彼よりもさきにこの小屋を発見し、住処としていたのは四、五人の子供だった。
声と気配で、十になるやならずの童たち。彼らはアレクの持つ小刀に仰天し、クモの子を散らすように退散した。
(ごめんな…)
悪くは思ったが、アレクは限界だった。
袋から小麦を一掴み口に放り込むと、殻ごとがりがりとしがみ、嚥下する。匂いと手探りで水がめを発見して、すこし泥臭い水を含む。
どかっと小屋の片隅に座り込むと、外套で身体を隙間なく覆った。
子供ばかりが住み着くということは、ここが安全だという証でもある。この乱れた世で、もっとも割を食うのは子供たちである。どこにでも人さらいはいたし、餓えた大人たちは平気で子供たちの所有物を奪い取る。庇護者でもない限り、子供が生き抜いていくには厳しすぎる世の中だった。
そうして、アレクは泥のような眠りに引き込まれた。
***
(アレクッ…、アレクッ!)
必死になって彼を呼ぶ声。
目を開けると、そこには取り乱した父の顔があった。
お腹のなかがグチャグチャになったような首から下の重い痛みが、彼の身体から自由を奪い去っていた。首をもたげただけで、彼は気力を失った。
そうだ。
何かを思い出した気がする。
父とともに暮らした傭兵団《オークウッド旅団》。
同郷の男たちが集まって結成したというその団は、半ば家族のような集まりだった。税を集めるばかりで何もしてくれない寄生虫のような領主に業を煮やして、田畑を失った男たちが徒党を組んだ。
乱れ立った世の中に、そうした多くの傭兵団が興された。農具の代わりに武器を持てば、彼らに金を払う貴族は多かった。
何度も戦いに参加し、勝つときもあれば負けるときもあった。
そうした勝敗が分かれたあるとき。
《オークウッド旅団》の本陣を後背から急襲した敵があった。
《オークウッド旅団》の財貨、糧食はことごとく奪われ、そこに隠れていた子供たちが連れさらわれた。
それほど数の多くないが、あこぎな戦い方に終始する悪名高い傭兵団だった。彼らの奇襲を知った《オークウッド旅団》は、崩れ立つ戦線をいち早く離脱し彼らに追いすがった。人数に大きく勝る《オークウッド旅団》は、敵の傭兵団を丘の上に追い詰めることに成功した。
だが。
そのとき幼かった彼の髪をわしづかみにして、つるし上げた敵の首領がしゃがれた大声で眼下の《オークウッド旅団》に向けて逆に降伏を迫ったのだ。
いうとおりにしなければ、子供たちをひとりずつ殺す。
そうして彼を草の上に放り出して、何人かがかりで無茶苦茶に蹴りつけた。頭もお腹も、何度も足蹴にされた。最後に彼のお腹を踏みつけた敵の首領が、もう一度要求を口にしようとしたそのとき。
《オークウッド旅団》の怒号のごとき鬨の声が丘を駆け上がった。無法者の口約束などあって無きが如し。要求を聞き入れる愚を《オークウッド旅団》は犯さなかった。
最後の頼みの綱を失った敵は、子供を嬲り殺す寸暇さえも惜しんで、逃走に移った。かくして彼は敵陣から救われたのだが…。
回復した彼は、視力を失っていた。
***
ああ、あの時もそうだった。
うっすらと目覚めながら、アレクは顔を上げた。
あの時も、自分はしばらくするとその状況に『慣れ』てしまったのだ。
(見えなくても、観える)
コツを思い出せば、何のことはない。あの時と同じなのだ。
暗闇に白線を描くように、物の外形はとらえられる。
見てはいない。
『観て』いるだけである。
父がいままでの蓄えを投げ出して町の医者に見せても治らなかった目。目を開かずとも物を見ているらしい息子のなぞを、旅の宣教師が『神のご加護』だとのたまわった。
視力を失ったこともあまり自覚せず、変わらず陣中を走り回るわが子をみて、父は苦そうな笑いを浮かべていた。
『たしかに、神様が与えてくれたのかもしれん…』
それからしばらくして、幼いころの彼は、奇跡的に『色つき』の視力を取り戻したのだが…。
(またあのときに逆戻りしたっていうことか…)
諦念。
そしてわずかな希望。
またいずれはこの目も回復するかもしれない。いまはまだ、流行り病の後遺症が残っているというだけで、熱も下がり体力も取り戻せば、自然とそちらも快癒するのかもしれない。
顔を上げたアレクには、周囲の様子が『観て』とることができた。
煤で黒ずんだ粗末な小屋。ただ雨がしのげるというだけで、建てつけの悪い壁は隙間だらけで、風が吹くたびにすうすうした。
ほんのりと、生臭い匂いを嗅いで、アレクは天井近くを見上げる。と、そこには採った小さな川魚がちまちまと干してある。
ぐぅとお腹が鳴った。
アレクはひとつふたつとそれをむしって、空腹を満たすことに夢中になった。久しぶりの食い物らしい食い物である。口の中に広がる魚の脂が、唾を湧き上がらせた。
病み上がりに食いすぎはもってのほかである。干物二枚を平らげたところで、アレクはおのれを制止した。きっとこの干物は、あの子供たちが必死になって捕まえた魚なのだろう。これではあの追い剥ぎ難民と変わらないなと自嘲気味に舌打ちすると、外套を払って立ち上がってみる。
心なしか、足腰に力が入るような気がする。
熱も幾分か下がったのだろう。
アレクは小屋を出ると、腰帯に刺した小刀を抜いた。
その鉄の重みは、病み上がりの手にはまだずっしりとくる。だが少しでも早くこの武器をおのれのものにしなくてはならない。
傭兵団にいたころのように、アレクはひと振り、ふた振りと素振りを始めた。
振りながら、不意に思い出す。
(そういえば、草むらから出てくるヤツらを斬るのがうまくなったのは、あのあとだったっけ…)
草むらに潜むムシたちの気配。
目が見えていたときは、目の前の『草』しか目に入らなかった。
だけれど、あのころは草の向こう側が『観え』ていたような気がする。
小刀を振るう。
振るう。
ひと振りするたびに、アレクのなかに溜まった澱が払われていく。
振るう。
振るう。
アレクは無心に小刀を振った。
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