『戦え! 少年傭兵団』





  第3章 『なんとかしなくちゃ』












  当初は、そんなにも長居するつもりはなかった。
  熱が引くまで。体調が戻ったら、早々に都に向けて出発しよう。そのぐらいの気持ちだった。
  親を失い、身寄りもないまま寒空に放り出された子供に、不安が芽生えないはずがない。
  漠然と、早く都へ行かなければならないと気が焦った。
  父のように、どこかの傭兵団に雇ってもらいたい。
  剣でお金を稼いで、ひとりで食べていけるようになりたい。
  父の背中を追うように、そう将来の自分の姿を描いた彼は、いくつもの傭兵団が集まるどこかの国の都、大きな街を目指さなくてはと感じていた。
  しかしいまの彼は、親を失ったばかりか視力という人間の根幹的な感覚さえも失ってしまった可能性がある。
  いくら気丈に振舞っていようとも、まだ年端もない少年が気を弱らせるには充分な理由であっただろう。


  (この小屋なら、しばらくは暮らせるかもしれない…)


  多少の食料もある。
  やがて熱は下がり、徐々に本来の体力が体に戻り始めると、アレクのなかの逡巡は強くなった。
  もうしばらく、おのれのなかの《不思議な現象》に確信が抱けるまで、ここに居座ってしまおう。そう心に言い聞かせて。




  心の目…。




  目を開けなくとも、まわりがある程度分かるという不思議な力。
  その魔法にでもかかったような不思議な感覚が本物なのかどうか、彼は時間をかけて見定める必要があった。






  ***






  小屋のなかにあるものすべてを、『観て』、そして手探りで確認する。


  (棒…)


  彼の手が、戸に立てかかったつっかえ棒をとらえる。
  長さは一ユルほど。先の小口から水を含んで、腐りかかっている。
  アレクは棒を手放し、今度は足元に転がったレンガのかけらを拾い上げる。つなぎ材の漆喰がこびりついたそれは、わりと大きなかたまりである。彼の手は、その重いかたまりの重心らしきところを難なくとらえて、持ち上げることができた。
  次に壁にしつらえられた棚に手を伸ばす。板切れを支えただけの粗末なそれは、指ふたつ分ほどの厚みを持っている。その上には、割れた器が朽ち果てて転がっている。
  大体あっていることにアレクは自信を深めた。
  小屋の中の構造は、土間と休むための小さな板の間。
  奥の戸を開けると、そこにはかつて炭を焼くための窯があったのだろう。すでに崩れ去ったレンガの残骸が山になっている。
  いくつか拾い上げてみて、彼はすぐに興味を失った。そのまま外に出ると、三歩ほど歩いて立ち止まる。
  その先は、傾斜のいささかきつい雑草の生い茂る斜面だった。
  そのまま立ち尽くし、周囲の風景を心の像として描くことに集中する。
  小屋のまわりの地形は、彼が街道から伝いあがってきた沢から上がった少し高い場所にある。平地と斜面、それに岩がちの崖のようになった箇所もある。心の像を信用できなければ、その起伏を恐れず踏破するのは相当な難事であったろう。
  少しでも躓けば転落の恐れはあるし、沢近くの岩場に頭でも打ち付ければただではすまなかったろう。鋭くとがった潅木や棘の鋭いツタもそこここに点在しているようである。
  はじめはおっかなびっくり、斜面をつたって沢まで降りる。
  丸い大きな岩に登り、点在する岩を伝って沢の反対側へと渡る。一度足を滑らせて転んだが、幸いに小砂利の上に背中を打ち付けるだけで済んだ。そしてだんだんと慣れてくるにしたがって、足の動きを早くした。


  (いけるかな…)


  まだ岩肌のコケの有無や、水の存在など、外形的にとらえにくいものに対する認識は甘かったが、概して問題はなさそうだった。自信を取り戻したアレクは、行動範囲を拡大していった。






  一日、一日と行動半径をじりじり広げていく。
  『心象』とでもいうべき心の中の風景を頼りに、走ったり歩いたりする間、ついでとばかり小刀を振るう。
  感じた小枝を断ってみたり、沢の小ガニを突いてみたり、ツタについた得体の知れない実を割ってみたり。気の赴くまま、アレクは小刀を振り回した。
  訓練を開始して三日ほどもすると、周辺の森一帯が彼の行動範囲となっていた。歩きやすい沢や人道、少々歩きにくいが通れないこともない獣道なども数日後にはおおよそ把握した。
  彼は行く先々で、いくつかの木の実を発見した。すぐに食べられそうな木苺や、水にさらしてあく抜きしなければならない硬い木の実、傭兵団の野営でよくお世話になった山菜をいくつか。
  これでしばらくは生きていかれる。


  (今度来るときに、袋を持ってこよう)


  森の小高い丘の上に見つけたひらけた草の原で、彼は傭兵団時代に父に教えられた剣術のおさらいをした。足元が平らなここならば、歩法の訓練に向いているかもしれない。


  (こんなことになるなら、もっと一生懸命訓練をしておくんだった…)


  後悔は先にはたたない。
  傭兵たちは、自分の子供たちに後を継がせるべく、各地で拾い集めた剣術を我流でまとめた《傭兵剣法》のようなものを教えていた。同郷出身者ばかりの傭兵団の補充人員は、おおむね彼らの子供たちであった。
  アレクも父親にみっちりとしごかれたクチであったが、ほとんどの子供がそうだったようにもっぱら訓練よりも遊び仲間とのチャンバラごっこに熱心だった。
  傭兵団の子供たちの序列は、まさにチャンバラの強さで決まっていたから。
  アレクは同年代に敵はいなかったが、初陣前の子供のなかで一番年上のヤツにはなかなか勝てなかった。そいつの使う剣法は、不思議な足捌きを多用する東方風のもので、《オークウッド旅団》団長手ずから教え込んだ剣法だった。


  (旅団最強の団長と互角に戦えるのは、父さんしかいなかった…)


  腕自慢の父に手ほどきされた剣法をちゃんと身につけていれば、彼はもっと強くなっていたはずだった。
  一生懸命思い出そうとしても、型をいくつかしか思い出せない。




  左足を半歩前に。
  重心は右足。
  構えは中段。




  右足を静かに振り出しつつ、わずかに振り上げた剣をすばやく相手に突きこむ。
  初撃の刺突。




  《ハヤブサの型》というらしい。
  振り出す足の動きを相手に悟らせないのが不意を突くコツだという。




  もしもかわされたときは、そのまま足さばきで左右どちらかに回りこむ。
  基本は利き足を軸に、円を描くように。
  攻撃の角度をずらすことで、敵の隙を突く。
  《円の歩法》という。






  練習で使った木剣と鋼の小刀では、持った感覚が明らかに違う。いまはまだ鉄の重さに振り回されている感じである。
  しかしその違和感にも慣れてきた。そのうち普通に小刀も扱えるようになるだろう。
  次におさらいする型は…。
  そのとき、ぽつぽつと雨が降り出した。
  見上げると、山間の空にどんよりとした暗雲が垂れ込み始めている。


  (雨…)


  地方領主の領土がパッチワークのように複雑に入り組むこのヘゴニアと呼ばれる地方は、季節によってまとまった雨が降る。
  ふと記憶が刺激される。
  ほんの二、三年前のこと。
  わらを束ねた雨具に身を包んで、大雨の泥のなか駆け通して戦場を逃げ出した《オークウッド旅団》の泥まみれになった負け戦。
  天の底が抜けたように、雨が激しく降り出した。
  決まった屋根を持たない難民にとって、雨は生存を脅かす危険な存在である。雨が降り出すだけで、炭焼き小屋という住処を持つアレクも心がそぞろになった。
  体温を奪われることは、たやすく死につながる。
  雨をよけて走りながら、アレクは思った。


  (はやく……なんとかしなくちゃ)


  傭兵しか、たつきの道を彼は知らない。


  (傭兵団に入るには、もっと剣の腕を磨かなくちゃお話にもならない。腕のない愚図の傭兵は、単なる肉の壁にしかならない)


  目が見えない弱みも、人に知られる前に克服しなければならない。
  めしいにいくさができるのかと普通の人間なら思う。たぶん彼自身が評価する側であっても、同じ疑問を呈することだろう。
  いまは、彼が評価を待つ立場だ。


  「なんとかしなくちゃ…」


  声に出して、彼はつぶやいてみた。






  日が落ちて暗くなったあとは、小屋の前でひたすら素振りを繰り返した。




  振るう。
  振るう。




  少しずつ、少しずつ振り抜きが速くなるように。




  振るう。
  振るう。




  アレクの振るう小刀は、心の闇を刻み打ち払う。








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