『戦え! 少年傭兵団』
第4章 『子供たち』
雨が降り始めた。
季節の変わり目であったのか、二、三日もすると一日じゅう雨が降り続く按配になった。うっとうしい雨が、何日も降り続く。
日がな一日、小屋の中で素振りに打ち込んでいたアレクであったが、食料の枯渇が彼をそのうっとうしい雨のなかに出て行かざるをえなくさせた。憂鬱さを打ち払い、アレクは雨中へと飛び出した。
「あっ…」
見つけたのは偶然だった。
たまたまわずかな木の実を探して茂みに分け入ったとき、アレクは間抜けな声を上げた。
彼の声に気づいたのか、四対の目がこちらのほうに向けられた。
(あいつら…)
何日もひとりで過ごすうちに、この森には自分以外いないという錯覚にとらわれていたのかもしれない。むろんそれは大きな誤解だった。
(まだこの森にいたのか…)
四対の眼差しが、接近した彼を凝視していた。
先日、彼が追い払ってしまった小屋の先の住人たちだった。
草むらの奥にあった、狭い岩屋。
土のなかから洗い出されたような大きな岩のかたまりの、こぼたれたその狭い隙間に、子供たちが肩を寄せ合って震えていた。
満足に雨もよけられないそんな岩屋に、ぬれた体を寄せ合いわずかな体温を分け合う子供たち。思わず見つめてしまったアレクは、おのれの不思議な『視覚』に由来するのだろう新たな違和感に気付いた。
(なんだ…)
ひそひそと、ささやき声が彼の脳裏に沁み込んでくる。
ヤツダ。
ボクラヲオソッタヤツダ。
そうしておのれの視野にある子供たちのまわりから、赤色の湯気のようなものが立ち上っているのが見えた。色つきの世界を失ったアレクの目に、それは生気を失った死体から流れ出る血を見てしまったときのように不必要に色鮮やかに刻み込まれる。
コワイ。
コワイヨ。
コロサレルノカナ、アタシタチ。
まるで姿のない妖精が耳元でささやくように。
一瞬、吐き気がこみ上げる。
数日前まで彼を苦しめてきた病魔が不意に力を取り戻したかのように、彼の平衡感覚を惑わせる。つま先に力をこめて、アレクは踏ん張った。
やめろ。
喋るのをやめろ!
姿なき妖精を追い払うように腕を振り回すアレク。
彼の突然行った奇異な行動に、子供たちはいよいよおびえて身を寄せ合った。
オコッテル。
コロサレル。
コワイヨ。
振り回した腕がイバラの逆棘に引っかかれて、アレクは痛みに冷静さを取り戻した。
彼のなかに芽生え始めた不思議な『眼』は、景色の色鮮やかな精緻さを見られない代わりに、彼らが内に秘めたもろもろの『気配』を視覚の一部のように感ずることができるらしい。
なんだよ、それは。
子供たちのまわりに渦巻く感情の波…。
恐怖。
憎しみ。
空腹。
そして、氷のように心を蝕む寒さ。
岩を滴り落ちるしずくが、ばたばたと地面で跳ねて子供たちの服を容赦なく濡らしている。
彼と同じ、戦災孤児たちか。
アレクはその不幸な子供たちから、住処と食料を奪った。いままさに路頭に迷う彼らをその境遇へと追いやった本人である。
いつも弱者である自分が犠牲者のような気がしていた。
しかしここでは、子供たちが犠牲者だった。
弱い者は奪われ、そして押しのけられる。
無言の呪詛のように突き刺さる四つの視線に、アレクは不覚にも目を合わせることができなかった。
うっとうしい雨が降り続くこの数日、彼はのんきに小屋のなかで小刀を振っていた。その間ずっと、この子供たちはあんなふうに雨に打たれていたのか。
(恨まれてもしかたない…)
ひとりごちる。
そうだ、ここは見なかったことにしよう。
そうしよう。
きびすを返して、アレクは歩き出そうとした。
けほっ。
咳き込む音。
そのとき彼の身体が硬直した。
***
その日の、夜のこと。
夜半にかけて、にわかに雨が激しくなった。
土間に石を並べた手製の竈に薪をくべて、とっておいた乾いた落ち葉を焚きつけにして火打石を打つ。何度か打ち合わせてようやく火がつくと、ふーっ、ふーっと、火勢が強くなるよう息を吹きかける。
弱々しい火が、薪に燃え移るまでしばし。
徐々に小屋の中は薄く火明かりに照らされ、住人たちの影が揺らめいた。
「服はちゃんと絞ったか」
振り向きもせずアレクがいうと、
「うん、しぼったよ」
と屈託ない応えが返ってくる。
子分その一、レント(11)がフルチンでおのれの汚い服を広げて振って見せた。
四人のなかで一番がたいのでかい子供であるが、体が大きいとあそこは小さいという生きた見本であることについてアレクはあえて言及はしなかった。前歯が一本欠けていて、歯を見せて笑うと悪たれ風で愛嬌がある。
「でも寒いよ。うぅ〜っ」
ぶうたれる子分その二、アルロー(9)は、自分の肩を抱いて全身でブルっている。しゃがむ姿はまるで冬場の野猿の子供のようであったが、鼻水を盛大に垂らしているあたり猿の仔よりも弱そうに見える。
「ねー、そこに行っていい?」
子分その三、アニタ(9)がアルローの横ですくっと立ち上がる。こっちも真っ裸である。着替えの服がないから仕方がない。
本当は彼らに寝袋代わりの外套を貸してやりたかったのだが、その唯一といっていい暖かそうな防寒着は、現在板の間で丸くなり震えている子分その四、ルチア(8)の寝床になっているから仕方がない。
放っておくと病気で伏せるルチアの寝床にもぐりこみかねない子分たちを集めて、石竈のまわりに座らせる。わずかに温かみを放ち始めた火に、子供たちの顔から不安げな色が消え去った。
「あったけー」
「指先が痛いよ」
子供たちの様子に、アレクはほっと息をついた。
子供たちの一人が、病気になっている。
咳き込むその様子に、アレクはすぐさま決断した。
気を取り直して「いまからそっち行くぞ!」と宣言して、がさがさと枝を掻き分け近づいて行く。
アレクの接近を察知した子供たちは岩屋から逃げ出そうとしたが、咳き込んだ幼女がしゃがみこんで苦しそうにしだすと、彼らは逃走をあきらめて、なんと『闘う』ことを選択した!
唖然としたのもつかの間。
咳き込んだ幼女の容態を考えると、一刻も早く雨の当たらないところで寝かさなくてはならない。
食料集めのつもりで小刀を持っていなかったアレクではあるが、子供相手などその辺の枝で充分である。子供たちの抵抗を枝で軽々といなして、あっけなく彼らを制圧した。
「痛いよ〜ッ」
「殺さないでよ〜ッ」
泣き出す子供たちをほって置いて、アレクは病気の幼女を抱え上げ、歩き出す。その体は火が噴いたように熱かった。
アレクが歩き出すと、子供たちもその後をついてきた。仲間のことが心配だったのと、この敵が彼らにそれほど害意を持たないことを理解したのだろう。
アレクは傭兵団にいた頃の子供社会を思い出して、彼らにわかりやすい今後の枠組みを提唱した。
「お前ら、これからオレの子分な」
「ええ〜ッ!」
不平の声が上がったが、そんなものはお約束である。
力関係がたやすくその上下関係を決定する。この中で強さはアレクが圧倒的なのだから、リーダーになるのは仕方がない。
口をとがらかす子供たちであったが、その顔に生気がよみがえっていたことをアレクは知らなかった。
こうしてのちにお子さま傭兵団『アレク党』の核となる集団が形成されるのだが、むろんこのとき彼らにそのような自覚はなかった。
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