『戦え! 少年傭兵団』
第19章 『邂逅』
(…せまい)
ベッドのなかで、アレクはひとりごちた。
慣れない仕事に疲れ果ててベッドにもぐりこんだのが夜も更けてずいぶんとたった頃。兵舎のマイルームに帰還したアレクは、過密状態の人口が作り出すカオスを目の当たりにする。
灯明などという恐ろしいほどのぜいたく品を消耗する習慣など貧乏人にあろうはずもなく。夜更けとともに活動を停止する彼らのなすべきことは、『就寝』以外にはない。
すでに領土分割の済んだらしきベッドの隙間に分け入り、押したり転がしたり努力を重ねた末に獲得した彼の『領土』。
アレクは痛い背中をかばいながら、うつぶせのままため息を漏らした。
背中の傷はだいぶよくはなっているものの、寝る体勢は基本的に『うつぶせ』にならざるを得ない。
アレクは、寝苦しさから定期的に体を横に向けるのだが、そこにはレントのだらしない寝顔がよだれを垂らしている。
まだ11歳であるのだが、親から譲り受けたのかガタイだけはすでにアレクの胸ぐらい、肉付きではあっさりと凌駕していたりする。しかも寝相が悪いものだから、えらくスペースを食っている。レントの『領土』はアレクの右隣である。
余計に圧迫感を覚えて、アレクは体を反対向きにする。
するとそこには、大口を開けて豪快に眠るアニタの寝顔があった。まだ子供とはいえ女の子を隣に寝せるのは抵抗を覚えたのだが、ベッドの下段にはルチアを抱きかかえるようにリリアが寝息を立てており、彼の中の倫理委員会は下段の使用を厳しく戒めていた。
アニタはこちらの怪我などお構いなくしがみついてくる癖があったので、時折背中を攻撃されて痛みで眠りから引きずり起こされることがあった。
(家主が一番寝苦しいって、どうよ…)
アレクはぐずぐずと悩んだ挙句、ひとり静かに敗走することにした。
もぞもぞと起き出して、頭を掻きながらベッドを降りる。
「水でも飲んで…」
井戸に行きがてら気分を入れ替えよう。そうだ、ついでに素振りでもしてみるか。傭兵団に来て数日、シェーナに使い倒されてまともに鍛錬をしていられなかった。
服を着て、立てかけてあったボロの中剣をとる。
そのついでに、姿の見えないアルローの様子を伺う。この洟垂れのちびすけは、ベッドの下の埃っぽい空間をいたく気に入ったらしく、「ぼくここでいい」とひとり地下世界の王となった。もともとチビでやせっぽちなので、その狭さも苦にならないらしい。水に潜って盗賊を襲う作戦を提唱したことを思い出し、「こいつ、暗殺者向きだな」などとアレクは思ったりする。まだ夢も希望も大きい子供にそれを言ったら、相当にショックを浮けるだろうが。
小刀も持って行こうかと迷うが、素振りだけなら重い中剣を振ったほうが訓練になる。まだ重たいと思うその中剣を肩に担いで、アレクは廊下に出た。
真っ暗だと思っていた廊下が、一箇所の小さい燭台で申し訳程度明るさを保っている。贅沢をしているというよりは、不測の事態に混乱しないようにという配慮であるのだろう。
しかも、廊下は無人ではなかった。
「よう、ぼうず」
燭台の下で、剣の手入れをしていたのは同じ第9小隊のボーウッドという四十がらみのベテラン傭兵だった。おのれの得物の手入れを欠かさないのは、よい傭兵の証ともいえる。戦場で武器が折れたら、死ぬのは本人なのだから。
短く刈り込んだ胡麻塩頭は、無数の傷でまだらに禿げている。
「これから訓練か」
「『鍛錬嫌いの半人前は早死にする』から」
「《剣聖リッテン》か。なかなか物知りじゃねえか」
剣を磨く手を止めて、ボーウッドのおやじは通り過ぎるアレクを流し見た。武器を持つ他人が近寄っただけで慎重になるこのベテラン傭兵は、きっとどんな戦場にあっても生き延びるだろう。
廊下にいたのはボーウッドのおやじだけではなく、その横では《投げ刀子》を得手とする女傭兵リゼリアが刀子を砥石にかけている。少々とうは立っているものの傭兵としてはまだまだ若い部類に入る二十半ばほどの女性である。隊長が女性なだけに、隊員も割合に女性比率が高い。
「ア…」
何か言いかけて口ごもる。
目だけが何かを訴えるようにアレクを追うが、それ以上言葉は出てこない。
「アレク」、もしくは「アレっち」とでも言いたかったのかもしれない。極度の言葉足らずで、引っ込み思案なのはもう分かっている。
「リゼさん、今度投げ刀子教えてくださいね」
「………わかった」
廊下には、まだまだ多くの傭兵たちが、いつくるかも分からない非常時に備えて武器の手入れにいそしんでいた。アレクが名前を知らなくても、彼らは新しく雇い入れられた『新米』のことを知っていた。
アレっちの愛称についてはいずれ慣れるだろうが、正直違和感がある。近い年齢ならまだしも、ずいぶんと年長者たちもいて彼らも『アレっち』といわれるのだ。本当の名前を口にすると死神に取り付かれやすいと先代団長が慣習化したらしい。
夜更けの廊下で黙々と武器を磨く人々。
一種異様ではあるが、それだけ《火竜のあぎと団》の傭兵たちの意識が高いという証左でもある。錬度も押して知るべしであろう。
兵舎の勝手口を出ると、外気がひんやりと肌を撫でた。
もうそろそろ冬がやってくる。長く雪に閉ざされる北辺ほどではないが、内陸のヘゴニアは無防備に野宿すれば簡単に凍死できるぐらいには冷え込むようになる。
人気を探して首をめぐらすと、数日前に入団テストを行った百竜長レフ・バンナ逗留の女衒酒場がある。夜半をとうに回っているというのに、嬌声がいまだ絶えていない。
(傭兵の稼ぎじゃ、あんな店には早々行けないだろうな)
《火竜のあぎと団》の報酬は、むろん個々の能力に対する基本報酬、戦闘時などの歩合給などで構成されている。戦闘が始まれば傭兵たちは一気に小金持ちになるが、平時は月に銀貨3枚(銅貨100枚相当)程度しか支払われない。つましく暮らせば家族五人でひと月は楽に暮らせるが、酒食に費やせば一気に苦しくなる。そんな程度の収入である。
(まあ、とりあえずは食っていけるだろうけれど…)
なぜかいつの間にか六人の扶養家族を抱えてしまっている。むろんいつまでも無駄飯を食わせているつもりはないが、このご時勢そうそう簡単に手間賃仕事なんか転がっているはずもない。もともとの市城市民ですら、働き口が充足しているようには見えないのだから、よほどのツテと幸運が微笑まなければ、余所者がこの街で自立するなど不可能であろう。
井戸から汲み上げた水を飲んで、そして顔を洗う。
よし。目が冴えてきた。
王都でもない限り街灯をともしているような街はまれである。あたりは真っ暗なのだが、アレクはかまわず中剣を抜いた。
ずっしりとした鋼鉄の重さが、アレクの気持ちをざわめかせる。剣の重さに不安を感じる限り、中剣を使いこなすなど無理というものである。ムチ打ちのあとで寝込んだことも、彼の筋力を低下させた。
剣を両手に構えて、上段に構える。
ふっと軽く息を吐きざま、斬り落とす。
剣の重さで流れそうになる上体を引きとめて、片足を振り出して、今度は逆袈裟に斬り上げる。
(振り回される…)
舌打ちしつつ、さらに半歩踏み込みつつ。
その剣の軌道を殺さずに、今度は横に薙ぐ。
アレクの心の目は、エデル市城の闇を昼のように見通している。建物の影で素振りするアレクのことなど誰も気付かない。アレクもまったく気にしていない。
一人前の傭兵は、おのれでおのれを律せねばならない。
だれも『腕を磨け』と教え諭さない。一個の大人であるのだから、自由な時間を趣味に費やそうが、遊びに費やそうが、むろん鍛錬に費やそうが本人の意思しだいである。
武器に長じれば、生き残る確率が高くなる。生き残ることに真剣なものほど鍛錬を欠かさない。
この市城で歩哨の任につく《火竜のあぎと団》の傭兵たちは、三直で交代しているから割と自由な時間を持っていることになる。武器の手入れにも余念のない彼らが鍛錬を怠っているはずもないが、おそらくは日のあるうちにそういったことは済ませているのだろう。
アレクはシェーナの従卒になってしまったため、任務の拘束時間が長い。こうやって睡眠時間を犠牲にしながらでないと鍛錬もできなくなるらしい。
(本当は腕のたしかなひとに稽古を付けてもらいたいんだけれど…)
鍛錬の時間が噛み合えば、そういったことも可能であっただろう。今度は無理してでも日中に稽古をやってみようか。
どうやって隊長の目を盗もうか。そんならちもないことを思いめぐらせているとき。
「…誰だ」
彼を見つめる視線を感じた。
アレクはそれを感じた方をじっと見据える。難民たちが身を寄せ合うテント村の方向。城壁の礎石の上に、ボロにくるまって眠りこける人影の間に。
「この暗さで見通すか」
相手が反応した。
おそらく隣で身を丸めている主人の夜番をしているのだろう。剣を抱えて坐っている大きな人影がわずかに身じろぎした。その炯炯たる眼差しが、弱い月明かりを受けて白く浮かび上がる。
(…あのときの……騎士)
ムチ打ち刑を受けた留置場の、ただひと夜の同居人。
《東方の三剣》、ルクレアの守護騎士ゼノは、やくたいもなさそうに苦笑いした。
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