『戦え! 少年傭兵団』





  第20章 『アレクの一日』












  生まれも育ちも、傭兵団の中だった。
  集団の中での生活が数日も続くと、アレクはすっかり《火竜のあぎと団》の気風に慣れたようであった。
  慣れ、とは生活のリズムを身体が覚えること。
  考える前に、体が動くようになった。






  夜も空けきらぬうちに起き出して、顔を洗って身だしなみを整える。第10小隊が陣取る管理室(末番小隊は輜重部隊なので平時は管理業務を主体とする)で洗い置きのタオルを受け取り、兵舎を出る。
  城壁の上で歩哨に立つ知った顔に手を振り軽く挨拶などしながら、兵舎が取り囲む格好になっている西門前の広場にゆく。基本閉じられたままの西門前は、傭兵たちの格好の鍛錬所となっていた。
  見渡せば、彼の上官の姿もすぐに見つけられる。
  第9小隊長、シェーナ・ロブソンの朝は早い。彼女の鍛錬好きは傭兵団で知らぬものはなく、広場のど真ん中で容赦なくおのれの体を苛め抜いていた。
  そばには行くが、すぐには声をかけない。鍛錬の邪魔をされることをシェーナが嫌うからだ。最初の頃はいらぬクチを聞いて彼女の不興を買ったものだった。
  しばし待つうちに、シェーナの鍛錬が終わる。


  「お疲れさまです」


  差し出したタオルを受け取って、体中に浮いた汗をぬぐう。汗で濡れそぼった前髪が額に張り付いて、上気した頬が整ったその顔立ちを息づかせる。見る者が見たならそれを『色っぽい』と言ったかもしれないが、むろんアレクには上官の『強靭さ』しか目に映らない。


  「欲情はしないか?」


  ボリュームのある胸はいっそ無防備というほど緩々の下着で隠されているだけであり、シェーナがわざと上体をかがめればずいぶんと扇情的な絵になる。


  「…いえ」
  「つまらん」


  憮然とした様子で歩き出したシェーナの後を追って、アレクも歩き出す。
  第9小隊の今週の歩哨当番は、朝飯後から昼下がりの間食(3時のおやつみたいなもの)までである。
  シェーナは食事を常に執務室でとる。自分の部屋でゆったり食べるのが好きなのだというが、折り合いの悪いらしい第5小隊長のガレム十竜長と顔を合わせたくないという大人気ない動機だろうことをアレクは察知している。経緯については先輩従卒のユーリに聞いておかなくてはならない。宿題だ。
  上官の食事が済むと、彼も食事のために少しだけ解放される。配給の朝飯を手に入れるためにアレクは厨房の列に並ぶ。傭兵団の食事支給は一日二回。朝と三時の間食のみ。
  朝飯は、たいてい焼きたてのパンとあぶった肉、それに干し果物である。食堂などというものはないので、受け取ったそれを部屋に持ち帰る。その頃には、アレクの扶養家族たちが一堂顔を揃えてにこやかにアレクを迎える。お食事さまを持ち帰る彼はその瞬間神にも等しい敬仰を受ける。まあ、渡してしまうまでのことだが。
  ゆえに、朝の食事でお腹一杯になったためしはない。朝飯の大半は、扶養家族のお腹へと消えていく運命にある。
  つましい食事が終わると、従卒の仕事へと復帰である。そのとき全員が部屋から出て行く。
  大人であるリリアは働き口を求めて。街を回っても埒が明かないのか、今日は伯爵さまの館へとアタックするつもりらしい。是非健闘を祈りたい。
  お子さまたちは、なにやらお手製の怪しげな道具を持って駆け出していく。いわく『お仕事』であるらしい。本当か?
  彼らを見送りつつ、アレクは城壁を登る。西門の内側には、左右それぞれに登るための階段が九十九折れにある。55段。上まで登ると、同じぐらいの高さにあるのは伯爵さまの館ぐらいしかないことが分かる。
  西門の上部は弓兵が潜む狭間を二層重ねた構造で、さらにその上が物見の櫓となる。そこまで登れば、市城で一番高い位置にたどり着く。第9小隊が歩哨の任につくと、シェーナはその櫓の上の椅子にふんぞり返って、隊員を督励するのがきまりだ。その間、たいてい肩を揉まされる。背後に陣取るというのがアレクの得たノウハウであり、シェーナが腕をもたげて『揉んで』と促しても、側面以上には前面に行かない。どうも彼はシェーナに『ペット?』扱いされている観がややあり、突然もよおした彼女に襲われないための知恵である。


  「どうして前にこないの?」
  「隊長の視界をさえぎらないようにです!」などと言い切ってみたりする。正直、膝の上に抱え込まれてなすすべもなく『かわいがられる』と、歩哨の傭兵仲間から生暖かい視線が投げられるのだ。あれが今度のお小姓か。いやいや、オレは傭兵であって春をひさぐ男娼なんかではないのだ。断固拒否する。


  つまらなそうにするシェーナの不興を買わない程度に、彼女の武勇伝を催促する。とたんに舌がなめらかになる上官のおかげで、彼はおそらくシェーナの両親以上に彼女の過去を知る男となったかもしれない。こう書くと大変な接近ぶり、なにかのフラグが立つのではと思ってしまいがちだが、実は単にシェーナが『自慢したがり』なだけである。前任者のユーリもよく彼女の武勇伝に耳を傾けていたのだそうだ。同じような悩みに直面していたであろう前任者に親近感を抱く瞬間である。
  日が中天を過ぎしばらくすると、間食の時間になる。次の当番小隊がやってくるのと入れ替わりに第9小隊はお役御免となる。
  間食はたいていパンとシチューである。シチューの具はほとんど入っていないが、なにより暖かいものに餓えている隊員たちには一番のご馳走である。
  間食はシェーナに給仕したあと、厨房に走って行って廊下で急いで掻き込むことになる。時間がないのと、朝食が少なすぎて空腹がひどいのだ。
  そこから日が落ちるまで、特別シェーナに何かやれといわれない限り士官室の前で立ちん棒である。突然やってくる面会者の取次ぎぐらいの仕事である。
  すっかりと日が落ちて辺りが暗くなった頃合に、市城の閉門を告げる六点鐘が鳴り響き、そこで彼の仕事はいったん終了する。


  「まあお茶でも飲んでいけ」


  シェーナの誘いにうかうかと乗るのは危険である。男としての何か大切なものが壊れそうな危機に見舞われるからだ。丁重に断ってから退出するのだが、たぶんいつまでもその『イケズ』は通用しないかもしれない。シェーナの《従卒》とは、そちらの仕事も込みであったのかもしれない。まあこんなオレみたいなガキを指名した時点で失敗であったろう。




  とまあ、こんな感じでアレクの一日は過ぎていく。






  ***






  日が落ちてからの時間は、彼自身のための時間である。
  失われた一日を取り戻すべく、自然彼の足取りは速くなった。
  まず市城の閉門とともに終了し始める市場に駆け込んで、売れ残りの端野菜やパンを買い叩いて回る。扶養家族を餓死させないためである。一日の予算は銅貨2枚。購入には慎重を期さねばならない。
  食い物を抱えて兵舎に戻ると、勝手口の井戸のそばでリリアが煮炊きの準備を始めている。料理が始まり、それを固唾を呑んで見守るお子さまたち。大分とお腹がお空きのようである。
  料理が整い、そこでかれら『ファミリー』の食事が始まる。間食をとっているアレクは料理に少しだけ手をつけながら、今日一日の出来事を彼らと交換した。
  リリアは伯爵さまの館での求職が難しいことを語った。そんな人間など掃いて捨てるほどいるのだろう、館の使用人頭はけんもほろろであったという。


  「街の外に行って、山菜とか採ってこられたらいいんだけれど、最近盗賊の害が多くて危ないんですって。…アレクくん、傭兵団で煮炊きする下女なんか募集してないかしら」


  働き口を見つけるのは相当に厳しいらしい。
  子供たちは街のなかを流れる水路での『漁』を試行錯誤しているらしい。アルロー主導でお手製の漁具を作っているのだが、いかんせんすでに先客たちがたくさんいて、採る以前に場所とり合戦となっているという。


  「明日は、秘密の場所……試してみることにする(ジュルリ)」地下世界の王様は、鉄格子で侵入できなくされている地下水路に入り込むつもりだという。大丈夫か、お前ら。






  食事が済んで、腹がくちくなった彼らがベッドと友達になるのを見届けてから、アレクはほっとするのもつかの間、ふたたび仕事へと舞い戻る。小隊で一番の新米がやることになっているという、隊員の部屋が集まるあたりの廊下を掃き清める作業があるのだ。これが結構手間で、うるさ型の方々に文句を言われないためには雑巾がけさえ必要な場合があった。
  そうして課せられた仕事に努力を惜しまない新米アレっちの周囲の評価は結構よかったりもするのだが、年の離れた弟を見るように生暖かく見守る同僚たちはあえてそれを口にしなかったりする。廊下に坐り込んでいそいそと武器の手入れに余念のないボーさんも、彼の作業っぷりをニコニコと眺めているだけである。


  「ふうーっ」


  掃除が終われば、本当の意味で仕事は終わりだ。
  もうくたくたですぐにでもベッドにもぐりこみたいところだけれど、未熟者の彼が鍛錬もなにもしないまま日々を過ごすことはある意味自殺行為であった。少しだけ自分のへこみかけた心に空気をいれて、「よしっ」とばかりに日課と定めた剣の鍛錬を始めることにする。部屋から持ち出した中剣を引きずるように勝手口から外へ出る。
  もう辺りは真っ暗である。少し前まで彼らが食事をしていた井戸の回りは、兵舎の物陰にありことさらに暗い。


  「はじめようか」


  突然声がかかった。
  アレクは驚くこともなく、井戸の傍らで腕組みしている人影を観通している。
  《東方の三剣》、ルクレアの守護騎士ゼノが、剣を構えた。
  ゼノの特訓は、夜半過ぎまで続けられる。この特訓の終了を持って、アレクの一日が最終的に終わる。
  アレクの若い体は、ゼノの打ち込みに無意識に身構えた。
  もう、この生活リズムは体が覚えている。








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