『戦え! 少年傭兵団』
第27章 『敗勢』
いち傭兵の立場から、万を超える軍勢の戦いの全貌を知り得ることはほとんどない。
戦いは目に見える戦場ばかりではなく、前線の斥候部隊のせめぎあい、後方の輸送隊の地味な兵站作業、さらには国の指導者たちが全知全能を振り絞っての権謀術数……言葉の剣を斬り交わす外交折衝までも『戦争』の枠組みとしてとらえられたであろう。
地位が上に上がるほど、それらの情報に接する機会は増えていく。
アレクのような下っ端には周囲の様子しか分からなくても、小隊長のシェーナにはエデル伯爵私家軍のおおよその動きが分かっているようだし、《火竜のあぎと団》3番隊長レフ・バンナは度々雇い主である伯爵から帷幕に呼ばれていて、同盟軍の意向方針などを伝えられているに違いない。
最初に敵と剣を交えてから3日。
戦線はずるずると後退し、当初はマリニ公国との旧西国境付近でぶつかり合ったものの、当たっては後退、防戦しては撤退、戦意を急速に失いつつも闇雲に突撃しては撃退され、体勢を立て直すと言ってさらに大きく後退。
ついに戦線は《大アラキス同盟》諸侯が会同したウント子爵領まで見事に後退していた。
戦場でのいち兵士でしかないアレクには、「どんだけ後退」という印象である。剣を振るうよりも、背中を見せて逃げ惑っている時間のほうが圧倒的に多い気がするのだ。
「こりゃ、負けいくさだな…」
縁起でもないことをボーさんがのたまうと、それを注意するどころか乗ってくる連中が多い。
「おまえどんだけクビ取ったんだ? おりゃまだ銀貨の一枚も稼いじゃいねえぞ」
「わしだってまだ騎兵ひとり殺っただけだ……んなことよりも、このままじゃひょっとするぞ。大どんでん返し…」
そうなのだ。
いま一番《火竜のあぎと団》が心配していること。
雇い主の破産。
『エデル伯爵』という封建領主は、現在その地位を誰に保証されているわけでもない。アラキス王国は滅び、その王家の末流の小娘を奉じて「まだ滅んではいない」と主張する《大アラキス同盟》も所詮は諸侯の寄り合い所帯に過ぎず、本来国から下賜される貴族の禄もなければ、その身分に対する王家の保証もない。
つまりは、その領地を治めていたという既得権にだけすがっているのである。領地を失えば、むろんエデル伯爵家は没落貴族となりおおせ、めでたく破産と相成る。
破産 = 報奨金はチャラ
という構図が成立する。
(それは勘弁してほしい…)
アレクはすでに、騎兵ふたりをしとめている。攻勢に出ることのないエデル伯爵私家軍が接する敵勢力はもっぱら飛び込んでくる軽騎兵であり、傭兵たちの戦果はもっぱらその騎兵の首の数となる。
報奨金は、銀貨2枚。所持金の厳しいアレクには失うわけにはいかない報酬である。ここはぜひとも同盟軍に一念奮起してもらって、敵軍を押し返してもらうしかないのだが…。
後退を続けているものの、いまだ《大アラキス同盟》は9000前後の兵数を維持しており、増援のないマリニ公国をまだ上回っているという噂である。いまからでも各領主軍の兵力を統合して、騎兵は騎兵、槍兵は槍兵として一体的に運用できればまだまだ勝機はあるはずだった。
「まあ、そりゃ無理だな」
「無理ですね」
アレクの主張にボーさんとユーリが首を振る。
ことはこんなにも単純なのに、なぜそれを同盟軍が実行できないのか。
「《同盟》とかいいながら、あのお偉方はお仲間同士でずっと腹の探りあい。ようするに、だ〜れも朋友を信じちゃいないんだよ」
やれやれといった感じでユーリが肩をすくめて見せる。やれやれどころじゃないんですけど!
初陣のアレクにとって、このいくさは非常にタフな現場だった。
走って、走って、走りまくる。
斬って、振り回して、弾き返して。
騎槍を避けて、矢をかいくぐり、死体にけつまずいて泥にまみれて地面を転げ回った。
打ち身捻挫に脳震盪。一度は騎馬に撥ねられて意識を刈り取られたこともあった。いままで生き残ったのは運であると自分でも言い切れそうなぐらいの過酷さである。
休息を要求する体を引きずって、伯爵の下知にしたがって戦場を駆け回った。装備不足が返って彼を救ったきらいもある。重い防具を身にまとっていたら、早々にへばって敵の餌食にされていたかもしれない。
ともかく。
彼が死に物狂いでここまで生き残ってきたことは間違いなかった。それは雇い主の『報奨金』で評価され報われるべきであると思うのだ。
(伯爵が、破産…?)
その可能性を想像しただけで、アレクは唖然とするしかなかった。
《大アラキス同盟》の戦陣では、異様な空気が漂い始めていた。
「嫌な感じ…」
リゼさんがぼそりとつぶやいて、何かお守りのような印を切り始める。アレクは負けいくさ独特のくすぶったような友軍の戦意を感じて、不安げに戦陣を見渡した。
「この地は絶対に死守するのだ! 後退するものは見せしめに斬首する!」
お隣のウント子爵の陣では、聞いているだけでやる気が失せるようなことを騎士たちが触れ回っている。ここを退いたら子爵領はマリニ公国の軍勢に飲み込まれる。つまりはウント子爵の没落が確定するわけだが、雇い主が常軌を逸し始めると、自然と雇われに過ぎない傭兵たちの表情から色が抜け落ちてゆく。破産したら報酬はゼロなのだから、彼らにしてみたら「やってられない」というところであったろう。
同盟軍の領袖たちの中ではすでに確執が表面化して、撤退を主張する北部領主と、徹底抗戦を主張する南部領主とが主導権争いを演じているらしい。その結果、及び腰の北部領主軍が後衛的な位置へと引っ込んでしまった代わりに、南部領主軍が前面に軍を展開する状況である。
アレクの所属するエデル伯爵私家軍は、めでたくも左翼軍の最前衛という特等席に陣取る羽目になっていた。
ああ、敵陣がよく見えるや。見晴らしがよくてもまったくうれしくはないのだけれど。
「高い金を払っているのだ。貴団の勇戦を期待している」
騎士のお供を従えたエデル伯爵が、団を監督するレフ・バンナを捕まえてそんなことを言っているのが耳に届く。たいして大きくはない声なのだが、陣が静まり返っているものだから意外とよく届いて来る。
「おれらも、閣下の財産保全能力に期待してるぜ…」
ぼやく声が伯爵の耳に届いたのかどうか。伯爵が地団太を踏んで、いろいろとまくし立て始めたが、誰も聞く耳を持ってはいなかった。
おそらく戦いが始まれば、彼らはエデル伯爵の愚かな命令のもとに敵陣へと突撃させられるのだろう。敵の戦意をくじくことが目的だとのたまわれても、被害者意識のもたげ始めている傭兵たちには『人減らし』して報奨金の支払いを圧縮しようとしているようにしか考えられなかった。
払暁…。
ほとんどまんじりともできなかった夜の暗がりが地平のかなたへと追いやられようとしている。戦場とされた麦畑は、軍勢に踏みあらされてあぜ道さえも形が分からなくなる有様である。
どうせここまで後退したのだから、いっそのことウントの市城に立てこもって篭城戦でもやればいいのだ。そうすれば散々に苦しめられている騎兵の突撃から守られるし、矢だって届かなくなる。
ところがそれもかなわない。ウント子爵が野戦を主張して譲らなかったらしい。城に入れたら大勢の『領主』たちを歓待せねばならなくなるし、エデル伯爵家よりもさらに領地の少ないウント子爵家にそんな余裕などありはしないのだろう。
ウント領の耕作地のはじとなる森の際から、マリニ公国軍が緩やかに前進を開始した。彼らも市城に立てこもって篭城されるよりも、同盟軍がばかみたいに野戦にこだわっている間に勝敗を決したいに違いない。
「突撃せよッ!」
「突撃せよ〜ッ!」
伯爵の命令を、側近の騎士が大声で復唱した。
ほとんど表情のないわれらが大将レフ・バンナは、表情の抜け落ちたいかつい顔を部下たちに向け、戦場で鍛えられた胴間声を放った。
「全隊、前へ!」
レフ・バンナの人馬が、先頭を切って駆け出した。
それに引っ張られるようにして、《火竜のあぎと団》が前進を開始した。
「これが最後の殴り合いだ」
ボーさんのつぶやきが耳に入る。
たしかにウント子爵領が抜かれるようなことになれば、南部領主たちは迷わず自領防衛へと舵を切ることだろう。それで戦線は崩壊である。
アレクも同僚たちと肩を並べて走り出した。
ゆっくりと、歩くよりも少しだけ早い程度に。
全力を出し尽くしたら、あとで逃げるための体力がなくなってしまう。
末端の傭兵たちが逃げることを想定し始めた時点で、このいくさは負けが確定していた。
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