『戦え! 少年傭兵団』





  第28章 『負け戦』












  それは予定調和のようにやってきた。
  とめどなく流し込まれたワインが杯からあふれ出す瞬間。もうそれ以上入れたらこぼれてしまうことが分かっているのに、神なるそそぎ手は薄ら笑いを浮かべながらビンを傾け続ける。
  そうして、赤い液体が無情にもあふれた瞬間。
  《大アラキス同盟》の兵士たちの耐えに耐えた心が折れた。






  自領防衛の最後の望みとばかりに真っ向から敵陣へと突撃したウント子爵の軍勢が、左右から流れ込んできた敵騎兵によってまさに鎧袖一触、蹴散らされ揉み潰された。愚かな主人を持ったばかりに、子爵領の騎士兵卒たちは逃げることさえ難しい敵陣の中、血煙を上げて地に沈んだ。


  「負けだ!」


  誰かが吐き捨てた。
  そこここで、兵士たちのあえぐような嗚咽が洩れる。
  『敗北』という避けえない現実が、アラキス人たちにつき付けられた瞬間であった。






  同盟軍の前衛が崩れたった。
  南部領主たちは同盟の総体としての勝利よりも、自領防衛という目先の保身を優先した。確たる戦術もなくすりつぶされるだけの愚かな戦いになど未練の欠片もなく、彼らはそれぞれの目的地へと転進した。
  領主個々の兵力などたかがしれている。百やそこらの兵で自領に立てこもったとしても、とうてい守り抜けるとは思えなかったが、もはやそんな損得を勘定できるような冷静さは持ち合わせていないのだろう。
  前衛が崩れ立つのを見て、後衛の北部領主たちも「それ見たことか」とばかりに整然と撤退を開始した。
  9000を超える陣容が、またたくまに霧散してゆく。
  戦況を眺めながら団員たちを戦場の左翼に旋回させていたレフ・バンナは、戦うまでもなく崩壊を始めた同盟の姿を見て、振り上げた大剣をぐるぐると回した。
  それは『転進』の合図だった。
  すでにエデル伯爵とその側近たちを乗せた馬車は、尻に帆をかけたように戦場を離れつつある。雇い主はもはやこの戦いに勝利がないことを見越したであろうに、傭兵たちに撤退の指示はついになかった。彼らを見殺しにすることで支払いを少なくしようと言う腹がみえみえであった。


  「こうあからさまだと感心しちまうね」


  シェーナが嘆じて、馬首をめぐらせた。


  「…というわけで、これからエデルに戻って伯爵を首根っこ掴んで逆さにして振ってやる。持ってるもんは小銭でも回収するよ」


  マリニ公国がここまでヘゴニアを食い破ったのは、むろんその領土化が目的であっただろうが、戦乱続きで田畑が荒らし尽くされたヘゴニアにそれほど魅力があるとも思えない。おそらく大陸を大きなチェス盤とする王侯たちの目に見えないゲームがあるのだろうが、アレクにはその目的が皆目見当もつかない。


  「ウント子爵領が…飲み込まれたら、…次かその次には……エデル伯爵領らしい」


  第8小隊の隊員が話し合っているのが耳に届く。
  走りながらなので途切れ途切れだが、情報に餓えている傭兵たちの多くが耳をそばだてている。


  「ウント、エデルと行けば、その先にはあるだろう。あの…」
  「「「ゴア銀山か!」」」


  数人の隊員が同時に解答にたどり着いたのか、声が重なった。
  そこまで聞いて、アレクにもようやくこのいくさの成り立ちに想像をめぐらすことができた。


  ゴア銀山。


  大陸有数、とまではいかなくともアラキス王国の国庫を支える一助となってきた銀山が、エデル伯爵領を抜けたその北にある。王家の直轄となっていた鉱山だが、今は王国崩壊後のドサクサでそれなりに有力な侯爵だか公爵だかが私有化してしまっていると聞いたことがある。


  「あそこはたしか採れる量が減ってきて、閉山の話もあるようなところだぞ」
  「それは噂だろう。いま銀山を私物化してるセンゲル侯爵はずいぶんとはぶりがいいというからな」


  アレクはおのれの脳内地図を照らし合わせて見る。
  アラキス南部・ヘゴニア地方は、いくつかの領主を残してほとんどの貴族が没落している。生き残っている領主はほとんどがその地方の北辺にある。南部は壊滅状態だ。
  ヘゴニアの北西にあるゴア銀山は、エデル・ウントの領を含む五つほどの同盟領主の領地を抜けた先にある。その五家が兵を合わせたところでマリニの精兵に抗うことができるとも思われない。マリニ公国がその銀山を目指すのなら、事実上この五家は没落が確定したということである。


  (はぁ〜、報奨金欲しかったなぁ…)


  気落ちするアレクの足が遅くなると、後ろからリゼさんにつつかれた。


  「あるうちにふんだくる。だから急ぐ」


  アレクはリゼさんの割り切ったしごくまじめな眼差しに会って、苦笑しつつもため息をついた。


  (無駄骨にさせないために、伯爵に追いつかないと…)


  すでにレフ・バンナと全員騎乗の第1小隊の姿がなくなっている。全力疾走中の伯爵の馬車に人の足で追いつくことは難しいし、馬で先行したのだろう。
  たしかに伯爵を先に市城に帰しでもしたら、城門を閉ざして《火竜のあぎと団》を締め出してしまうかもしれない。さしもの《火竜のあぎと団》とて、たった百人で五十人の守兵がいる城市を落とすことは不可能だろう。伯爵を捕まえないと泣き寝入りするはめになるのは《火竜のあぎと団》のほうなのだ。
  幸いにして、伯爵の動向をうかがっていた抜け目ないレフ・バンナの動きが迅速だったおかげで、程なく彼らに停止させられた伯爵の馬車が発見された。
  使い捨てようとした傭兵に詰め寄られて、伯爵は青くなって震えている。レフ・バンナの指示で第1小隊の二人が馬車に乗り込んで、市城までの道行き監視に入るようだ。まあ、当然の処置か。
  没落間近の貴族というのは、観ていて切なくなるものがある。普段は偉ぶって下の者など目に入らぬように振舞っているのに、一度落ちぶれれば生活能力のない貴族など鉄板で食い詰める。召使いに使っていた者にさえ唾を吐かれて通り過ぎられそうである。
  とりあえずは、多少なりとも報奨金は貰えるのかもしれない。
  アレクはエデル市城までの二日ばかりの行程を、ただそれだけを救いにがんばれそうな気がしたのだった。






  だが人生というものは、いろいろ『波乱』という名のイベントを用意しているものなのだろうか。
  森を抜け、エデル市城を目の前にした《火竜のあぎと団》の面々は、その光景に唖然とした。
  燃えていた。
  市城が、炎上していたのだ。
  馬上でレフ・バンナが舌打ちするのが聞こえた。不安にざわめく隊員たちの背後で、伯爵が悲鳴を上げてへたり込んだ。その耳障りなわめき声に顔をしかめながら、隊員たちは頭の中で伯爵の敬称に『元』を刻印した。


  「ありゃあ、マリニの別働隊か……どうりで数が少ないと思ったんだ」


  ボーさんは顎鬚をしごきながら、いろいろと今後の展開を想像しているようだったが、もともと軽佻さのないボーさんがかくたる根拠もなく憶測を口にするはずもない。
  《火竜のあぎと団》を統率するレフ・バンナは果断だった。


  「エデルに置いてきた物についてはあきらめろ! われわれはリュベックの本所に帰還する」


  多くの者たちがエデルの兵舎にいろいろな所持品を残していたであろう。だがレフ・バンナの強い眼光にさらされて異を唱えようとする隊員はいなかった。


  「ひっ、ヒイィィ!」


  エデル(元)伯爵さまが、傭兵たちにまさに身包みはがれた。
  身に着けた貴金属・宝石ばかりでなく、造りの高価そうな甲冑や馬や馬具、さらには仕立のいい下着まで剥ぎ取られるさまを見ていても、側近の騎士たちは身じろぎもしなかった。領地を失った時点で伯爵はすでに彼らの主君ではなくなっていたのだ。むしろ下手にかばい立てをしたら、気の立った傭兵たちに彼らまで見ぐるみ剥がされかねない。
  馬車の中からは、非常時の軍資金であったのだろう金貨を数十枚発見して、負けいくさの癖にこのときばかりは《火竜のあぎと団》の傭兵たちも顔を輝かせた。
  報酬を回収したからには、こんな危険な土地に長居は無用である。
  哀れパンツ一枚の姿になった(元)伯爵さまと茫然自失の騎士たちを残して、《火竜のあぎと団》は東の地を目指して動き出した。《火竜のあぎと団》の本拠地である城塞都市リュベックは大陸の東にある。


  「アレっち…?」


  リゼが声を漏らした。


  「オレ、迎えに行かなくちゃ…」


  アレクは顔色を失ったまま、黒煙を吐き出すエデルの市城を見つめたままだった。
  市城には、女子供5人の家族を残している。


  「もう無理」
  「それでも、いかなくちゃ…」


  止めようとするリゼの言葉を振り払って。アレクは森の道を市城へと向かって漂い出した。


  「ぼうや。団を抜けるのかい?」


  その様子に気付いていたシェーナが、馬上から問うた。


  「命令に従わないのなら、この場でクビだよ」


  上官からの最後通牒。
  アレクは立ち止まり、シェーナを振り返ってから、いまにも泣きそうなほど顔をゆがめて、「でも、いかなくちゃ」と言った。
  シェーナはそれ以上、慰留しようとはしなかった。所詮は半人前、まだそれほど役に立つほどでもない子供にそこまで期待はしないというように。


  「褒賞だ」


  シェーナが指で弾いたコインを、アレクは胸で受けた。
  銀貨2枚。敵の騎士二人の命を対価に彼が稼ぎ出したお金。
  アレクはその銀貨を握り締めて、未練を振り払うように走り出した。銀貨を懐にたくし込み、その眸は前方の市城に食い入るようにそそがれる。
  もうアレクは、切り替えていた。
  団での安定した生活よりも、家族の命のほうが断然上である。
  どうやって市城にもぐりこもう。
  どうやって家族の命を救い出そう。
  アレクはめまぐるしく思案した。








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