『戦え! 少年傭兵団』





  第29章 『大切なもの』












  すでに、エデル市城は陥ちていた。






  アレクは多くのマリニ人たちを見た。南の街道に面する正門の前に、うずたかく積み上げられてゆく略奪品。まるで働きアリのように次々と絨毯や調度品、装飾品の数々を指揮官に言われるまま放り出す兵士たち。
  泣き叫ぶ市城の住民たちに暴行をくわえる傍ら、その指や耳から貴金属を抜き取ることも忘れない。ひるがえるマリニ公国の紋章旗、羊と角笛を縫いつけた大きな旗が、エデル市城の所有者が変わったことを余所者に知らしている。
  市城の周りをうろうろするのも命がけだった。槍を構えて城壁の上で見張りに立つ兵も多く、市城の周りにも屯所を設けて警戒を続ける守兵の姿もあった。
  ときおりその話し声が聞こえるぐらいに接近を許して、肝を冷やすこともたびたび。


  「…おれらぁも中に入りてぇなぁ」
  「とんだ貧乏くじだぜよ。これじゃあ中の女どもは全員《仕込み済み》になっちまわあ」


  話しの内容を聞いただけで、アレクの裡に強烈な殺意がもたげてくる。
  いくさで負けた国の領民は、勝ったほうの好きにできるのが当たり前、突然所有権の移った財物となんらかわるところがない。金銀は残さず奪われ、女は片っ端から犯される。規律正しく住民を守るような軍隊など、アレクはいまだかつて見たことがない。
  兵士たちから発される『血臭』と『獣臭』が、ある意味いくさの匂いであるのかもしれない。リリアなどは見かけ次第襲われるだろう。アレクには理解できないが、若い男や子供にまで獣欲を向ける輩さえいる。もしも家族に手を出したやつがいたなら、アレクは無論許しはしない。一寸刻みにして殺してやる。
  半日かけて市城の周囲を歩き回り、侵入する隙を見つけることができなかったアレクは、頭の中に組みあがったひとつの作戦を実行すべく、おのれの身に着けた剣や防具の類を脱ぎ捨て、森の土中に埋めた。


  (たまたま町を出ていた『領民』の子供が、あわてて市城に戻ってきたらいくさが始まっていて、締め出しを食ってしまった……オレはよくいる運のない『領民の子供』…)


  なんでこんなことに命がけになっているんだろう。
  心のどこかで、冷静になれよとささやく自分がいる。子供たちとはけっして血などつながってはいないし、彼自らが求めて共同生活を送るようになったわけではない。弱い者たちが群れておのれの身に迫る危険を少なくする。そんな関係にしか過ぎないというのに。


  (…もう団にも戻れない)


  せっかく手に入れた傭兵団での居場所を、彼は投げ捨ててしまった。
  心の片隅で、それを悔いる自分がいる。
  ようやく手に入れた未来へと続く道を、おのれから踏み外してしまった。


  (あいつらが無事かどうかも、誰も保障してくれない…)


  でも。
  マリニ兵たちがひたひたと、兵舎に潜む子供たちへと近づいていると想像しただけで、胸が張り裂けそうに痛くなる。そんなのは認められない。許すことができない。


  (アレク兄…!)


  追い詰められた子供たちが悲痛な叫びを漏らす。
  その危機を救える位置にいないおのれが許せない。自分で自分を殴りたくなる。
  ともかく、一刻も早く市城の中に入らなくては。
  アレクは武具を埋めた場所のしるしとして木の幹に十字に傷を付けると、周囲の地形を忘れぬよう心にとどめながら斜面を下った。
  そこはすぐに開けた場所になり、100ユルほど先に人の姿が群れる市城の正門が観える。もう少し近づけば、すぐに見咎められるだろう。
  息を詰める。
  いまから自分は不運な領民の子供である。そう、心に言い聞かせて。
  アレクは駆け出した。占領された市城で開放されているのは、現在正門のみである。そこをどうにかして突破しなければ、中へ入ることもかなわない。
  体中を泥で汚してある。髪の毛もわざとくしゃくしゃにした。
  すぐに身元がばれないように。
  着の身着のまま、何の恐れ気もなく兵士たちのほうへと駆けてくるひとりの子供。気付く兵士は幾人かあったが、わざわざ誰何するような暇な者もなく、アレクはわけもなく正門前の人込みに紛れ込むことに成功する。肩を寄せ合うように足元にうずくまる市城の民たちが、突然の闖入者に顔を上げるが、見知った顔でなかったのか声を上げる者はいない。むろんアレクとて、声をかけられたら相当に困ってしまったところだ。
  その頃になると大分と肝も坐ったアレクは、兵士の傍だろうが恐れ気もなく通り過ぎた。案の定、町の財物を掠め取ることに必死の兵士たちは、子供ひとりになど目も向けなかった。
  一度だけ、まさに正門をくぐろうとしたそのとき、兵士の一人が彼を呼び止めようとした。警備の兵士だった。


  「そこのガキ! 止まれ!」


  だがアレクも必死である。
  その制止の声が耳に届いていないふうを装って、「オヤジッ! オフクロッ!」と叫んでみたりする。はぐれてしまった両親の姿を探しているというふうである。むろんその瞬間に全力疾走である。


  「あっ、コラ!」


  所詮正門の警備ならその場を離れることなどできはしない。町の中に駆け込んでしまえば、追ってくる様子もなかった。
  ここまでは、計画通り。


  (とりあえず侵入には成功したけれど……本番はここからだ)


  呼吸を整えながら、顔を上げると。
  市城の中は、想像以上に荒れ果て、混迷としていた。






  いたるところに焼き払われた家が残骸となっている。
  マリニ兵たちの略奪から家族を守ろうとしたのだろう、戸を内側から釘で打ち付け立て篭もったはいいが、結局放火されて家族全員仲良くあの世行きである。生きながらにして焼き焦がされた死体から漂う髪の毛の燃えたいやな臭いが吐き気をもよおさせる。
  ほかの焼け残った家はすべて開け放たれ、家財が持ち去られたあとのようだった。
  呆然と玄関先で坐りこむ老夫婦。
  槍で殴られて倒れたまま痙攣している男。
  少し進むと、兵士たちのわっという哄笑が響いた。観れば兵士たちの人垣の向こうで、何人かの女性が公衆の前でなぶられているようだった。
  心臓が、ドクンと跳ねる。
  まさか。
  アレクは焼け落ちた家に飛び込んで、階段も残らない二階によじ登った。抜けそうな床をはいずるように窓枠から顔を出して外を見下ろすと、人垣の向こう側が観えた。


  (うっ…)


  アレクはこみ上げてきた吐き気に口を手で覆った。
  そこには身の毛もよだつような、毛むくじゃらの獣の群れがうごめいていた。
  悲鳴と泣き声がざわめきの中に途切れて消える。
  被害者は知らない女性たちだった。


  (違った…)


  アレクは息をゆっくりと吐き出して、額を焦げた窓枠に推しつけた。安心のあまりに、背中が引き攣ったように震えた。
  眼下の不幸な女性たちを救う手立てはない。彼にはあの数のマリニ人たちを追い散らすだけの力がない。あの半分の数でも立ち打ちできない。
  だから、彼は眼前の不幸にはかかわらない。


  (地獄に落ちやがれ…)


  たとえ将来食いっぱぐれたヘボ傭兵になっていたとしても、マリニ公国のためには指一本動かしたりはしない。ここに誓っておく。
  静かに、気配を立てず、アレクは廃屋の裏から抜け出した。人ひとりがやっと通れるような細い小路を抜けて、西門前の通りに出ると。
  難民たちのテント村が嵐にあったようになぎ払われていた。道端には死体が幾体も転がり、テントに使われていた油布やゴミ芥同然の難民たちの財産が吹き溜まったように城壁脇に散乱していた。
  通りに出たアレクの背中に、いくつもの視線が突き刺さってくる。観れば逃げ延びた難民なのかそれとも住居を失った市民なのか、おびえたように小路の奥から様子をうかがっている。


  (難民もずいぶん数が減ったみたいだ)


  あんなにもあふれるようにうじゃうじゃいたというのに。
  いまじゃもう数えるほどしかいないようである。
  気が急いて仕方がない。
  彼が向かう先は、むろん《火竜のあぎと団》が宿舎に使っていたあの建物。西門の兵舎である。そこが彼らの《家》であったのだから。
  すでにひととおり略奪の手が入ったのか、引き剥がされた勝手口から中へと忍びはいった。もともと金目の物の少なかったろう兵舎に、未練がましく物色中の兵士の姿はなく、ただ荒れ果て、がらんとした空間だけがそこにはあった。
  もうアレクは我慢ができなかった。


  「アニタッ! ルチアッ!」


  叫びながら、走った。


  「レントッ! アルローッ!」


  自分の部屋を覗く。
  荒らされ尽くした無人の部屋に、人の気配はない。
  アレクはひとつひとつの部屋を細かく見て回った。


  「リリアさんッ!」


  どこにもいない。
  だれもいない。
  だんだんと焦りばかりが募ってくる。胸の鼓動が速くなる。
  どうして誰もいないんだ。






  アレクはたまらず、兵舎を飛び出した。
  まだ観てないところはたくさんある。どこかの町の片隅に、息を潜めているのかもしれない。
  真っ黒い何かが、心の裡にもたげ始めてくる。
  世界がにわかに光を失いつつあるように。
  アレクは駆け続けた。








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