『戦え! 少年傭兵団』
第30章 『絆』
エデル伯爵には、妻と二人の娘があった。
妻は市城が敵の手に落ちた二日後、軟禁されていた城館のテラスから身を投げて命を断った。占領されてからの二日間にどのような出来事があったのかは分からない。ただ貴族としての矜持をはなはだしく傷つけられたらしい伯爵夫人は、その人生を終わらせることで何かを守ろうとしたのか。
ふたりの令嬢は、エデル市城を支配下に置いたマリニ人の主将らのもとに連行された後、消息が不明のままであるという。
負ける、と言うことがどういうことなのか、エデル領を支配し続けてきた伯爵家の崩壊と転落の有様は、その市城の領民たちにとってまったくもって他人事ではなかった。
主不在の市城を電光のごとく襲ったマリニ人たちは、獲物をやすやすと逃すようなへまはしなかった。白旗を上げた市城の門扉が開け放たれると、彼らは攻囲を解くことなく市内へと侵入し、非戦交渉にすべてを託していた愚かな市民たちに群がり襲いかかった。
似たような不幸が、町のいたるところに転がっていた。
アレクは荒れ果てた町を歩き回るうちに、そのいくつかを目にせざるを得なかった。ひとの『不幸の形』など、千差万別のようで実は非常に類型的であることを彼は知った。
妻を、恋人を、娘を奪われた男たち。
人生の多くを費やして築いた財産を、一夜にして奪われた者たち。
家族の命を奪われ悲嘆に暮れる遺族たち。
あまりに多くのそうした不幸を目にすると、ひとつひとつに意識を注ぐほどの関心を維持しきれなくなる。さっき似たようなのを観たばっかりだ、そんなふうに思うようになる。
(オレも家族を失ったのかもしれない…)
たくさん転がっている、不幸な話のひとつ。
市城中を歩き回った果てに、途方に暮れ立ち尽くす彼の姿があった。
(どこにも……いない)
呆然とした
まさかこんなことになるなんて想像もしていなかった。道の真ん中で立ち尽くしていた彼は、乱暴な通行人に突き飛ばされ、兵士に押しのけられ、壁際に追いやられるままにずるずると坐り込む。
地面に腰を下ろして眺める町の姿は、ガラス越しの別世界のように彼とは無縁であった。
いつまでぼんやりしていたことだろう。
すべてを奪われ尽くした領民たちが、『日暮れ』という自然現象を迎えて呆然と動き出したのは、その身に刻み込まれた日常行動のなせる業であっただろう。何もなくなった家のなかへと彼らが消えていくのを観て、アレクものろのろと起き上がった。
(家へ帰らなくちゃ…)
家。
ほんのわずかのあいだ『家族』が暮らしたあの兵舎の一室へ。
人気のない兵舎の中で、彼の足音だけが響いた。部屋に転がり込み、小汚いがゆえに奪われることもなかった毛布を身に巻き付けると、ベッドに丸くなった。疲れきっているのに、目を閉じても眠気はやってこない。
窓からは、淡い月明かりが差し込んでいる。うっすらと照らし出された踏み荒らされた室内の様子が、破壊された彼の世界を寂寥の中に伝えている。
あのとき、彼の左右ではレントとアニタが屈託なく寝入り、あたたかな体温を発していた。下段にはリリアとルチアが並んで寝入っていた。そのさらに下のベッドの裏には狭いところ好きのアルローが潜んで…。
(アルロー…)
小器用で川での漁が得意なやせっぽちの子供である。
いつも洟をぐずぐずと啜り上げ、採ってきた小魚をさばいて紐に吊るして日陰干しにして…。
部屋の隅には、略奪者たちに見向きもされなかった干物がかかったまま放置されている。まったく、こんな町の中でどうやって採ってきた魚なのか…。
(……?)
ふと、何かの引っ掛かりがアレクの思考のピントを合わさせた。
にわかに目が覚めたように、アルローの言葉が脳裏によみがえってくる。
『今度は地下水路で採ってみる…』
アレクは勢いよく身を起こした。
なんで早くそのことに気付かなかったのか。
兵舎を飛び出し、アレクは近くの水路へと走っていった。市城内に生活用水として引き込まれた水路は、地下を通って市城の主要な場所をめぐっている。西門からもっとも近いその水路には、洗濯用の階段が下まで続き、水面近くまで降りることができるようになっている。
上流を観れば、暗がりの中に暗渠が口をあけている。
鉄格子で外敵の侵入を防いでいるその地下水路は、まるで別世界の入り口のように中からひんやりとした冷気を吐き出してくる。アレクが身震いしたのは、その冷気のせいばかりではない。
(…この格子、上に持ち上げたら簡単に外れる)
外敵の侵入に備えるにしてはお粗末な造りのそれは、石のくぼみに重さで刺さっているだけで、持ち上げればすぐにはずすことができる。
おそらくは町の子供の格好の遊び場であったに違いない。母親に連れられて洗濯にやってきた子供たちが遊びに入りそうなシチュエーションである。食糧不足で難民たちが水路に群がる中、アルローはその手付かずの暗がりに可能性を見出したのだろう。
アレクは胸の動悸を覚えながら、水路の中へと踏み込んだ。はずした格子はむろん元に戻す。マリニ人たちに逃亡者の手がかりを渡すわけにはいかないからだ。
わずかに、人の気配を感じる。
アレクは注意深く暗闇のなかを歩く。
月の明かりさえ差し込まない地下水路の中はまさしく闇に包まれていたが、アレクの『心の目』にはなんら障害にはなりえなかった。人どころがネズミの動きにさえ対応できる自信がある。
大都市のそれとは違い、いち地方領主の城下町に過ぎないエデル市城の地下水路は、非常に単純なつくりのようであった。100ユルほど中を進むと、もう一本の地下水路が合流し、T字路のようになっていた。そこをさらに気配を頼りに右手の上流を目指すと、少し広い空洞へと出た。水路の保守用の道具を納めるためのくぼみが1ユルほどの段差の上にあり、そこから強く人の気配が発された。
「誰だ!」
小さく、警戒の声が上がる。
とてもよく聞き覚えのある幼い声。
「誰か来たぞ! 起きろ!」
「…もう食えねえよぅ」
間抜けな声はあの大喰らいのうわごとのようだ。
ごそごそと何人かが動く気配。
アレクはそのすべてが見通せるために、おのれの存在を示すよりも先に、家族全員の無事を確認することを優先した。ひとつの毛布を取り合ってもぞもぞとしている子供たち。その隣で、すでに半身を起こした何人かの大人たち。
身内ばかりでなく、ほかにも何人かが同じ隠れ家で身を潜めているらしい。
(リリアさんたちも、無事だ…)
暗がりの中でも、顔をはっきりと判別できる。
その女性たちの脇で、われこそは守護の剣とばかりに、アレクお手製のレイピア仕様の木剣を構えたアルローの姿が観える。
「アル…」
口にしかけた言葉をアレクは飲み込んだ。
突然、ひやりとした殺気を浴びて、大きく後ろに飛びのいたのだ。
いつのまにそこまで迫っていたのか、剣を構えた男の姿が暗闇のなかにたたずんでいる。
その姿かたち。
隙のない剣気。
アレクは一瞬の驚きのあと、《東方の三剣》が歯を見せて笑っていることに気付いた。東辺の小国ルクレアの《守護騎士ゼノ》は、すでに侵入者の正体に気付いているようだった。
「だいぶ経験は踏んだようだが、まだまだだな」
そのとき、暗がりの中に松明の火がともされた。ほんの小さな明かりであるというのに、暗闇になれた人の目には太陽の欠片ほどにもまぶしく感じられただろう。
闇が払われ、そこにたたずむアレクの姿を見た子供たちが、わっと乱れ立った。
「アレク兄だ!」
「アレク兄〜ッ!」
飛び出してきた子供たちがアレクにしがみついた。その体当たりするようなコミュニケーションに、アレクは仏頂面を保つことが難しかった。
振り回されて一回転すると、リリアと目があった。
「遅くなって…」
アニタに首を絞めるように抱きつかれて、言葉がそれ以上続かない。
「アレク…」アニタは感極まったようにすすり泣いている。身長が足りないものだから、結局アレクが抱きかかえる格好になって。おのれの涙をアレクの服で拭うようにごしごしと頭をこすりつけてくる。
「…おかえりなさい」
ひそと、傍らで声が生まれた。
たたずむリリアが微笑むと、アレクは感情があふれるままに目頭を熱くした。
そうして、引き出された言葉がこぼれた。
「ただいま…」
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