『戦え! 少年傭兵団』





  第32章 『ロナウの川辺で』












  守護騎士ゼノの呼びかけで地下水路のそこここに潜んでいた避難民たちが集まった。アレクが確認しただけで総勢で30人ほど。アレクとその連れ6人と、ゼノの主従ほか、領民と難民が半々ぐらいであろう。身なりのきれいさで難民とエデルの領民はすぐに見分けられる。領民たちも憔悴した様子を見せているものの、常に飢餓にさらされ続けている難民たちは顔の肉も削げ落ち、いっそ痛ましいほどに目ばかりがぎらぎらと輝いている。


  「われわれはこの市城を脱出する。希望者があるなら、ついてくるがいい」


  市城からの脱出が大人数になるほど、むろん監視の兵士に発見されやすくなる。本来ならゼノの主従二人だけで逃げ出したほうが安全であったろうが、この地下水路で奇しくも運命をともにすることになった人々を置き捨てるような真似を守護騎士は潔しとしなかったのか。
  難民たちの手が次々に上がった。


  「どうせここに残ったところで食いモンも残ってねえ。どうせくたばるなら、少しでも希望のある土地に向かいながら死んだほうがましだ」
  「いままでだって歩き詰めに歩いてきた。もう少しぐらい歩いたってかわりゃしないヨ」


  すぐに少ない荷物をまとめ始める彼らとは対照的に、エデルの領民たちの腰は重かった。互いに顔を見合わせるばかりで、他の町に自分たちが旅することが想像もできないのか。
  たしかに傭兵や商人でもない限り、人が生まれた町から出ることはほとんどない。それこそ町自体を焼かれて難民化でもすればその限りではなかっただろうけれど。


  「遅かれ早かれ、ここは発見される」


  ゼノの言葉に、領民たちは身震いする。
  運よく地下水路のことを思い出して逃げ込んだ彼らは、領民のなかでも非常に幸運な一握りの者たちであったろう。残してきた家財はすでに奪われているだろうが、少なくとも家族の誰ひとり兵士たちの暴力にさらされてはいないし、逃げ遅れた知人の不幸にもとりあえず接していない。


  「町にまだ《餌》があるうちはこんなところに目も向けないだろうが、奪い尽くしたらいずれ逃げ延びて姿のない領民の行方にも興味を持ち始めるはずだ」
  「でもここがわたしたちの故郷なの。たとえどんなにひどいことがあったって、それでも《上》にはわたしたちの生活があったの」


  悪い想像に顔をゆがめて、言い募る中年の女性。市場の露店で見かけたことのある顔である。


  「やっと手に入れたバザーの《株》なんだよ! 小さな店だけど、ご贔屓のお客だってたくさんいて…」
  「苦衷は察するが…」


  ゼノは困ったように眉をしかめるが、もともと強制的に連れていこうというのではない。思い直すように言葉を吐いた。


  「…自ら納得しているのならそれ以上言うことはない。その決断に殉じられるがいい」


  考え直すように説得されるものと思っていたらしい婦人は、ゼノの視線が自分からあっさりと離れていったのに衝撃を受けたようだ。ゼノの関心を引き戻そうと声を出すが、ゼノはもはや婦人を一顧だにしなかった。


  「…町と運命をともにするものは残るがいい。故郷を捨てがたく思う気持ちが分からぬわけではない」


  ゼノの主従もまた、故国ルクレアを失って流離の身に落ちている。生まれ育った土地を逐われる悲哀を、この主従が理解せぬはずもない。
  結局、エデル市城で生まれ育った者たちの手は上がらなかった。生まれ育った地に呪縛されてしまったように、彼らは思考の硬直から脱することができなかったようだった。
  自覚があったかどうかは別として、エデルの領民たちはそうして町に残ることを選択し、マリニ人の奴隷同然の扱いを甘受しつつ故郷の復興に人生を削ってゆく未来を選び取ったのだった。
  アレクはそれを愚かだと思ったが、あえて説得する気にはならなかった。人生の舵を切るのは本人たちの意思なのだし、それならばマリニ人監視のなかでぞろぞろ大人数で逃げ出そうとする彼らの運命だって、生き死に半々のコインを投擲するようなものだからだ。マリニ人に見つかったら、この人数では無事逃げおおせることは難しいだろう。






  ほとんど荷物らしい荷物もなく、脱出組は身の回りを整理して、暗がりの中で立ち上がった。
  数日間同居人として過ごした人々とささやかな挨拶を交わし、見送られつつ水路の上流を目指して歩き出した。
  そうして運命の枝が分かたれた。
  どちらがより賢明な選択であったかはむろん神ならざる人の身に分かることではない。
  地下水路は、おそらく急な増水の奔流を殺すためか、何度か折れ曲がったあと月明かりの外界へとつながっていた。最初は真っ暗で一本の松明を頼りに皆は歩を進めていたが、出口が近づくほどにわずかな月明かりが差し込むようになり、ゼノは用心深くその頃になって松明を消した。
  松明が消えた瞬間、いままでにない濃さで彼らのまわりに闇が降りたが、身を硬くする皆とは違い、アレクはしごく冷静に「早くいこう」と促した。
  さすがにゼノの足取りはこの闇の中でもたしかである。出口近くなると水路脇の側道は水没し、水を掻き分けねばならなくなる。ゼノは小柄な主人を背に追うと、先頭に立って頼りがいある広い背中で道を指し示す。水の中に入ることをためらっていた同行者たちも、ゼノの行動に黙ってしたがった。
  出口に近づくほどに水位は上がり、みな自分の荷物を頭の上に抱えながら、水を掻き分けて進んだ。水位が腰まで上がったあたりで、入り口にあったのと同じ格子にたどり着き、一本ずつ手探りでゆるいものを探す。
  外れるほどにガタのきた鉄棒はなく、いよいよ荒事かとアレクが壊す道具を算段し始める横で、ゼノがあっけなくその一本を蹴り壊した。
  靴が鋼鉄仕込の特別製だったのか、それともゼノ本人の脚が鋼鉄製だったのか、おそらくは前者なのだろうが後者の可能性もなくはない。
  「なんだ?」集まる視線に自覚のないゼノがきょとんとする。


  「おーっ!」


  水面から顔だけ出しておぼれる寸前の子供たちが感心したように声を上げる。大嵐の濁流にも負けないように造られた堅牢な格子であったから、これをひと蹴りで壊すことができるのは神さまかヒーローかのどちらかしかあるまい。子供たちの目には後者に映ったのだろう。曲がった鉄棒を検分して、アレクはゼノの規格外の力の一端を見た気がした。
  そうして一歩踏み出して、一気に沈んだ。


  「うわっと!」
  「きゃっ」


  頭まで沈むほどではないものの、格子をくぐったすぐが深みになっていた。


  「しっ!」


  ゼノが皆の口をつぐむように促す。
  その視線の先に、兵士用の天幕がいくつかかたまって建っているのが観えた。それは昼間にアレクが確認した見張り兵の宿舎であるらしかった。杭で作った簡易の柵をめぐらせ、かがり火を焚いている。


  「歩哨が歩き回っている。それに兵士がいるのはあそこばかりではなさそうだ」


  存外に厳しい警備が継続されているらしい。すでに市城は落ち、マリニ公国軍の手に完全に掌握されているというのに、気を緩ませることなく警備を続けている兵士たちの士気の高さに舌を巻く思いである。
  これが雇われの傭兵ならば、きっと監視の目を盗んでだらけまくっていたことだろう。統制のとれた彼らの様子から、軍の指揮官がよほど優秀なのだろうとゼノなどは感心しきりである。


  「…しかしあれは敵の接近に備えた歩哨だろう。伯爵家の残党を警戒しているのかも知れぬな」
  「残党って…」


  アレクの問いは、半ばで途切れることとなった。
  目の前で、監視兵たちがあわただしく動き始めたのだ。
  そのときアレクは、鋭い誰何の声を聞いた!








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