『戦え! 少年傭兵団』
第33章 『お姫様の一言』
アレクたちが水の中で身をすくませたその対岸で、歩哨たちの松明が揺れた。
監視兵たちの緊張は、しかしそのすぐあとで別種の緊張にとって変わった、
「将軍閣下ッ!」
彼らの掲げた松明の明かりに照らされたのは、夜目にも鮮やかな白馬に打ちまたがった人影だった。
一騎だけではない。その護衛と思われる物々しい騎士を五人も従えて、「将軍閣下」と呼ばれた人影は、接近した松明によって顔かたちまでがはっきりと浮かび上がった。
(…女?)
差し迫った戦場ではないからか軽装の皮鎧(金飾りが目打ちされた見るからに豪華そうな鎧だ)姿であったが、額を覆うような銀のサークレットからあふれるように流れ出す蜂蜜色のつややかな金髪が、女性であることを示している。鼻筋の通った美貌と、氷のように冷たい鋭い眼差しが、おのれを誰何した監視兵たちをねめつけて震え上がらせている。
その青い瞳が、一瞬アレクのそれに応ずるようにこちらへと向けられた。
(見つかった…?)
アレクはむろん、ただびとの肉眼で見ていたわけではない。おそらくほかの人間よりも相手の素顔を詳細に観ていただろうし、彼の『心の目』には距離さえもあまり関係ないようであった。気がつけば道端で出会ったケンカの野次馬をしている程度の近さで彼女の様子を見ていたようだった。
目があった瞬間、アレクは動揺して逃げ出した。一瞬後には、意識は水路を脱出したばかりの集団の中に帰っていた。
「…静かに」
ゼノが水面近くまで身をかがめるのを真似て、全員が息をひそめていた。子供たちはなにもしなくともおぼれそうな体勢であったけれど、健気に口をつぐんで水面に顔を揺らしている。
見つかったか、と思ったのは束の間のことでしかなかった。
アレクの心の目に反応した白馬の女性は、しかし実際の彼らの居場所にはまったく気付くことなく、監視兵の案内に従って市城の正門へと移動を開始した。
「公国の戦姫か…」
少女の声が、ゼノの背中から発された。
ほとんど聞いたこともなかった、ハープを爪弾いたような高く済んだ声音だった。
「われらの足取りを掴んだのか」
「それもありましょうが……同盟を結ぶフランドルが内戦で疲弊しているこの時勢に、ここまで兵を押し出すのは公国としてもずいぶんと無理をしておりましょう」
何の話をしているのか分からない。
それが普通ならば自分になど到底聞こえてはこない、雲の上にいる王侯たちの会話なのだということは分かる。彼らがそうした雲上人であったことを知識では知っていても、実際にそうであると実感したのはおそらく初めてだった。
「ヘゴニア南西部は行きがけの駄賃といったところでしょう。耕地はあらかた失われましたが、このあたりにはまだ採掘高のある銀鉱脈もあるようです」
「そちらに気をとられて、われらのことを失念してくれればよいのだがな」
「いずれにせよ、あの戦姫が出張ってきたということは、公国も本腰を入れたという証です」
脱出中の人々は押し黙り、ただ水音だけが世界を支配する静けさのなかで、ふたりの語らいに意味も分からず聞き入っている。
世の中の何か重要な部分にかかわっている人間と、そうでない部外者。
ただ成り行きのままに時代に流されていくしかない市井の人々の存在の軽さ。ふたりの会話をまるで理解することもできない雑草のような人々のなかにいるおのれの卑小さが心を萎縮させる。
(《東方の三剣》は、やっぱり『あっち』の世界の人間なんだ…)
アレクは無意識に腰の剣を探って、いまおのれが丸腰であることに気付いていよいよ心が冷える。単なる守られる側のひとりでしかない自分に、《東方の三剣》と肩を並べるなど本当におこがましい夢想であったろう。
「このまま少し下流に下ってから、対岸に渡るとしよう」
ゼノの指示で、人々は顔を水面から出した格好で動き出した。アレクは後ろから肩を押されて、想念をわが身に戻した。
「アレク兄ィ……おぼれる」
彼の背後に固まっていた子供たちに、この深みのなかでの待機は非常に難事であったのだろう。特に背の低いアニタとルチアが彼の肩にしがみついて余裕のない息継ぎを繰り返している。
アルローも同じような背丈なのだが、こちらは前世が魚だったのではと思えるほどに余裕で顔を浮かせている。
ロナウ川はそれなりに大きな川であったが、地域を潤す大河というほどでもない。川幅50ユルほどであろうか。足が着かなくなることもほとんどなく、大人たちはそれほどのこともなく対岸の葦原へと取り付いた。アレクにとっても本来ならば楽々の行程であったが、アニタとルチアが涙目でしがみつくのを無碍にすることもできず、川の水に何度も咳き込まされる羽目になった。
監視兵の目を逃れるためにあえて上陸はせず、それから一刻ほどのあいだ水の中を辛抱して移動する。
「…おまえら絶対、ズルしてるだろ」
地味で疲れる水中行軍をアレクの背中にしがみつくことで軽減させていた女子ふたりは、そのうちに遠慮を失って全体重をかけてくるようになった。アレクの温度の低いつぶやきに、
「だってルチア泳げないんだもん」
「あのヒトだって、おっちゃんの背中にずっと乗ってるじゃない!」
おっちゃんとはゼノのことであろう。真実を知らないでいるということは、けっこう幸せなことなのかもしれない。ついでにその背中に乗ってるのは正真正銘のお姫様なのだが。
「だからアレク兄は、あたしらを負ぶって行くべきなの」
なにが『べき』なのかは分からないが、自分たちを本物のお姫様と同列に考えるべきではないだろう。このさい『べき』の用法は自分のほうが正しいと思う。
「わたしもつかれたんだけどな〜」
後ろのほうからリリアのわざとらしいつぶやきが聞こえたのは気のせいではないだろう。こんなお子様を負ぶうぐらいならば、リリアのふくよかな体を背中に感じてみたいと願うアレクであった。
一行は水を掻き分けるうちに川の支流を見つけ、それに沿ってさらに上流へと移動する。細い支流は、すぐに森に飲み込まれ、山肌を駆け下る渓流となった。
もはや監視兵たちの姿は見えない。街道からもややはなれたこんななにもない山のなかに紛れてしまえば、早々簡単には見つからないだろう。
ようやく水辺の草を掻き分けて陸地に上がった一行は、すでに疲労困憊のていであった。全身水浸しで、靴の中までジャブジャブと水槽状態である。
誰彼となく休憩にしたいと申し出がなされたが、ゼノは厳しい顔を崩すことなく、遠く星空を切り取る山嶺を指差した。
「少なくとも、あの山のふもとの支街道まで、休まずに行く」
夜更けのこと、その山がどれくらい遠くにあるのかはっきりとは分からない。ただ一刻や二刻でたどり着くような距離でないことだけは誰の目にも明らかだった。大人たちが重苦しい雰囲気で無言になる中、子供たちはまだ元気を残していて、少しでも大人たちから褒められようと頼まれもせぬのに周囲の索敵にかかっている。ちょろちょろとうっとうしいのだが、大人たちは疲れすぎで窘めの言葉さえ出せぬようで、その様子をしかめつらしく眺めているばかりである。
「はっけん! はっけん!」
監視兵に見つかる危険などとうに頭から消え去ったのか、子供たちが息せき切って山の斜面を降りてきた。
「上のほうに小屋があったよ!」
声の加減を知らない子供たちに軽く拳骨を落として、口に指を立てることで静かにせねばならないことを思い出させるアレクの横で、難民の一人が思い出したように手を打った。
「そうだ! この上にゃ、たしか領主様の狩小屋があったはずだ」
なんでも住み着こうとした難民たちが何度となく伯爵家の兵士に追い出されたのだそうだ。領主が最近まで使っていた小屋ならば、さぞや立派な建物に違いない。
エデル伯爵家は没落し、もはや所有者のいなくなった小屋である。そこならばずいぶんと快適に体を休められることだろう。そればかりか、そこに備蓄されているであろう食料や衣類を手に入れられる可能性さえある。
ほとんどなにも持たないこの逃避行にそれらはずいぶんと役に立つはずだった。
だがアレクは直感的に小屋に寄らないほうがよいと考えていた。なぜならそんな立派な小屋ならばとうにマリニ人たちの知るところになっていてもおかしくはなかったし、なにより難民たちがすでにその所在を知っていたのだから、大勢の『先客』が入居している可能性もあった。いやむしろそうである可能性のほうがずっと高いと思われる。
アレクの予想通り、ゼノは難しい顔をして思案していたが、「あきらめて…」と言いかけた彼を主の暢気な要望があっさりと蹴散らしてしまった。
「そこにはきっと午睡用の寝床もあるのだろうな」
「主上…」
「久しぶりにぐっすりと眠りたいのぅ…」
なにをわがままなとゼノの背中に負ぶわれたままの王女に批判的な目を向けたとき、その背中が盛大なため息をつくのを耳にした。
えっ、まさか?
「御意のままに」
ゼノは王女を背中からおろすや、ぱっと風のように走っていってしまった。
まさか監視兵とかいたとしても剣で蹂躙するつもり…
その光景が、彼の脳裏にはリアルに想像される。まあ10人以下なら、名にしおう《剣匠》がなんとでもしてしまうに違いない。
《東方の三剣》は、実は主人には甘々な過保護騎士であることがこのとき判明した!
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