『戦え! 少年傭兵団』





  第34章 『没落するということ』












  独行したゼノを追う形で、アレクたちは山の斜面を登っていった。
  伯爵家の狩小屋というのは、それほど高くもない山の中腹、馬車でも乗り付けられるような広い山道の脇にあった。たしかにこれだけ便のよい場所に建っていれば、難民たちが発見するのも頷ける。
  一応、小屋が見える手前で、アレクが一行の進行を止めた。念のためというよりも、まさしく小屋のほうから人のわめき声だの金属がぶつかり合う音だのが聞こえてきたからだ。ゼノが剣を振るっているということは、小屋にマリニ兵が張り付いていた可能性を示している。
  しばらくしてから、ゼノがほとんど呼吸を荒げることなく姿を現し、皆を小屋へといざなうと、そこで起こった出来事のあらましが誰の目にも明らかになった。


  「こいつら…」


  アレクは倒れ伏した兵士と思しき人間たちを検分するうちに、それらの顔に見覚えがあることに気がついた。

  きちんと統一された装備をしている時点で盗賊団という線は消えたが、それがマリニ兵であった場合の危険性はよりたちが悪い。連絡の途絶えた小隊を捜索にやってくる可能性が高く、せっかくエデルの市城から逃げ出したというのに自ら奴らをおびき寄せるようなものだからだ。
  だが倒れた兵士らの装備はアレクの記憶にあるマリニ人のそれとは違い、むしろアラキス同盟側のあまり統一感のないそれによく似ていた。と、言うよりも、そのものだろ、これは。
  つま先でひとりの兵士を転がして仰向けにさせたところで、アレクは気づいてしまった。


  「うわ。やっぱり…」


  それは彼がひととき所属したエデル私家軍の兵士のそれだった。
  転がっている兵士たちは、数日前に別れたエデル伯爵の護衛兵に違いなく、見れば小屋の脇には金目の飾りなどを引き剥がされた無残な馬車が止まっている。
  おおよそのエデル伯爵没落秘話がアレクの脳内に完成する。
  領地を失い、手勢と頼んだ傭兵部隊にも見限られ、帰る場所もなく途方に暮れた伯爵が、その日一番のひらめきで狩小屋のことを思い出し、兵士を引き連れ小屋にやってきたという顛末。たしかにあれからの数日をとりあえず散り散りになりもせず主従が糊口をしのいだのは狩小屋の備蓄があったればこそだろう。
  予想外の再会に心躍らせるわけでもなく、アレクは重い足を小屋へと向けた。
  すでにゼノによって征圧された安全な場所であるから、子供たちはわれ先に小屋へと飛び込んで、その内部でかしましく騒いでいる。おおかた彼の予想通りの人物が中で意識を失っているのだろう。
  まあ、案の定というところ。
  いました。エデル『元』伯爵様。
  身包みはがれたあのときは痛ましい没落ッぷりを披露した伯爵であったが、その後この小屋にしまわれていたおのれの服によって世間体を取り繕う程度には身なりは回復していたが、いかんせん湯浴みの直後ででもあったのか、たらいの横で着衣を乱したままひっくり返ったカエルのように仰向けに転がっている。その股間には、湯浴みのためとは思われない水溜りが広がり、おなじみの臭いがあたりに立ち込めている。いわゆる失禁というやつである。


  「うわっ、くっせぇ!」
  「しょんべんちびってやがるよ、こいつ!」


  まあ、子供たちに容赦はない。せめて本人が気絶していることだけが救いだろう。
  エデル『元』伯爵一党をとりあえず荒縄で拘束し、土間の隅に転がすと、一行は人手を分けて休憩の準備にとりかかった。たらいの残り湯で床の汚水を流して拭きあげるものたちの脇では、備蓄の食糧を物色するもの、竈の熾き火を強くして薪をくべるもの、外の井戸から新しい水を汲んで来るものなどが忙しく動いている。
  子供たちは監視任務をおおせつかり、木剣を手に難しい顔をして兵士たちを取り囲んでいる。手足を拘束されているからほとんど心配などなかったのだが、仕事をねだる子供たちを静かにさせるためにゼノが思いついた方便だった。
  アレクは子供たちが手にする彼お手製の木剣を見て、無手であるおのれを強く意識する。腰の寂しさが、焦燥を生む。
  とりあえずいまは人手は足りている。小屋の守りも、ゼノひとりいればほぼ万全であるだろう。
  アレクはゼノに近寄って、「用を足してくる」旨を継げた。
  父親の形見を回収してこなければならない。市城に入り込むときに、土に埋めて隠したのだ。
  ゼノは主人の足をきれいな水で拭きながら、


  「二刻以内だ。夜が明けるまでに戻ってこられるか」


  ロナウ川は市城の北を流れ、町の正門がある南側とは正反対である。市城の南北が1ユルほどであるから、人目を忍んで森のなかを進むとして、3倍の3ユル。往復で6ユルほどの距離になるだろうか。


  「日の出に間に合わなかったら、小屋には戻らず身を潜める」
  「そうしてくれるのなら問題ない。親の形見であるなら、失うわけにもいくまい」


  家臣に足を拭われながら、フードの奥で姫さまの青い瞳がアレクを見つめている。「危険を持ち帰るまいな?」そう問うように、その眼差しは少し険をはらんでいるように思われた。


  「アレクくん…」


  呼び止められて、振り返るとリリアの不安げな眼差しに出会う。床を拭く手を止めて、小屋から出て行こうとする彼の背中を見つめている。


  「大丈夫。すぐに戻るよ」


  胸の奥で、小さな魚が飛び跳ねたように波紋が広がる。アレクよりもずっと年が上だというのに、その目はまるで捨てられた子犬のように不安をたたえている。
  この女性は、絶対に守らなくちゃならない。そんな想いが熱を帯びる。
  家族は守らなくちゃならない。そして、守るためには彼は武器を必要とした。
  アレクは小屋を出ると、すぐに駆け出した。






  まだ、夜の闇は深い。
  見上げると、木々のこずえが黒々とした陰になって夜空を切り取っている。見える星はわずかである。
  日の出まであと何刻ほどあるだろうか。森の木々の向こうには、ロナウの川面が月の光を反射して白く輝いている。
  闇の凝る大地のそこここには、監視兵たちの篝火が地上の星のようにまたたいている。夜の暗さのなかにあるからこそ、監視兵の配され方がまさしく市城を取り囲む形であることが分かる。


  (闇のなかなら、オレは誰よりも早く走れるかもしれない)


  そんな自信がわきあがるほどに、アレクの足取りは軽い。
  彼の光を必要としない視力は、ほとんど明るさのない森を見通し、生き物の気配を察し、地形の起伏をけっして見逃さない。
  暗闇のなかならば、どれだけ大軍に囲まれていようと、軽々と脱出することができるに違いない。もしかしたら、手練の暗殺者のように、王城にしのび込んで国王の寝首を掻くことだって意外に簡単にできるのかもしれない。
  まあ、暗殺者の真似事など、傭兵には必要のない技術であるけれど。
  監視兵に気付かれるようなへまなどなにひとつせず、アレクはほどなくして自分で印をつけた木を発見した。その根元の腐葉土を取り除き、まだ柔らかい盛り土を掻き出すと、数日ぶりにおのれの得物たちと再会した。
  小刀を鞘から抜いてみると、わずかな星明りに刀身がきらりと輝いた。試すように指で触れると、少し水で濡れている。埋めている間に土の水分が染み込んでしまったようだった。


  「何かに包んだほうがよかったかな…」


  そのままにしておけば剣は錆付いてしまうし、鞘もゆがんでしまうかもしれない。
  小刀を鞘へと戻し、中剣ともども腰のベルトに差し込むと、アレクはおのれがやっと完全な姿になったような安心感を覚えた。これで家族を守ることができる。
  はやく小屋へ戻ろう。
  アレクはそれほど急ぐ必要もないのに、自然駆け足になった。
  息ははずんだが、ゆっくりと歩く気にはならなかった。
  藪を抜け、小さな渓谷を飛び越えて、ひたすら最短距離を心がけて。アレクは小屋が見えてくることだけを心に願って、森のなかを駆け抜けた。
  そのあいだ、無心の彼の目には、眼下の市城の様子だけが入ってくる。今夜はずいぶんと篝火を焚いているらしく、市城のなかは明るかった。もしかしたら、先ほど見た『マリニの戦姫』が入城したためであろうか。
  何気に心とらわれながら、市城の様子を眺めていたアレクであったが。


  (……?)


  何かがおかしい。
  そう気付いたときには、事態が動き出していた。
  彼の心の目は、生き物のように動き出した監視兵の松明と、ゆるやかなロナウの川面が少しだけ波立つのをとらえた。
  それは、ささやかな異変。
  川近くで人の叫ぶ声が響く。監視兵が持ち歩くのであろう松明が何本も波立つ川面に近づこうとしている。
  アレクが意識を集中すると、空を飛ぶ鳥にでもなったように急速に風景が接近してくる。川を波立てているのは、彼が数刻前に通ってきた水路出口から吐き出された人間たちであることが分かった。さらに彼の意識は、そちらへと接近する。
  そうして川を渡る人間たちが、水路で彼らを見送ったエデルの領民たちであること、その表情が恐怖で凍り付いているのが分かった。


  (追われてる?)


  死に物狂いで川を渡る彼らは、すぐに対岸へと取り付いた。
  そこへ駆け寄ろうとする監視兵たち。
  そのとき、水路に潜んでいた領民たちを追い立てた者たちが、たくさんの松明を掲げて水路出口から吐き出されてきた。
  それは紛れもなく武装したマリニ兵たちだった!








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