『戦え! 少年傭兵団』





  第35章 『マリニの戦姫』












  最初、なにが起こっているのか分からなかった。
  それは理解不能の事態…。
  なぜあのひとたちが急に追い立てられて……たった数刻ほど前に別れたばかりだったというのに。わずかな荷物を後生大事に両手に抱え、転んでも構わず川面を蹴立ててゆく。足の遅い者たちが、助けを求めるように手を伸ばすが誰も振り返らない。最後尾のものから、踏みつぶされるように水に押し付けられ、取り押さえられていった。
  観ているだけで、自然と呼吸が速くなる。
  あれは最悪だ。
  もう、あれでは逃れられない。


  (あのひとたちは、終わった…)


  ゼノの決断がもう少しだけ遅ければ、あのなかにおのれもいたに違いなく、紙一重で得られたわずかな幸運に鳥肌が立つようだった。
  もしもあの逃げ道のない水路の一本道で、マリニ兵の突然の襲撃を受けていたら。
  隠れる場所とてほとんどないトンネルの中で、ただ逃げることしかできない状況のなかで、彼は家族を守れただろうか。
  四人の非力な子供たちを。
  獣の欲望で執拗に追い回されるだろうリリアたちを。


  (難を逃れた……オレたちは運がいい…)


  アレクは無意識に腰の剣に手をやって、ここにこうして戦闘力を回復したおのれに安心する。
  そうして傭兵らしく、すぐに意識を切り替えた。
  自分たちは運がいい。
  不運な者たちがその身を焼き尽くされるあいだに、わずかばかり幸運であったに過ぎない自分たちには事態に対応するだけの時間的猶予が与えられる。わずかでも生き残る可能性を高めることができる。
  百人はいるだろうマリニ人たちの組織立った動きは、またたくまに逃げる領民たちを包囲の中の取り込もうとしている。エデル市城陥落から逃げ伸びていたわずかな領民たちを狩り立てるのには、いささか大げさな捕り物であっただろう。


   (兵士の数が多すぎる……まるでいくさだ)


  ほとんどの領民たちが、対岸に這い上がることさえできぬまま、追いすがる兵士たちに引き倒された。抵抗する領民に、マリニ兵は容赦なく剣の腹で殴りつける。気を失って川に流されるものも、泳ぎ寄った兵士にひとり残らず回収されていく。
  市城のバザーで店を持っているといっていた婦人が、泣き喚いて兵士に殴られた。本当に容赦がない。飛び散った血しぶきに、間近で観察していたアレクは小さく悪態をついた。マリニ人は全員第六地獄まで落とされてしまえばいい。無辜の領民たちの泣き声と悲鳴が夜陰にこだました。
  アレクは締め付ける胸の痛みに耐えながら、ロナウの川面で起こっている出来事を観察した。彼の視点は、わずかばかりの精神集中で、上に下に自在に動かすことができる。そんなことができるおのれを客観視することもないまま、アレクはマリニ兵たちの指揮官を探した。
  兵士の集団である軍隊は、指揮官をその意思決定の頭脳として、一体に動くものだ。指揮官の動向を観察すれば、なにが目的であったのか、誰が狙いであったのか推測できると思ったからだ。
  百人近くの兵士を吐き出した水路の口から、数人の幹部と思しき数名が、多くの松明を従えて顔を出した。そのなかでも豊かな髭を蓄えた初老の騎士が、小枝ほどの大きさの指揮杖を振り回すのを観て、この人物がそうなのだろうとあたりをつける。
  立派な皮鎧と腰までのマントを留める銀の肩飾りが、おそらくその人物が大隊長ほどの身分であることを示している。エデル市城を襲ったマリニ軍の別働部隊は2000ほどであったはずで、部隊全体の副将クラスの人物であるだろう。しまりのないそのふくよかな体つきは、よくいる部下を召使いのように使い倒して自らは鼻毛を抜くしか仕事をしないタイプであるのかもしれない。
  その指揮官ふうの人物に注目していたアレクは、その後ろから姿を現した白い人影に数瞬気付くのが遅れた。


  あっ…!


  目が合った。
  指揮官の横に並ぶように立ち止まった白い騎士は、わずかな距離から見下ろすアレクの眼差しをまごうかたなくとらえて、きっときつく目を細めた。
  その形のよい唇が、言葉をつむぐように動いた。何かをしゃべっているが、アレクの耳には届かない。彼の目がここにあっても、耳は体のほうに置いたままである。
  ただ、なんとなく言われている内容は分かった。




  何者だ。
  あやしげな業を使う妖術使いめ。




  マリニの戦姫。
  あの豊かな金髪は、いまは銀の額環とともに兜の内に隠されている。そのエメラルドグリーンの眸は、ひたとアレクをとらえて離さない。


  (オレが……見える?)


  アレクは人に見つかったネズミのように、一目散に逃げ出した。そこに体はないのだからけっして捕まりはしないと分かってはいても、戦姫のまなざしがどこまでも追いかけてくるように感覚にとらわれて、アレクはまさしく生きた心地がしなかった。
  ぱちん、と。
  空気がはじけたような感覚とともに、アレクはおのれの体のなかで目を覚ました。いつのまにか、彼の体は草むらに倒れふしていたようだ。がさごそと草むらから這い出して、彼は走り出した。
  一刻も早く狩小屋にたどり着かねば。
  早くこのことをゼノに伝えて、最善の行動を開始しなければ。
  エデルの市城に入ってから数刻のあいだに、あの戦姫はなにごとかの行動を開始した。あの街で唯一まだ捜索の手の届いていなかったあの地下水路を、そのわずかな時間で見つけ出し、部隊を突入させた。




  マリニの戦姫。




  アレクはあの戦姫が怖かった。
  好んで喧嘩を売るべき相手ではない。本能がそう告げる。
  なにが目的なのかは知らない。
  だけれどその研ぎ澄まされた爪が、彼の喉もとをかすめたことは間違いなかった。捕まれば殺される!






  マリニの戦姫の話は割と有名であったが、アレクはいままでそれを貴族贔屓のやくたいのない与太話のように歯牙にもかけていなかった。酒場で傭兵たちの口にのぼる異国の勇ましい姫君の話など、本気にするほうがどうかしていたし、たいていの傭兵がアレクと同じような感想を持っていただろう。
  まさかそれが、本当だなんて。
  息せき切って狩小屋にまでたどり着いたアレクは、乱暴に戸を開けてなかにいた者たちを驚かせたが、そんな細かいことになど気も回らないままゼノの姿を探し、そしてその腕をとった。


  「ゼノッ!」


  すでに彼の気配に気付いていたゼノは、主人の足を揉んでいた手を止めて、アレクを黙と見下ろしていた。


  「アレクさん!」
  「アレク兄!」


  リリアとアニタが彼を見つけて近寄ってきた。
  だがそちらへは一瞥もくれず、アレクはただおのれのなかの危機感をどうやってこの偉大な騎士に伝えようかとめまぐるしく思案した。
  ロナウの川を渡って、この狩小屋まで半刻もあればたどり着く距離である。あの戦姫が迷いなくこちらへ向かってくるなら、今から逃げ出しても山ひとつ越えられはしないだろう。


  「…戦姫が! 地下水路が!」


  端的な言葉しか出てこない。
  戦姫に抱いた危険なイメージを伝えることはおろか、観た事実を整然と説明することもできない。オレはこんなにも馬鹿だったのか。


  「少し落ち着け、ぼうず」


  頭に手を置かれ、アレクはかっとなった。
  子供扱いするな! いまはそんな時ではないのだ。


  「ここはあぶない! もうじきこっちにあいつらがやってくる! あの金髪の戦姫が!」


  そうしてその瞬間。
  アレクは直感的に悟ってしまった。
  あの姫の狙いは、この主従なのだ、と。


  「そうか…」


  ゼノは静かにつぶやいた。








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