『戦え! 少年傭兵団』





  第40章 『心眼』












  アレクは久々に香ばしい香りのするパンにかじりついていた。
  村から手に入れた食料はそれほど多くはない。この戦乱のご時勢であるから、銀貨一枚でこれだけの食料を供出してくれたのは、ひとえに《流れ者の傭兵団》に村が目を付けられたくなかったからに違いない。質の悪い傭兵団は、食い詰めたら盗賊と変わるところがない。多少の食料で目をつむってもらえるならば安いものと踏んだのだろう。
  よく焼き固められた保存のよい硬焼きパンをひと抱えと、干しぶどうを小袋一杯、カビのついたチーズの塊り、そして使い込まれた古い陶器の瓶に入れられたワイン。ワインはそうとう臭うからきっと腐っているに違いない。
  パンをかじりながら、意識を凝らす。


  (マリニ人たちの様子を…)


  おのれの体から何かがするりと抜け出していく感覚。アレクの目はふわりと浮かび上がって、膝を抱えて木の根方にうずくまるおのれを見下ろした。


  (領境に隠れているんなら見てくればいい…)


  さらに空へ。
  鳥の高みにまで。
  まるで素っ裸で冬の外気に触れたように、ひんやりする。冷たさとともにやってくる、形容しがたい高揚感がのぼってくる。これはきっと魔法使いにしかできないような奇跡の技に違いない。御伽噺でしか聞いたことのない魔法使いが、ほうきにまたがって空を飛ぶ感覚はこんな感じなのかもしれない。
  高みから見下ろすことで、先刻食料を買い付けた村の様子が明らかになる。小さな小川の両岸に広がる田畑と散居する家々。家の数は30ほどだろうか。村の周囲はほとんど森に囲まれていて、おそらく薪拾いのものだろう踏み分け道が四方へと伸びている。
  街道は村からやや離れた森のなかを突き抜け、東へと伸びている。


  (街道の先へ……待ち伏せしそうな物陰は…)


  アレクの目は、街道に沿って周囲を見渡してゆく。
  と、そこで発見する。


  (やっぱり)


  見張りの騎兵。
  木のまばらな草原の緩やかな丘の上で、低木の茂みに馬を隠して遠眼鏡を覗く騎兵がいる。左右に目を走らせると、同じように見晴らしのよさげなところに見張りの兵が潜んでいる。
  待ち伏せは確定。
  ならばと、アレクは街道から分かれていく二、三の枝道の探索へと切り替える。こっちは馬車が通るのも難しそうな細い道で、おそらくはさっきの村よりもさらに小さな開拓村などにつながって尽きているのだろう。本来旅人が使うような道ではないのだけれど、逃亡者に好き嫌いを言うような余裕があるわけもない。むしろ道なき道を踏み分けてでも安全に逃げだしたいところである。
  だがその思惑も、戦姫の周到な待ち伏せの穴にはなり得なかった。


  (こっちにも待ち伏せって……むしろこっちが本命かよ)


  アレクは北に向かう一本の枝道で、森の中に潜む戦姫、テレジアの姿を発見してしまう。街道の本筋よりもこちらを本命と読んだテレジアの思惑は分からない。が、なんとなくその枝道に逃げていく自分たちの姿が想像されて、背筋が少しだけ寒くなる。


  (…オレたちが東街道に沿って逃げてるのはまる分かりなのに、もしかしてこっちに誘いこまれる罠でも張られてるのかな…)


  わけもなく考えをめぐらせて、アレクはぎょっとする。
  見つかった!
  テレジアの目が、アレクのいる場所を見定めたように立ち上がったのだ。潜む草むらを掻き分けて飛び出してくるテレジアの姿を目の端にとらえながら、アレクは遁走に移った。
  なんと勘のいい姫さまなのだろう。
  蜂蜜色のブロンドが日に輝いてすごい美人なんだけど、その恐るべき勘のよさでアレクの男を縮み上がらせる。きっとあの姫さまの旦那は浮気ひとつできないに違いない。
  ふとその『旦那さま』になったおのれの姿を想像したアレクは、ぶるっと身震いして、逃げることに力をそそいだ。もっとも彼の体がそこにあるわけでもないので、逃げることはわけもないんだけれど。
  急速に『目』がおのれの体に引き寄せられる。
  するり、と意識が重なった瞬間に、手に持ったままだったパンを取り落とした。少しだけきょとんとしたあと、落としたパンを差し出すアニタの目にぶつかった。


  「アレク兄も少しぐらい寝たらいいのに」


  地面に落としたぐらいで食料が『ゴミ』になるほど贅沢な暮らしを庶民は送ってはいない。受け取ったパンを口にくわえたアレクは、アニタのぼさぼさ頭をひと撫でし立ち上がる。


  「ありがと」


  目を細めながらくすぐったそうにするアニタを残して、アレクはゼノの姿を探した。知り得たことを伝えておかなければ。
  作戦はきっとゼノがひねり出してくれるだろう。






  ゼノは森の少し入った場所にいた。
  小さな湧き水に素足をさらして浸っている『王女さま』の腕を拭ってさし上げているところだった。王女さまはすぐに足を隠してしまったけれど、その雪のように白い肌が目に焼きついたのは仕方のないことで。
  ゼノの目を見た瞬間、アレクはその記憶を脳内から抹消することを誓った。
  「控えよ」とは言わない。今は没落した主従に人を恫喝するような権威はないし、なによりアレクは家臣でもなんでもなくただの他人である。
  ただ目力で「忘れろ」と脅され、そしてアレクが受け入れただけのこと。
  そんなことより。アレクはおのれが見た光景をつぶさにゼノに伝え、たしかに街道は封鎖されていると、さらにはその枝道のひとつに戦姫が伏せていると声を強くした。
  一瞬、なにを言い出すのかと戸惑った様子を見せたゼノであったが、アレクの説明を聞くうちに驚きの表情を見せ、アレクにも坐るよう言いながらおのれも傍にあった丸い岩の上に腰を下ろした。


  「まるでその目で見てきたかのような言い方だが…」
  「だからそれは観てきたからに決まって…」
  「ぼうず、おまえは《めしい》なのだろう? おまえが『心眼』を鍛えて普段の生活も過ごせるほどに『観えて』いるのは知っている。だが少し待て」


  ゼノは言葉を切った。
  何かを想像したらしく少しだけ考えをめぐらせたあと、アレクを見て小さく息をついた。


  「おまえはすぐそこで坐ってパンを食べていただろう。そこから動いてはいないことぐらいわれにも分かっている」


  そこでようやくアレクは言葉のかみ合わなさに気付いた。
  ゼノも『心眼』を使う。剣の達人であればこそ、相手の気配だけですべてを見切るその技はおのがものとしている。ゆえにアレクのその能力にすぐに理解を示していたのだが、それは一面的な理解にしか過ぎなかったのだ。
  どう説明すればよいのだろう。
  なんとなく、ゼノが考えているのだろう『心眼』とおのれのそれは、本質的にはまったく違うもののように感じる。彼は気配などではなく、ちゃんと対象物を『観て』いるのだから。ただあまり『色』が感じられないというだけで、それは目で見ているのと大差はない気がする。


  「ゼノは……その、どのくらいの広さまで『心眼』で見えるの?」


  ふと心に浮かんだ疑問。
  その問いに、ゼノの表情に硬い物が混ざる。
  剣匠の技量を疑うようなぶしつけな聞き方であることに気付いて、アレクはあたふたと言葉を継ぎ足した。


  「オレはどれだけでも……何ユルド先のものだって、目の前にあるように観える。たぶんもっと離れてたって観えると思う」


  一瞬、ゼノに頭ごなしに否定されるような気がして、アレクは首をすくめた。剣の達人が長い修行と鍛錬の果てにようやく手に入れる『心眼』とは違うのかもしれない。なら彼の『心の目』は、どんな奇跡なのだろうか。
  ゼノはアレクの目を厳しく見返している。
  まるで神の教えに背く不心得者を射すくめる坊さんのように、容赦のない眼差しが突き刺さる。


  「われが気配を察し得るのは、せいぜいここから見渡せる程度……めくらで剣を打ち合おうものなら2、3ユル程度の距離が限界だろうな」


  それが『心眼』の限界…。
  ふっと、ゼノはほとんど表情を変えることなく、口を動かした。
  何かをしゃべっていたのかもしれないけれど、アレクはしばらくその言葉を頭にまで届かせることができなかった。目を伏せるようにしてから、顎をしごくゼノ。
  そこで洩れた言葉が、アレクの耳朶を打った。


  「それは『千里眼』……偉大な聖人のみが使えるという神の御技に違いあるまい」








back//next
**********************************************************





ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります!!

ネット小説ランキング>【登録した部門】>戦え!! 少年傭兵団



inserted by FC2 system