『戦え! 少年傭兵団』





  第46章 『森の戦い@』












  さあ、いよいよだ。
  木々の切れ間からのぞく空は薄紅に染まり、徐々に藍の色を濃くしていく。
  夕時の足は早い。日が没しきったあとは、またたくまに夜らしい闇に包まれていくであろう。
  アレクは草むらに息を殺して隠れている。
  じりじりと炙られるような焦りに叫び出したくなるのを下腹に力をこめてぐっとこらえる。半刻後には物言わぬ肉の塊となったおのれがそこに転がっているのかもしれない。すべての当てが外れて、生々しい《死》という現実を突きつけられたおのれの苦鳴するさまが目に浮かぶ。
  血が沸騰して、なにも考えずに走り出したくなる。バカな衝動を噛み砕くように、奥歯を噛んだ。
  村人たちもアレクの指示に従って息をひそめているのだが、こちらは『オオカミ狩りの勢子』に過ぎないからそれほどの緊張感はない。まあたしかにこのひとたちは『勢子』以外のなにものでもないし、それ以上を期待してはいけない人たちだ。
  森の端、街道の入りこんでくる辺りに、ゼノの人馬が観えた。ルクレアの守護騎士はおのれの主の姿を一瞬探して、それが見当たらないことに小さく息をついたようだった。もうリリアさんとお姫さまは村長の家まで下がっている。
  森の街道はすでにおおかた薄暗がりに包まれていて、守護騎士の姿はアレクの《目》にしか見えなかったに違いない。
  ゼノが剣を二度三度と振っている。誰か斬って剣に血糊がついていたのかもしれない。馬をめぐらして、鐙の上で立ち上がった。
  何かの様子を確認している。
  そしてゼノが左手を回すように振った。
  それは取り決められた合図だった。




  (…のろしを上げる!)




  アレクは手に持った鉄鍋を一度叩いた。
  カーンと耳障りな金属音が、人いきれに満ちた森のしじまに響き渡った。


  (敵の先鋒が森に突入する寸前に出鼻を叩く)


  すでに火種で火を起こし終わっていただろうのろし組が、やや時間差を置いて四方で煙を上げ始めた。弱々しく線を引くようだった細い煙は、またたくまに勢いを増して太くなっていく。さあもっと若い葉をどんどんとくべてしまえ。もっと激しくくっきりとした白い煙を上げるんだ。
  ほんの少し、煙が弱くなったその後に。
  ぼわっとした煙の塊りが連続してふたつ薄光の空に舞い上がった。
  なかなか良い出来ののろしだ。これなら三ユルド先のはぐれ傭兵だって《信号》の意味を簡単に読み取っただろう。




  『再集結せよ!』




  散り散りになった団員たちを呼集する合図。
  戦場から逃げ延びた傭兵たちは、まさにクモの子を散らすように散り散りになっている。追っ手を撒いて落ち延びるにはそれがもっとも効果的だからだ。
  そうしてほとぼりを冷ましたところでこののろしを上げて再集結を図る。もしかしたらこののろしを見て《オークウッド旅団》の生き残りが駆けつけてくれないだろうか。頭を振って埒のない夢想を追い払う。父が斬り死にしたあの日、《オークウッド旅団》は数倍の兵に押し包まれてすりつぶされたのだ。偶然に団から離れていた彼の目の前で。


  (父さん…!)


  アレクは脳裏で、ゼノの言葉を反芻する。


  『まあ、マリニ兵たちは嫌がるだろうな』


  こちらの数など筒抜けのこの状況で、見え透いたブラフなんかすぐに見破られる。のろしなど上げたところで、どれほどの効果があるというのか。
  でも、ゼノは苦々しげに歯を見せて笑ったのだ。


  『どれほど見え透いたからとて、それでも、やつらは嫌がらずにはいられぬだろう』


  それはおそらく、《東方の三剣》たるゼノにしかなし得ぬ嫌がらせであっただろう。
  マリニ騎兵たちは嫌がったのだ。恐るべき剣を振るう偉大な騎士が、罠を張りてぐすね引いて待つ森に自ら先じて飛び込むことを。
  戦姫の率いる騎兵は総数百に及ぼうとも、先走り後続の本隊と千切れた先鋒隊はほんの少数である。すでに日は暮れて夜に近づいている。街道を飲み込む森の木陰はもはや闇と変わらない。
  一対一では赤子扱いされかねない剣豪の潜む森……さらには罠が用意されているかもしれない性質の悪いその暗がりに、誰が好き好んで一番手に名乗りを上げるだろうか。


  『最初の者たちは、臆して《待ち》に入る…』


  ゼノは予言した。
  そうして彼が森の入り口に踵を返し立ちふさがってから少しの間、追っ手のマリニ騎兵が飛び込んでくる気配はない。
  外の様子が気になって仕方がない。
  アレクは少しだけ迷った後、そろりと意識を飛ばした。
  いま森のとば口で、ゼノがどんな光景を観ているのか。剣を構えたまま佇む守護騎士が迎えようとしている外の景色はどうなっているのか。
  これから始まるであろういくさの最前線がそこにはある。
  遠目にも分かる。ゼノは沈みゆく淡い光に目を細め、そして笑うようにゆがめた口元に歯をのぞかせていた。アレクはそんなゼノを観、そして並び立つように森の外の街道を観やった。
  十数騎。
  それがゼノに追いすがったマリニ人たちの最初の小集団だった。
  この位置なら彼らからは見えているはずだった。なぜならゼノは森のとば口で、隠れるそぶりすらなく大胆不敵にゆったりと構えていたのだから。あからさま過ぎて、彼らから見えていないはずはなかった。
  しかしマリニ人たちははっきりと躊躇していた。その目はゼノを見、そして落ち着きなく森のあちこちで上がり始めたのろしの煙を見回していた。
  なんでこんな見え透いた手に引っかかるのか。
  ゼノにその企みを聞かされているアレクにも理解が難しかった。
  追い詰める側にもしもアレクがいたのならば、この場合どう行動しただろうか。あきらかに『いそうにない援軍』を匂わせるためだけのうそ臭いのろしだとすぐに察しはするだろうけれど、おのれの確信に殉じて《剣匠》の誉れ高い偉大な剣士に挑みかかるだろうか?


  (仲間の足が止まってしまってる……単身斬り込んでおっ死ンだら、後先見えずの恥ずかしいバカそのものだな…)


  あとから主人の率いる本隊が到着するのだ。全員がそろってから飛び込んだほうが絶対安全に決まってる。
  相手の側に立って考えれば、結局は自分だってそうするしかない。マリニ人たちがまとまって森にこないように、散々に引きずりまわしたのもゼノ自身だ。この状況はけっして偶然などではなく、ゼノが意図的に作り出したものだ。
  周りのものが見える程度には明るいけれど、森の中は見通せない程度に暗い空。その瞬間を選んだのもゼノ。
  そうしておそらく、この後もその『読み』どおりに事が進んでいくのだろうと思えてしまう。まさに《トロイの駒遊び》の駒にでもなったかのようだ。
  実際に軍勢を差配する将軍など側近くで見たことなどないけれど、傭兵を長生きさせる『良い指揮官』とはこんな戦い方をする人たちなのだろう。王様から高い俸禄を貰ってもこれならば仕方がないと思う。
  《オークウッド旅団》を率いたのがゼノのような『良い指揮官』なら、団は全滅なんて最悪の目には合わなかったのかもしれない。彼の父を斬り死にさせた無能な指揮官が高い給金を貰っているのに、片一方でゼノのような『良い指揮官』が仕官もせず苦難の旅をしている。本当に世の中はままならない。


  (来た…)


  アレクは立ち尽くすマリニ騎兵たちの肩越しに、彼らの本隊が近づいてくるのを観た。戦姫テレジアは兜も着けぬまま、黄金色の美しい髪を荒々しく揺らしてその先頭にあった。その鋭い眼差しに射抜かれて、アレクは唾もないのに喉を鳴らした。


  (やっぱりこの姫さまは怖い…)


  捕まったらきっと「邪悪な妖術師め」とかいわれて目玉をえぐられそうである。


  「さあくるがいい」


  ゼノが動いた。
  構えていた剣を鞘に収めると、手綱を絞った。


  「雄なる角笛の国の孤高なる姫殿下よ…」


  ゼノのそのつぶやきにいささかの揶揄を感じつつ。
  アレクは背を向けたゼノの背後を見守るようにわずかのあいだ戦姫と相対した。彼の姿をまさしくとらえたように、戦姫の顔に凄艶な冷笑が浮かんだ。
  本当に小便を漏らしそうだ。
  突入をためらっていた先鋒の騎兵たちを蹴散らすように、戦姫は迷いなく森の中へと馬を突入させた。


  「森に《剣気》などありはせぬ!」


  ご明察!
  姫の一喝で、マリニ騎兵たちは目が覚めたように突入を開始した!








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