『戦え! 少年傭兵団』





【第2部】
  第1章 『誘い』 












  後年、《オークウッドの守り手》と称される精強なる傭兵団を率いることになる男が、そのとき運命の岐路に立っていた。
  名は、アレク・ハンゼ。身分的な背景の皆無な、ただの平民出の男である。
  平和な時代であったならば、彼はただの腕自慢の剣士の一人として分相応の人生を過ごしたことであろう。
  だが血で血を洗う剣の腕ひとつでいくらで成り上がることが可能であった乱麻のごとき時代が、彼というひとつの個性を浮かび上がらせた。




  《運》を掴んだ。
  単純に、彼は運に恵まれた。
  人の世に抜きん出る英雄と呼ばれる人間たちがたいていそうであるように、単なる『才覚』のみで大いなる成功を掴めたわけではない。人の人生のどこかで必ずやって来る《運命の岐路》で、奇跡的なほどに薄い確率で多岐にわたる正解の枝をことごとく選びえた者だけが真の成功を掴むことが許される。
  彼は偶然にも亡国の姫君と英雄に知己を得、その窮地を救うことで絆を結んだ。そしてその流浪の果てに、予想外の大事業に深く関わることになる…。






  ***






  「乗るか、反るかだ」


  真っ暗な部屋の中に、ただぎらぎらと光る双眸が睨んでくる。
  別に威嚇しているつもりはなかったであろうが、眼光があまりに鋭すぎて、対面する相手を気圧さずにはおられない。


  「…今すぐに返答がほしい」


  ルクレアの守護騎士ゼノ・シュテルン主将卿。
  東方の三剣とも讃えられる、世に知られた剣匠である。その張り詰めて光沢のある鋼のように硬くなった眼差しにアレクは正直泣きそうになった。


  「…今すぐって……そんなのは無理だって」
  「動くのならば《今夜》なのだ。いまが千載一遇の好機なのだ」
  「ちょっと、そんなのフェアじゃない……そっちだけが状況分かってて、こっちは目くらで決断とか、普通ありえ…」
  「くだらぬ逡巡など捨ててしまえ! いくさには見逃してはならぬ可能性を漉しとったような濃厚な《一時》がある……おまえはその《一時》にこれほどまでに間近に居合わせた《幸運》を捨て去る気か!」


  アレク・ハンゼにはそのとき、二つの選択肢があった。
  ひとつはひたすら身の安全を図り、その場から逃げ出すこと。
  そしていまひとつは、乞われるままにおのが命をコイン代わりにベットして、カードの成り行きにすべてを賭けること。
  落ち着きなくアレクのまなざしは周囲にあるだろうわずかな情報を求めてさ迷っている。まだ夜明けまでいくばくかの時がある真夜中、閉ざされたその部屋の中には人いきれと張り詰めた空気が満ちている。


  「この『辺境伯領』は主を失って混乱状態にある。われわれが動かねば、どこの誰とも知れぬものが、ただ落ちているものを拾うようにこの得難いチャンスを奪い去っていくことだろう…」
  「だから! なにを言ってるのか…」
  「大アラキスの王朝が倒れたあと、このヘゴニアには死肉食らいどもの餌場と成り果てた。…そこにまた一匹の肥え太った羊が、無防備に腹を見せて横たわってしまった……それを誰が見逃すというのか」
  「ここが……また戦場になるっていうの」
  「最初は夜盗の類だ。…そして内臓を食い散らかされた死体に今度は他国のハゲタカどもが群がってくる。この『辺境伯領』は自由都市ローニュとの通商の要路をなしている……無力な領主一族はなすすべもなく蹂躙されるしかない……あの幼い姫君だとてな!」


  国を失ったルクレアの王女が流浪の果てに庇護を求めた大アラキスの有力諸侯、ヘルマン辺境伯家いま断絶の危機に直面していた。そのころヘゴニア東部で再び起こっていたマリニ公国軍との対決に連合側として辺境伯当主自らが出兵し、そして多くの家兵とともに戦場に散った。
  悪いことに、留守を守っていた嫡子も領内を勝手に通過しようとした正体不明の他国の兵を咎めて争いになり、そのとき不覚にも返り討ちにあい陣没してしまった。
  辺境伯家にとって、それは未曾有の危機であった。
  生き残ったのは年寄りと女子供のみ。今となっては跡継ぎと呼べるのは当年7歳にしかならぬ幼い姫のみであった。


  「伯家はもはや地方勢力としての体すらなしておらん。…が、兵は散り散りになってはいるものの、離散する前に急ぎ糾合すればいくらかの回復は可能だろう。…刻一刻とヘルマン辺境伯軍は解体しつつある。役立たずの傭兵でさえ大金を与えねば集められないこの時代に、訓練を受けた正規兵がどれだけ貴重であるか分からぬはずはあるまい……その兵ごと、この地をわがものとするこれは恐るべき大好機……そのチャンスを逃すわけにはいかぬ」


  いま思えば、ヘルマン辺境伯も、軒を貸してしまったお人よしが災いして母屋を奪われるわけだ。遠縁とはいえ、なかなかにえげつない客を引き入れてしまったことが不運の始まりであったか。


  「兵気の薄さを感じて、城市の周りに夜盗どもが集まり始めている。この一時を逃せば、辺境伯領がきゃつらに蹂躙されるばかりか、われらにもまた元の拠る屋根を持たぬあの流浪が待っているだろう。…アレク・ハンゼ」


  世にはもっとも高潔な騎士として敬慕を寄せられるこの男が、実際には非常に計算高く時には泥水までも真顔ですすることのできる戦場の男であることをアレクは知っている。
  その剣技を極めた脳髄の中では、冷徹な計画がすでにしっかりと形を成しているのであろう。ここでまだ傭兵として若造といわれても仕方のないアレクを熱心にかき口説くのは、おそらくは彼に与えられた神の《贈り物》が目当てなのは疑うべくもなかった。
  その部屋は、「ルクレア国王女の郎党」のための居室であり、アレクの周りにはすでに騒ぎで目を覚ました家族たちの姿があった。
  背丈だけならすでにアレクとも肩を並べそうな大食漢のレント(11)と、始終青洟をすすっているやせっぽちのアルロー(9)、くせのある赤毛をつんつんと跳ねさせた勝気なアニタ(9)に、巻き毛を頬に張り付かせたまま目をこすっているルチア(8)……4人の弟妹たちと、夜着に毛布を巻いて男たちの剣呑な会話を見守っているリリアの眼差しが痛いほどに感じられる。
  家長であるアレクの判断は、むろんのこと家族たちの生活や命の重さを勘案したものでなくてはならない。
  アレクはそれほど計算の得意な性質ではない。戦場働きに必要な計算は別であるけれど、理性よりはその場の感情のままに行動することの多い人間である。
  考える時間を与えられないことで、彼の思考はとっくにオーバーフローしていたが、そういうときこそ理性ではなく勘で動く人間だった。
  アレク・ハンゼは、そのとき《運命の岐路》の前に立っていたのであろう。


  「分かったよ、ゼノ」


  本人曰く、「英雄の要請に応えてみたかった」のであるらしい。
  その一事が、アレク・ハンゼという少年を表舞台へと踏み出させることになる。








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