『戦え! 少年傭兵団』
第3章 『暗殺仕事』
アレクには、漠然とだが将来設計のようなものがある。
それは墓場まで続くような長大なものではむろんなく、ほんの数年先、夢見がちな年頃の少年がよく思い描く都合のよいお手軽なサクセスストーリー。
《東方の三剣》ゼノの引きでどこかの有力な騎士団に収まり、腕を磨くほどに周囲に認められ、やがて起こる騒乱で頭角を現したのちに、騎士団の主要な地位に抜擢される。そうしてその収入で都会に大きな屋敷を買い、子供たちとリリアを住まわせる……その傍らにあるべき伴侶はリリアであったり別の知らないきれいな娘であったりするわけだが、まあおおむね年頃の少年が思い浮かべるオーソドックスといっていい妄想である。
しかし現実は、割とハードな展開をみせつつある。
「殺せ」といわれて、まったく関わりなど持ったこともない老人を人知れず葬るべく、足音を忍ばせて暗闇のなかを駆けている。しぶとく鍛えられた彼の心肺機能は多少の長距離走程度では音を上げたりはしないが、心の中で処理し切れていない「迷い」が幾分呼吸を弾ませている。
が、彼の意識は深く冷ややかに闇の中に浸っている。相手の背中を追いながら気持ちの温度は低下し続けている。
(あの男を殺せば、ゼノたちの道が拓ける……それはオレたちもついていける暖かな日なたへの道なんだ…)
老騎士の死と、報酬の金貨10枚。
暗殺と、彼の成功物語。
状況の表層にあることがらはただそこにあるのみで、彼に道など指し示してはくれない。それらを成すことで彼が『成功への道』を這い登ることができるのか、基本的なことさえいまはまったく分からない。
ただ彼は、良き傭兵として、請け負った仕事を粛々と実行するだけである。
前を行く死すべき老騎士は、息を弾ませながら人気のない街中を城門目指して駆けていく。
ゼノになにを吹き込まれたのか、その心中の憤りを呼吸を荒げつつも吐き出し続けている。
「…なにが剣匠ぞ! 田舎騎士風情が…くそっ」
磨き上げられた甲冑が、おのれのささげ持つ松明の明かりを跳ねさせてちらちらと輝いている。その横に従者と思しき皮鎧のみの子供が同じく松明をもって付き従っている。
「城門の兵が……現場放棄、しておるなどと! …ヘルマン家の家兵は、みな累代の…血縁正しき者のみっ! 親より継いだ役目を、片時でもおろそかにするなどっ、…あるわけがない! …あの田舎騎士めっ、知ったふうなことを、抜かしおって!」
どうやらこの老騎士は、城門から守兵が逃げ散ってしまっていることを知らないようだ。真っ暗で人気のない城壁を間近にしても、この老騎士の心の中にまで真実が染み入ることはなさそうであった。
その点、従者の子供のほうがいくらかましな判断力を持っていたようだ。
「ご主人様。城壁にはまったく明かりがございません」
「いいや、おらぬはずがないのだ!」
しばらくもせぬうちに、老騎士主従の上にいっそう濃さを増した暗闇が落ちかかってくる。立ちふさがった城門が星明りさえも切り抜いて真っ黒な影を作っていたからだ。
城門はしっかりと閉じられていたが、その脇にある門番の詰め所もまた扉が閉め切られている。その目で見るまでは得心できないのか、主従は閉じられた扉を何度か強く叩いた後、無反応に業を煮やして押し入るように中へと踏み込んだ。
(そろそろか…)
詰め所の無人を確認した老騎士は、辺りを見回して足早に城壁の上へと続く階段に取り付いた。確かに後確認するとすれば、城壁上にいるかもしれない歩哨ぐらいであったろう。
むろん歩哨などいるはずもない。門を守る守兵と連携して初めて市城の防備は機能するわけで、下が無人の状態で上に歩哨がいるはずもなかった。
老騎士がおのれの誤りを認めざるをえなくなるのは、もはや時間の問題であるだろう。階段を上がっていく主従を見上げて、アレクは息をつめた。
その前に任務を果たさねばならない。そのためには、ふたりの持つ松明が邪魔であった。
物陰から一息に躍り出た彼は、獲物に飛び掛らんと藪から踊りかかる狐のように階段を駆け上がった。城壁の手すりもないむき出しの階段は、勾配も急で上っている最中前ばかりを見ることになる。一気にその背中に迫ったアレクは、存外に無防備なその様子に松明を狙う方針を即座に変更し、抜き放った中剣を猿臂を伸ばすように老騎士の甲冑の隙間に突き入れた。
下からであるので、狙ったのは右ひざの裏。剣先が甲冑の隙間に滑り込み、わずかな肉の感触のあと、骨の硬さに弾かれた。
老騎士のほうは、瞬間なにが起こったのか理解しがたかったのだろう。「うわっ」と膝を抱えるような動きを見せた後、よろめいて城壁側に肩をぶつけるように体を回した。こちらに顔を向けたところで急所の喉があらわになる。
アレクはそれを見逃さなかった。
シュッ!
場所が狭いので再び鋭く突いた。
刺さったあとさらに踏み込んで首の半ばまでをえぐった。
(終わった…)
信じられぬものでも見たように目を見開いた老騎士が、叫びの代わりに大量の血しぶきを吐いて身をかがめるように倒れこんできた。それを半身になってかわしざま、城壁の下へと蹴り落とす。
そのとき、任務が完了したことで多少の油断があったものか。アレクはこちらを真っ青な顔をして凝視する従者の子供に気付いた。
しまった。正体を見られた。
次の瞬間、声変わりもまだな子供の劈くような悲鳴が夜中にこだました。
「ちいっ!」
顔はフードで半分隠しているとはいえ、今後のリスクを考えればとるべき行動はいたってシンプルだった。
壊れたように叫び続ける従者に迫ったアレクは、その瞬間おのれの死を悟ったように縮こまる子供の姿に金縛りにかかる。剣を持った手が動かない。
互いに相手の視線に呪縛される。
子供は目じりに涙を浮かべておのれの「死」をまざまざと凝視している。その腰には護身用のものなのだろう短剣が挿し込まれていたが、それをとっさに手に取るだけの訓練は施されていなかったのだろう。
まだ12、3ぐらいであるだろうか。短く肩できれいに切りそろえられた髪とその肌艶を見て、割といいところ出の子弟であるとなんとなくわかった。
勢いのまま切り捨てるべきだった。
いったん動きが止まると、ここから再び始動される彼の行動すべてが純然と目の前の子供を殺害するためのものとなる。そのためらいを好機と見たのか、子供が背中を見せて逃げ出した。
「たっ、たすけて!」
助命の懇願。
だがしかしそれはアレクが受け入れられるものではない。すでに顔を見られたうえは、いまの生活を守るために邪魔者を排除するしかない。
(怨むなら怨め……運のないおまえのむくろを糧にオレは成功を掴む)
罪の意識はある。
だが必要以上には背負い込まない。口を拭っておのれの罪のなさをアピールするつもりもない。それが傭兵の生き方だった。
突き出した剣先が、従者の背中をわずかに突いた。到底致命傷などではなかったが、痛みに動転したのか従者は足をもつれさせ、急な階段の途中で倒れこんだ。
せめてひと思いに。
アレクはすでに老騎士の血にまみれた中剣を振りかぶった。
「賊が城内にすでに潜入したと!」
「ボゴール卿が賊の不意打ちに合い落命!」
すべてが手はずどおり。
連絡の途絶えた老騎士の安否を確かめるべくやってきた兵士がその死骸を発見して城館へと逃げ帰った。そうしてヘルマン辺境伯家は恐慌状態に陥った。
右往左往するばかりの家臣たちに、この危機を脱する手段など思いつこうはずもなく。自然人々の耳目は、伯家の幼い姫君の横にたたずむ高名な守護騎士に向けられた。
「わが守護騎士殿ならば、たちどころに賊など叩き伏せてみせるに違いないわ」
不安に震える姫君の手を握るルクレアの王女の慰めも、この主従のたくらみを知っているものには実に空々しく映る。
藁にもすがるような姫君の問いに、ゼノはマントを払って謁見の間の中央に移動すると、なんとも芝居がかったしぐさで片膝をつき、言上した。
「いまは伯家の火急のとき、議論をしているゆとりなどありませぬ。早急に対処せねば、伯家もまた没落した他領のあとを追うことになりましょう…」
「シュテルン卿…」
「異例のことではありましょうが、わたしに領軍の兵権をお預けくださいますよう。一刻も早く賊の侵入に対処し、無辜の領民を守らねばなりませぬ」
混乱の淵にある伯家にとって、それはなんとも頼もしい申し出てあったが、姫君の即答はない。
垂れた首を上げたゼノは、おのれの選んだ言葉が間違っていたことに気付く。
「姫様の大切なお部屋を汚いなりの賊に荒らされぬよう、このゼノ・シュテルンに領軍の兵権をお預けくださいましょうか?」
「領軍はあげるから、このお屋敷には賊になど指一本触れさせないで!」
「御意のままに」
ゼノは姫君の言質を取った瞬間に立ち上がり、広間を警備していた兵士たちを呼集した。矢継ぎ早に指示が飛ばされて、兵士たちが方々に散っていく。
ゼノと姫君の傍らにある王女との間に、わずかな目配せで何がしかの意思が疎通したことをどれだけの人間が気付いたことだろう。
広間を出てきたゼノと目が合って、アレクは暗がりの中で小さく笑った。
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