『陶都物語』





  第4章 『大原郷』












  あれから2年程が経った。
  草太は3歳。小柄な母親似で身長こそあまり伸びなかったが、やることもなく暇だった彼はおのれの生活環境を調べ尽くすべく付近一帯を動き回っていたので、手足には伸びやかな筋肉がついた。


  (ここは、やっぱり多治見だ…)


  2年間の調査の結果、彼はそう断じるしかなかった。
  しかも驚くべきことに、江戸時代だった。
  今年は嘉永5年。正確な西暦を当てることは難しかったが、一時にわか竜馬ファン転じて幕末オタの気があった前世の記憶に、わずかに響くものがある。


  (たしかペリーの黒船がやってきたのがこの年間だったような気がする…)


  幕末オタにとって、黒船=吉田松陰という反射的な発想がある。この偉い先生が長州へ檻送され、あの長州藩の志士たちを世に送り出す松下村塾につながっていく。
  幕末の転機となる一大イベントである。


  (黒船騒動はあの安政年間のはずだから、いまはその前ってことか……1850年頃なのかもしれん。おお、そうなるとまさにいま激動の時代が始まっているんだな!)


  大原郷の3歳児がそんな想像に盛り上がっているのはむろん集落の誰ひとり知らない。
  大原郷…。
  それが彼の所属するコミュニティである。
  多治見盆地を貫流する土岐川(愛知に下っては庄内川)に流れ込む一支流を、大原川と言う。大原川の南側は、高社山の裾野まで続く緩やかな傾斜地が広く続き、豊かな穀倉地帯となっていた。
  集落は割と大きく、ぱっと見で50軒ぐらいの家が散在している。
  柿の木畑の伊兵衛の家は草太を含めて4人家族だったが、おとなりのおつるさんちに子供が7人いることでも分かるとおり、たいていの家は大家族で、平均して10人くらいはいるのではないだろうか。
  大原郷の推定人口は、空き家や無人の小屋が混ざることを勘案してもだいたい400人ぐらい。ド田舎にしては結構な数である。


  (これだけ人が住んでるんだから、寺小屋のひとつやふたつあるだろう…)


  江戸時代の、しかも下層階級の知的興隆が盛んとなる幕末である。これだけの人口を抱える大原郷に教育拠点がないはずもない。
  目下のところ、彼の望んでいるのは『初等教育』だった。


  (寺子屋にいきたいな〜)


  前世の記憶を持つ彼に、江戸時代の知識は必要なさそうであったが、現代人が変化の多い社会で身につけざるを得なかった『情報中毒』は、集落内で完結してしまう取るに足らない情報だけでは到底満足しなかった。
  字が読みたい。
  彼の家には、およそ文字というものがなかった。識字する者がいないのだから、必要ないといえばなかった。居間の柱に飾られた、毎朝爺婆が拝んでいるありがたいお札に少しばかり文字らしきものがのたくっていたが、あれは漢字というよりも呪符っぽいから専門知識がないとムリだろう。
  大原川の土手で腕組みしつつ思案する3歳児の様子を、通りがかる人々がほほえましそうに眺めていく。大原川の向こう側、北側の堰堤には、割と幅の広い道が続いていて、おそらくはお隣の可児のほうへ抜けている街道なのだろう。いったことがないので想像になってしまうが、この道を反対方向の東へ行けば、国道19号線のある辺りまで続いているはずである。あれだけ大きな道だから、この時代にも街道らしきものが多治見と尾張とを繋いでいることだろう。
  道ゆく人を見てそんなことを想像している彼の後ろを、彼に気付かれぬようにそそくさと歩き去ろうとする人影があった。


  「ちちうえ!」


  彼はすでに身体の向きを変えていた。
  彼の声にその人影がぎくりと立ち止まる。
  少し嫌そうに振り返ったその人物こそ、柿の木畑の伊兵衛の娘に夜這いをかけた、普賢下の林様の三男坊、林三郎左衛門その人であった。


  「なんだ、ぼうか」
  「さいきんちちうえが冷たいと、ははうえが申しておりました」


  3歳児の口からしゃらくさい言葉で責められて、三郎は口をへの字に曲げて鉤鼻をこすった。背は割と高く、5尺7寸(170cm)ぐらいある。手入れの行き届かない頭はくくってあるもののざんばらで、髭も不精して伸び放題である。
  ちゃんと身だしなみを整えていればそれなりに二枚目なのかもしれない。村娘には人気があるらしく、おかしなものでそういうときは背筋を伸ばして格好をつける。


  「そのうちにまた顔を出すと、母上には伝えておいてくれ」
  「ここまでこられたのは、ははうえのお顔を見るためではないのですか? ははうえはいつもちちうえが来るのを待っています」


  暇つぶしだ。
  簡単には逃してやらない。


  「ああ、すまんが用があるのでな。また日を改めて顔を出すゆえ…」
  「根本郷のおなごに入れあげておられると草太はきいています。いかに普賢下の林様が本家から扶持をいただいているといっても、それにも限りがあると先日やってこられた下働きの方がぼやいておりました」
  「むっむう…」


  この男が新しい子供を子さえるたびに、その父親が自家のメンツを保つために扶持金を削って配っている。そういううちも月に10文の銅銭を貰っているのだが、この男が子供を増やした結果もらえる額が減るのはいただけない。
  ここいらの殿様の係累というだけに、村人には娘に夜這いをかけられることを待っている雰囲気もある。この男としては都合のよい入れ食いの状態なわけで、誰かが止めないと村が兄妹だらけになってしまう。


  「おかえりですか?」
  「ああ、気が変わった」
  「ならばぜひははうえにお会いしてあげてくださいませ」


  手を掴んで、引っ張る。
  母がこの男の来訪を心待ちにしているのは見ていれば分かる。どうしようもない女たらしだが、母は惚れているのだろう。なら少しでもこの男と一緒の時間を作ってあげたい。
  だがいかに鍛えたとはいえ3歳児が大人の男にかなうはずもない。ひょいと抱えあげられて、肩車のように乗せられた。


  「ぼうは変なガキに育ったな」


  男の足は、彼に家には向かわなかった。
  どうやら彼のツッコミに気勢をそがれて、普賢寺の門前にある自分の家に戻るのだろう。それならばさっさと降ろしてもらいたい。彼にはこれからの将来設計などいろいろと考えることが多いのだ。
  この男は正直いけ好かないのだ。親子とはいえ、一対一で時間を過ごすなど人生の無駄遣いというものだった。
  だが三郎は彼の足を掴んで有無を言わさない。無精ひげが当たってふくらはぎが痛かった。


  「そういえば父がおまえを見たいとおっしゃっていてな」


  実は父方の親と会うのは初めてだったりした。








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