『陶都物語』





  第6章 『士農工商』












  人類皆平等。
  天は人の上の人を作らず。
  平等、公平をうたう社会であった前世の感覚を引きずっているのだろうか。
  でかした、草太! これからおまえは士分として世を渡っていけるぞ! 爺は興奮したようにそういってはしゃいだ挙句、框で足を滑らせて盛大にすっころんでいたが、本人は急転した展開に頭が真っ白になっていた。


  「このご時勢だ。見込みのある子供は早くから教育せねば我が家は時流に取り残されよう」


  貞正様はそういって、床の間の掛け軸を取り替えるような手軽さで、柿の木畑の伊兵衛に小者を遣わし、手はずを進めてしまった。気がついたときには、彼の名は《林》の苗字にぶら下がるようになっていた。


  (林……草太?)


  違和感がありまくりである。
  子供の人生を左右する一大事だというのに、林家、伊兵衛とのあいだになんら問題が発生することもなく、授受は成立してしまった。
  武士の家で、御家存続のための養子縁組などは日常茶飯に行われていた時代なので、抵抗が少ないのだろうか。もっとも、彼は血のつながらない養子ではなく本当の血縁ではあったのだけれど。
  親権が母から父に移った、という形なのかもしれない。


  「よかったね。よかったねぇソウちゃん…」


  婆はうっすらと涙を溜めてぎゅっとしてくれた。悲しんではくれているが、元来この出来事は慶事としてとらえているのだろう。口元に笑みが絶えない。殿様の係累とはいえ所詮地下侍程度だというのに。
  それよりも問題は母のはるだった。


  「ソウちゃん…」


  潤んで決壊寸前の涙を手で拭っていたが、彼を抱き上げようとした腕を途中で止めて、何かの激しい感情を振り払うように「うううう」っと若干のドップラー効果を発生させながら勝手口から出ていってしまった。
  身体は3歳児でも中身は30過ぎのオヤジである彼であっても、これにはやられた。婆の腕に抱かれながら、彼もつられるように号泣していた。
  よく考えれば育児放棄していた父親などノーカウントである。親は感覚的にはるがオンリーワンなのである。
  挨拶に訪れていた小者のゲンと三郎は、手土産にと米俵ひとつと懐紙に包んだ金子を差し出した。それが彼の身柄引き取りの代価ということなのだろう。人命が地球よりも重いと妄言を吐ける時代を知る彼にとって、その代価は特売セール並みの値段に映った。
  はるの消えた勝手口のほうを見ながら頬を掻いている三郎を見て、殺意を覚えたことは心の閻魔帳に書き込んでおこう。こいつほんとだめだな。






  3歳児に私物などあるわけもなく。
  その日のうちに彼は普賢下の林家に引き取られ、ここで起居せよと離れの北側の小部屋をあてがわれた。かつてもっと小者がいたころにその住居に当てられていたのだろう。畳で数えたら12畳もあった大部屋を、運んできたふすまで仕切って完成した6畳間。
  部屋というよりもパーテーションで区切っただけの会議室の感覚に近かったが、個室が与えられるだけでもこの時代のガキとしては破格の待遇だろう。部屋の真ん中で呆然と辺りを見回している彼を見て、小者のゲンが、


  「ぼっちゃんが大旦那様に期待されとるあかしやらぁ」


  などとわけ知り顔に頷いている。期待、という言葉に反応して振り返る彼に、


  「…これは大奥様から持っていけと言われた若のお古やわ」


  と、風呂敷にまとめた古い着物を押し付けてきた。
  三郎が子供のころに着ていた服なのだろうか。繕った跡が多いが、それでも伊兵衛の家にあったどの着物よりも上等だった。


  「大旦那様が書斎でお待ちされとるし、準備できたらすぐに行きゃあよ」


  準備、というほどのものもない。
  そのまま着物を放置して部屋を出て行こうとした彼を、ゲンがあわててとどめた。


  「おっとっと、そんな格好で行ったらいかんやろ!」
  「???」
  「何のためにゲンが服持ってきたか分からんやろ。その汚ない前掛けを脱いじまって、…ああ、そんなばっちい手で触ったらあかんやろ!」


  ゲンが彼の手を捕まえて、懐から取り出した日本手ぬぐいでごしごしと拭いた。微妙に湿ったその手ぬぐいは、彼の手に負けないぐらい汚れが染み付いていて、結構臭いもきつかった。されるままになっていたが、返って手が汚くなったのではと思わないではない。
  自分で「金太郎エプロン」と命名していた赤茶けた前掛けを剥ぎ取られると、彼は素っ裸になった。3歳児はフルチンがデフォである。
  身につけさせられた着物は、前世でいうなら浴衣のようなものだった。絞り染めというのだろう、模様は少しごわごわ感がある。
  Mサイズの人がLLサイズを着たような感じで、すべてのパーツが彼のそれと合っていない。着物のすそを引きずるので、横で縛ってもらう。


  「うっしゃ、それでいいやろ! そんじゃ、大旦那様のとこにいこか!」


  もう書斎の場所は知っているのだが、ゲンのほうは服ひとつ満足に着られない子供に不安を覚えたのだろう。迷子になって大旦那に叱られるくらいなら、少し面倒でも書斎まで連れて行くか、そんなところだろう。
  ゲンに手を引かれて、見覚えのある障子の前まで来た。中では貞正様が誰かと話している声が聞こえる。
  膝をついたゲンが、「失礼いたします」と、外見に似合わぬ礼儀作法で顔を落としたまま障子を開いた。むろん常識のない3歳児は部屋の中をガン見している。
  部屋の左、床の間を背に上座に坐るのは、林家の当主にして謹厳ナイスミドル林貞正様。その横に坐っているのはおそらく大奥様、手前側に背中を見せているのは大原の種馬三郎であろう。


  「ささ、ぼっちゃん」


  そういって背中を押されはしたものの、どうリアクションしていいか困るところだ。
  目の前で興味深そうにこちらを見守っているのは、これからの人生ずっと家族となるだろう人々である。ただしいまのところ親近感は皆無である。
  いろいろな挨拶の言葉が頭の中をぐるぐるとめぐるが、所詮この身は3歳児。不自然な挨拶などかまして気味悪がられるのは避けなければならない。保護者なしには3歳児は生きていかれないのだ。
  父三郎の背中を避けながら、下座と思われる右に回る。むろん座布団なんかない。
  こういうとき、前世の経験則などが反射的に頭をよぎる。商工会のうるさがたなどが若手に教え込む「宴席の礼儀作法」なんかが思い出されてくる。


  (たしか畳の縁は踏んじゃまずかったっけ…)


  縁をはずして、充分に下がったところで正座する。
  そうして畳に坐ると、ほんの少し気持ちが落ち着いた。葬式で坊さんに挨拶しているときのような気分になる。そうなると、自然と挨拶も言葉になった。


  「このたびはどうもお世話に……じゃなくって! ああ、ええっと、…柿の木畑の伊兵衛の娘、はるが子の草太ともうします」


  ぶわっとあふれ出す冷や汗を感じつつ、草太は畳に額をこすりつけた。








back//next
**********************************************************





ネット小説ランキング>現代・FT コミカル>陶都物語

地味に公開の間口を広げてみました(^^) 応援してくれたら励みますよ(笑)


inserted by FC2 system