『陶都物語』





  第7章 『ジョブ『大学者』』












  普賢下・林家の住人になって2年が経った。
  祖父貞正手ずからの教育は、それはもう厳しかった。3歳児に容赦なく『論語』や『朱子学』などの小難しい本の完璧な暗唱を求めるし、気が遠くなるほどの時間をかけて砂箱(黒板代わりだ)に何百回と書写させたりした。


  (江戸時代の星一徹がここにいる…orz)


  2年にわたる地獄の教育の甲斐あって、草太はすっかりと江戸時代の読み書きに馴染んでしまった。前世のおっさんであったなら、時代がかった筆記など見ただけでアレルギーを起こして2年が10年になっても覚え切ることは出来なかっただろう。幼い柔らかな脳細胞は想像以上に効率よく知識を吸収した。紙面にのたくった筆の走り書きがちゃんと『文字』に見えるようになったときは、ヘレン・ケラーの「ウォーター!」並に小躍りしたものだった。
  いまでは祖父に命じられるまでもなく、新しい書を引っ張り出しては率先して読書に耽っている。いまなら『史記』でも『解体新書』でもどんとこいって感じだ。
  貞正様は我が孫のおつむの出来の良さに大変満足げで、家族どころか訪れる客やお経をあげに来てくれる和尚にまで自慢しまくってくれている。意外に迷惑な爺バカだった。
  大原郷の鬼っ子は、いつしか普賢下林家の『秘蔵っ子』と呼ばれるようになった。


  林家の人間たちは気付かなかった。
  情報の取得と伝達。原始的とはいえ識字力を得た彼は、現代知識というチート情報バンクを持つこの時代最大の『大学者』へと密かにジョブチェンジを果たしたのだった。






  (これは……想像以上……まさに最悪)


  林家の図所室を兼ねた土蔵に出入りを許された草太は、家人の監視の目がないのをいいことに、林家累代の家計簿を取り出して、むさぼるように数字情報を読み取っていたのだが。
  最後のひと綴りを読み終えて、彼は土蔵のなかで大の字になった。


  (これで破産しないのが、江戸時代マジックか)


  林家は、帳簿上保有資産を軽く数十倍にしたほどの債務を抱え、にっちもさっちもいかない状態となっていた。前世風にいうならいわゆる《債務超過》というやつである。
  平成の世ならとっくに債権者団体が押し寄せてきて社長をつるし上げているところだろう。それが起こっていないのは、林家が痩せても枯れても《士分》であることに他ならない。度を越えた取立ては、武士階級の伝家の宝刀《無礼討ち》を誘発させる可能性があるからだろう。だから、微々たる返済を続けることで黙っている。
  借金は1000両あまり。
  ああ、千両箱ひとつ分かと軽く流してはいけない。利子だけでも年に60両もあり、この時代米1俵を米問屋に売ると2両ほどになる。利子だけで30俵の米が消えて行く計算だ。
  林家の持ち田は、自ら田植えする7反と小作人に貸している15反の合わせて22反。手持ちの7反から4俵ずつ取れるとして28俵、小作人からは1反当たり1俵貸し料で取っているから15俵。合わせて43俵。もちろん年貢がないわけもなく、手持ちの田にはそのまま税がかかるため、年貢分16.8俵引いて11.2俵。林家の総収入は年に26.2俵でしかないのだ。
  もうすでに計算がおかしい。利子だけで収入上回ってるよ…。


  (こんな不良債務者につかまって、貸したほうも災難だな…。ええっと、どっから借りてるんだ? ええっと、西浦家?)


  ああ、あの家か。
  多治見の観光スポットに少し明るければ、『西浦庭園』でヒットするはずだ。たしか幕末の美濃焼きの仲買商で、江戸と堺にも出店している東濃一の豪商だったとか。私費で多治見初の木造橋(多治見橋)を造ったというから、はぶりは良かったんだろう。
  まあともかく、林家はこの豪商から、1両返して2両借りるなんてことを繰り返しているらしい。この分だと、林家の田圃は全部質草に押さえられているのだろう。
  頭が痛くなってきた。
  ちなみに林家には、札差商(年貢米等の現金化を請け負っていた大商人)を介した扶持金が江戸の林家から年2両与えられている。普賢下の林家が誕生した頃から続いているもので、当時の殿様が現地妻に与えていたものが慣例化しているものらしい。彼の場合は月10文だったが。
  最初は債務をなんとかできないかと試行錯誤していたのだが、大原郷の素朴な産品群とにらみ合っているうちに諦められた。米以外には薪や炭程度だし。大もうけはムリだろう。
  何とかしなくてはならないのだが、5歳にしかならない彼にはまだ資本もなければ決済権もない。家中の発言力すら皆無なのだから手も足どころか指一本動かすこともできない。
  ジョブ『大学者』は、しばらく持ち腐れになりそうだった。






  安政元年、秋。


  大原郷は実りの秋を迎えて、にぎわっていた。
  実りの季節は、年貢の季節でもある。まだ残暑も厳しい時期に、林家にやってきたのは根本郷にある代官屋敷の役人だった。
  緩やかな丘陵の続く根本郷の一番高い山すそのところに、江戸の林家(江吉良林家:この地の殿様)の現地代官屋敷がある。一族はみな江戸暮らしであり、こんな田舎に引っ越してくる変わり者はいないらしく、坂崎様という家老が知行地行政を取りまとめている。普賢下の林家に寄越された小役人は、若尾とかいうのっぺりとした顔の若い侍だった。
  林家の庭に積み上げられた米俵が、この役人の抜き打ち検査を受けながら次々に荷駄に積み込まれ、運ばれていく。
  普賢下の林家は、この大原郷の年貢を取りまとめる庄屋であった。
  大原郷の表高(幕府が公表してる生産量)は491石50合。庭に積み上げられた米俵だけでも100俵を越えている。
  草太はせわしなく検査を行う若侍の様子を横目に、帳簿をつけている太郎、次郎、三郎の珍しい姿に見入っていた。林家の跡取りとして『若旦那』と呼ばれている長男、林太郎衛門貞利は、常に父貞正と行動を共にしているためかよく日に焼けてうなじまで真っ黒だ。生真面目な性格で、いまも書きつけた帳簿を何度も何度も見直しては難しい顔をしている。


  「兄じゃ、もう次のにいっとるし、はよ書かな」


  その横で唐筆を鼻と口のあいだに挟んで退屈そうにしている男が林次郎左衛門貞光。こいつは弟の三郎以上に手癖が悪かったらしく、貞正様が池田町屋(※注1)の町家から嫁を取って強引に分家させたと聞いている。田んぼを5反分与したのに、田植えを嫌がって池田町屋の嫁の実家に転がり込んでいる。その次郎の書きとった帳簿をのぞきこむと、驚くべきアートがそこにあった。


  (これが他人に判別できるのか?)


  草太は言葉にこそしなかったが、そばでしゃがみ込んで帳簿をのぞきこんでいる甥っ子を、次郎は邪険に追い払った。


  「邪魔や邪魔や! のぞくな!」


  言葉遣いは荒々しいが、基本三郎系統の優男である。荒事は得意でないらしく、パンチもキックも腰が入ってない。にまにまと含み笑いの甥っ子に、バカにされていると直感した(スルドイ!)らしく、覗き見を嫌がること半端ではない。
  まさしくミミズがのたくったような帳簿を手で隠して、しっしっと追い払おうとする。
  次郎と草太のやりとりに三郎は頬杖をついてニヤニヤと笑っている。基本、この浮気者の父親も筆使いは似たようなものである。人のことなどいえた義理ではなかろうが、困ったことにこの男、教養を疑われても痛がらない。頭は悪くても、林家の男子であること、人並み以上に優男であることによって村娘の受けがすこぶる良いのだから悩むこともない。


  「嫌なガキじゃ。多少頭が回るからって鼻にかけとるとそのうち痛い目を見るぞ!」
  「貞光ッ!」


  息子たちの帳簿付けを部屋の奥で見守っていた貞正様の雷が落ちた。あまりにふがいないのか、脇息に置いたこぶしがプルプルと震えている。
  そのとき、貞正様の目が、草太をとらえた。
  反射的に怒られると思った彼は首をすくめたが、少し息を詰めてから再びそちらのほうを見ると、こっちにこいと手招きしている。
  とてとてと祖父の傍らに近づいて、おっかなびっくり正座する草太に、貞正様は横に置いてあった文机を引っ張ってそれをこちらに押しやってきた。
  文机の上には、書き付け用の一枚の和紙と狼面筆、それに良く使い込まれた梅の絵を刻んだ硯が置いてある。


  「草太。おまえもやってみなさい」


  貞正様が値踏みするような目で見ている事に気付かずに、草太は無聊の手慰みにと帳簿付けを開始した。
  よけいなことに、ジョブ『大学者』はちょっと帳簿付けには自信があったりした。








(※注1)池田町屋:多治見市池田町にあったという下街道の宿場町。おそらく当時多治見盆地で一番栄えた街であったと思われます。







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修正履歴:(11/5/12)嘉永年間当時の根本代官は坂崎源兵衛という方であることが判明。リサーチ不足でアイタタタです。歴史ものはやっぱり下調べが半端なく要りますね。有名なイベントもほとんどない地方となると専門書の助けがあっても穴を埋めるのは大変です。
ここいらへんの歴史に詳しい方、ご指摘してくださると助かります。






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