『陶都物語』





  第10章 『池田町屋』












  池田町屋は、宿場町である。
  草太が立つその道は、下街道とよばれる大きな街道である。おそらくそれは前世的には国道19号線であり、前世でも今世でも、地域経済の大動脈であることは間違いない。
  彼は割と平然とたっているが、そこはもう尾張藩の領内だった。すでに生まれ育った林家の領を出て、他藩に踏み入っているのだ。
  だが下街道には、けっこう多くの旅人が通りがかる。聞くと信州の人が伊勢参り、尾張の人が善光寺参りとかで通りがかるらしい。日に数百人規模で通行があるというから、江戸時代の庶民の旅というのは意外と規制が緩やかなのかもしれない。領民の移動は脱藩にもつながるので、労働人口を減らさないために役人たちが血眼になって阻止するものと思っていたのだ。
  だが一概に出入りが許されるというものでもないらしい。


  「年貢の取立ての厳しい藩や、飢饉の起こった藩なんかは領民が逃げ出さないように厳しく罰するところもある。…まあ林の領地はもともと旗本御家人の領地で、ここは御三家の尾張様の土地、大原川の向こうは御料地(幕府領)だから、みんな身内みたいなものだ。ここいらへんで出入りで罰されるなんて聞いたこともないな」


  次郎にしては分かりやすい説明だった。ごくろう。


  (これが19号線か…)


  前世的に、国道19号線は思い入れのある特別な道だった。名古屋の都心まで車で直通するこの道は、多治見どころか東濃地方の生命線であっただろう。
  たまに雪で通行が止まると、通勤のサラリーマンや出荷途中のトラック運ちゃんなんかが真っ青になって騒ぎ出す道だ。


  (これは……広いのか?)


  大原郷の道と比べれば、村道と幹線道ほどの違いがあるが、そこまで驚異的な差にも見えない。
  道幅は4間(7メートルぐらい)ほどだろうか。広いっちゃあ広いが、あの雄渾な高速道路並みの大国道と比べるべくもない。
  思い入れがあっただけに、少しショックを受けている草太だった。


  「お上が中山道の保護を命じなきゃ、今頃この街道はもっと人で溢れてたところだろうがな。…上街道経由で尾張に行けば、険しい山道のうえ19里もあるが、こっちなら川沿いの平坦な道だし尾張までは15里しかない。どんな阿呆だって、少しものが考えられればこっちの道を使うに決まってんだから」


  林家の秘蔵っ子に知識面で優位に立てたのがうれしかったのか、次郎がえっへんと胸を張った。褒めて欲しいのかチラ見してくるが、華麗にスルーする。


  (この道幅だと、造った陶磁器を運ぶにも難儀しそうだな…)


  彼の頭の中では、すでに製陶会社の起業後についてまで計画が形をなしつつある。実業家の目で眼前の街道を値踏みしているのだ。


  (運ぶのはやっぱり馬か。でもそれだと1回に1トンも運べないぞ。いっそのこと、土岐川の水運を使って…)


  「草太。…15里」
  「ああ、説明どうも」


  ああ、相手するのもめんどくさい。
  別段、次郎がそのあたりの知識に詳しいというわけではない。
  池田町屋という宿場町に住む人々にとって、街道の優位性はそのまま彼らの矜持に繋がる話であり、まさしく三歳の子供でもこの街の住人なら知っておかなくてはならない基本理念でもあっただろう。げんに学のなさそうなカメさんイネさん女中コンビですら知っていたわけで。
  すでに草太は、茶をしばいている最中に、会話の端からその知識を拾い済みであったのだ。
  下街道は、幅はそれなりにあるものの、公儀の命令で荷の行き来が禁じられているためか、車輪付きの荷駄が通れるほどにきれいに整地されていない。雨水が削ったのだろう筋も大きく、輸送を考えるのなら早急な整備も必要となってくるだろう。
  池田町屋は、その下街道が内津峠の山道を抜け、平坦になり始めた辺りにある宿場町だった。峠を越える前に、もしくはがんばって越えた後に休息をとりたい……そんな旅人たちの需要が作り上げた町だったのだろう。
  下街道が多治見盆地へと至り、土岐川沿いの集落目指して緩やかな坂を下っていくその道端に、池田町屋の旅籠が立ち並んでいる。二階建ても多いが、茶屋を大きくしたような平屋も多い。
  人の往来の多い場所には、店も集まる。
  ちゃんとした店を構えるのは呉服屋や米屋、枡酒屋(酒屋)なんかもあるようだ。
  さらには辻売りの薬商や、近所の農夫などが筵を引いてわらじや編み笠などを並べている。まあ、旅人相手だからそういうラインナップになるのは仕方がない。


  「ちっ、かわいくねえガキだ。おら、行くぞ」


  へそを曲げた次郎が、さっさと向かったのは枡酒屋のほうだった。
  酒を買っていけばいいんだろ的な安直な発想を抱いたのかと、草太はあわててあとを追う。
  間口が2間(3.6m)の小さな店で、暖簾の向こうで店主らしき人影がまめまめしく動いている。
  一分金でどれだけの酒が買えるのだろうか。たしかに祭りといえばお酒であり、ほかの食べ物なら郷内で手に入っても酒は(主に清酒)そういうわけにはいかない。郷内で祭り用にとドブロクを作ってはあるが、灘の酒屋が牛耳っている清酒はそれとは比べ物にならない美酒とされている。村人はたしかに喜ぶだろうが、少ししか買えないのであれば争いの元になる。
  暖簾をくぐった次郎の背中に距離をおかず張り付いた。
  案の定次郎が酒の値段を聞くと、店主が「これは木曽屋の若旦那」と愛想笑して揉み手した。ああそうだ、たしかに次郎は木曽屋の若旦那ということになるのかもしれない。


  「2合で52文。1升で260文やけど」
  「少し高ぁないか。うちの店で出してるやつは1升200文だとこの耳で聞いたんやけど」
  「あれはお得意の木曽屋さんやし、樽売りで卸しとるから安いんやわ。樽で買ってもらえるんなら、同じ値段で融通してもええよ」
  「樽かぁ」


  樽は店の奥にふたつほど並べられている。
  黒ひげ危機一髪の樽を想像しがちだが、これは鏡割りとかに使うような四斗樽(1斗=10升)である。
  1升200文として、あの樽ひとつで8000文! 
  ムリムリ。
  買えて小売値でせいぜい6升ぐらいである。そのまま買ってしまいそうな次郎の着物の帯を引く。うるさそうにこっちを睨んできたが、彼も負けじと睨み返すと、声でなく口の動きだけで、


  (だめか?)
  (ダメダメ! 論外!)


  という会話がやり取りされた。
  彼らの様子を観察していたのだろう店主が、客を逃がすまいとにこやかセールスモードに移行した。


  「酒以外にもいろいろとありますよ。お子様向けなら、タン切りアメに金平さんもあるし、旦那の酒のつまみなら知多から運んだ海苔なんてのも…」


  正味、びっくりした。
  驚愕の事実とはこのことだろう。
  江戸時代の酒屋は、実は何でも屋的な要素を持っていて、いわゆるコンビニの走りのようなものだったらしい。
  驚いている彼に、次郎が驚いていた。
  池田町屋的には常識だったらしい。さすが現多治見での一番の繁華街。
  コンビにだと?
  その便利そうな響きに、現代人たる彼の胸に何か熱いものがみなぎってきた。








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