『陶都物語』郷土資料館





『多治見』の知名度の低さは自覚しておりますので、日本地図から(笑)






で、江戸時代末期の地図が下のものです。この国を手に入れて天下盗りへと羽ばたいた信長の後ろ姿がトラウマになったのか、高い生産力が統合されることを恐れた徳川家康の計画により所領が細分化された美濃国の、縮図のような多治見盆地の地図がこれです。
ちなみにお手製で検証もしていないため専門家の方怒らないでくださいネ(´з`)






なぜ幕府の直轄領がこんなに多いのか……それは焼き物に使われる陶土を多く産したからです。信長公が当時瀬戸焼きの最良土とされた祖母懐の濫掘を禁じて以降、より良い土を求めて陶匠たちが探索を開始、結果多治見盆地付近にいくつか良い土を発見して窯を開いたのが美濃焼きの始まりとされます。(行基焼は違うと思うんで…)
当時窯を継げるのは跡継ぎの長男のみで、冷や飯食いの次男三男あたりはてめえで窯を開くしかなかったんでしょう。江戸時代は窯株なんか現れてそれすら禁じられたらしいですが。


ともかく、信長公が珍重した焼き物は江戸幕府にとっても重要な収入源で、戦略的な意味合いも込めて陶土の産地を直轄領として治めたものと思われます。






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