『インフリ!!』
第11章
キャッツランド第九艦隊の行動は、この宙域に集結した辺境諸邦連合の国々に驚きと困惑、そして死の恐怖と表裏をなすであろう憎悪を覚えさせた。
「しょせんキャッツランド人だ。そもそもケモノ相手に話し合いを持とうというのがどだい無理な話だったのだ」
シカン国宙軍総司令官シャルパは、憤懣やるかたないというようすのモンク国戦時特別大臣に相槌を打ちながら、もう一方のモニターに映っているおのれの主の姿にちらりと目をやった。
シカン国王は、小男だった。頭を丸めているのはシカン国が祭政一致の国であり、国王であると同時に大僧正の地位も兼ね合わせているためである。温和そうなその面には、はっきりと不安が浮かんでいた。
「大丈夫なのか?」
国王は、ただそういった。シャルパは、胸を張って「お任せください」と述べた。
「キャッツランド軍がいかに精強で鳴るとはいえ、目の前にいるのはたかだか二千隻の一個艦隊です。後続の艦隊が集結を完了させれば厄介なことになりましょうが、彼女らに数時間以内に合流可能な武力集団は、わずかに五百隻ほどの小艦隊……第十とか申す未確認の小戦力のみです。敵が態勢を整える前に三国の連合艦隊、合わせて八千隻の大戦力をもって粉砕してしまうことは容易いかと」
「朕が心配しておるのは、そのあとのことである。ネコどもの恨みを一身に買って、わがシカンだけが報復を受けるという危険はあるまいか」
「もはやその心配は無用でございます。辺境諸邦連合の全正規軍が集結を果たせば、艦艇数だけで四万余に達します。キャッツランドのその全軍をもってしても、これを凌駕することはかないますまい。むしろこれを奇貨としてキャッツランド勢力を駆逐し、やつらに占有されていた莫大な権益を分け取りにすることさえできるやもしれませぬ」
莫大な権益、という言葉は、シカンという名のあまり国力のない国の元首の目の色を変えさせた。辺境の国々は、多かれ少なかれ内に貧しさをかこっている。
「そうか」と、シカン国王は言った。
「八千対二千で、まず負けるようなことはあるまい。よかろう、そちに任せる」
「ご英断です」
シャルパの目配せは、シカン宙軍総旗艦グル・カン艦橋の通信士を介して、星系国家の領海面という天文学的な空間に展開する艦艇群に拡大反映された。シカン国宙軍に連動する形で、ルーエン国の守備艦隊が粛々と動き出した。
「もともと貴国のいくさだ、ぜひとも先陣を切っていただきたいものだ」
シャルパの言葉は、モンク国戦時特別大臣をうろたえさせた。
「しかしまだ会談は終っておらん……たしかにあのニーナ・ニオールが約束したではないか。まずはキャッツランド女王に話を通して…」
「やつらはすでに動き始めた。ここで行動を躊躇すれば、致命的な遅れをとることになりかねん! 行動は時に言葉よりも雄弁にものを語る……あれはキャッツランド人の宣戦布告だ」
こうして、第一次ルーエン沖会戦が幕を開けることになった。
参加艦艇はキャッランド宙軍、艦艇二千隻余。辺境諸邦連合、八千隻余。
会戦当初、辺境諸邦連合の有利は圧倒的と観測されていたが、辺境諸邦連合の首脳たちが期待するほどに物事は都合よく転がりはしなかった。武力の圧差を、ニーナ・ニオールの果断が見事に帳消しにしてしまったのである。
宣戦布告もなく、一方的に展開を始めたキャッツランド第九艦隊は、火力のもっとも脆弱なルーエン守備艦隊の防衛線を突破、連合艦隊がその真意を見抜く前に、おそるべき素早さでルーエン国の領海を侵してしまったのだ。
ルーエン国の星系中枢トロウプス星を襲ったキャッツランド第九艦隊は、地表に住む六千万の民人を人質に取ったのである。たった数時間のあいだに、戦況は一変した。
星系中枢に侵攻を受けたルーエン国守備軍はまたたくまに戦闘意欲を失い、ニーナ・ニオールの恫喝に膝を屈した。
「ルーエン国は、永世中立を宣言する。これはけっしてキャッツランドの暴力に屈したわけでなく…」
どのように虚勢を張ったところで、辺境諸邦連合……辺境星域のキャッツランド以外の国々から白眼視されることはやむをえなかった。大使を差し向けるまでもなく、ルーエン国は中立宣言の一時間後には辺境諸邦連合から三行半を突きつけられてしまった。以後、彼の国の人々は「辺境一の腰抜け」という嫌なレッテルを貼られることになる。
「しかしおそるべきは、やはりニーナ・ニオールの奸智よ」
辺境諸邦連合の首脳たちは頭を抱えた。ルーエンの民間人を人質としたニーナ・ニオールのやりように辺境諸邦連合は一斉に非難声明を発したが、それでおとなしくキャッツランド軍が撤退するとは声明を発した本人たちですら信じていなかった。
「しかしまだ戦力のうえではわがほうが圧倒的に優勢だ。人質をとられたところで、やつらにもこちらを攻撃する力まではない。状況はまだ五分五分、諦めるにはまだはやい」
「いや、こうなってしまっては不利なのはわれらのほうよ。こうして手をこまねいているあいだにもキャッツランドの後続艦隊が続々と集結をしてくるだろう。いずれ戦力的にもやつらはわれらと互角以上になる」
艦艇数が互角になれば、戦況はとうてい楽観視できないものになる。司令官たちがどれほどおのれの持つ武力に過信を抱いていたとしても、その手足となる一般兵士がキャッツランド軍を恐れること尋常ではない。彼女らの直情的かつ武断的な対外政策がいくつもの星系国家を容赦なくなぎ払ってきたことは周知の事実であり、守るべき家族や恋人を持つ者にとっては、もっとも敵にしたくない軍隊であるに違いなかった。
そんななか、連合艦隊の士気を沮喪する情報が次々にまい込んでくる。
「ニーナ・ニオールの艦隊が、ルーエンの小惑星を破壊しました。ルーエン国の防衛施設のひとつであった可能性がありますが、国民のあいだに非常な動揺が広がって…」
「キャッツランド第十艦隊と名乗った敵艦隊が、わが艦隊の側方を通過していきます。敵第九との合流まで、約四時間」
「ルーエン守備艦隊が、前線に布陣を開始しました……やつらめ、裏切ったばかりでなく、ネコ女どもに荷担するつもりか!」
「ルーエンが……やつらの七つ目の属領になってしまうぞ」
ちょうどその頃。
辺境諸邦連合の布陣を槍の鋭鋒となって切り裂いたキャッツランド第十艦隊五百隻が、ルーエン国の領海へと侵入を果たした。わずか五百隻の小艦隊が、なんの迷いもなく十倍の規模の艦隊に突入を敢行し、見事にそれを成功させたことが、どれだけ辺境諸邦連合の兵士たちの士気を沮喪させたか、当の第十艦隊を指揮するクラン・ネフタル少将には知る由もなかった。
「閣下、もはや追ってくる敵の姿はありません。機関が焼き切れる前に最大戦速を解除して、機関出力を…」
「一分でも一秒でもはやく第九艦隊に合流するのよ! 脱落するようなグズはおいていきなさい」
「し、しかし」
「クランが急がなければならない理由は分かっているはずでしょう? あなただって知っているはずよ。クランは一刻も早く、ニオールの魔手からあの子を救い出さなくてはならないの!」
クランの小さな白い顔は、ブルーグレイのくせの強い髪に縁取られるように指揮卓の高みにある。少将という肩書きが冗談に聞こえるほどその顔は若々しい。実際にその年齢を聞けば、たいていの人間は目を丸くするであろう。
クランのあまりに少なすぎる指揮経験を補うために、新設第十艦隊にはネフタル家子飼いの参謀団が送り込まれている。いま彼女の相手をしている主席参謀オルラ・ネフュースは、ネフタルの傍系に当たる。
「近頃メールの返事が返ってこないの。いつだってすぐに返事はきたのに、あのニーナ・ニオールの専任副官になってからまったくのなしのつぶて! きっとニオールにひどい目にあわされているんだわ!」
クランは、今年で二十歳になったばかりである。異例というより、非常識といったほうがよいくらいのペースで位階を累進し、ついには艦隊を率いる地位にまで上り詰めた。母のレイン・ネフタルが上級元帥にして統帥府本部長、長姉のカレン・ネフタルがカルアド要塞司令官という要職にあり、かつ名門ネフタル家の係累がキャッツランド中央で非常な影響力をもっていたことがこの乱暴な魔法を成立させる大きな要因となった。
「あの子はクランの愛人になるのよ……そう決まっているの!」
モニターに映る友軍第九艦隊のなかでもひときわ目を引く二等級艦、カーリカーンを見据える若き上官に、オルラはひそとため息をついて、「すでに機は逸しております」と言った。
「先日起こったムートン錨地での騒動のさなか、賊徒相手に一騎打ちの大立ち回りまで演じてみせたニオール提督は、命冥加にもかすり傷ひとつ負わずにいまもあの艦におられます。そしてエディエル・ヴィンチ少尉は、正式にニオール提督の専任副官に任じられています。閣下はどのような権限によって、あの少年を譲り受けられるつもりなのですか?」
「母上の名を使えば、たいていの軍人は震え上がって、クビをつままれたネコのようにおとなしくなるわ。きっとニオールだって…」
「しかし相手は、仮にもキャッツランド宙軍の誇る『英雄』です。聞くところによれば女王陛下の覚えもめでたく…」
オルラ少佐は言いかけて、ややしてむっすりと押し黙った。モニターを見つめたままのクランの険しい横顔が、それ以上の言葉を求めていなかったからである。
勘気の強いクランは、一度言い出したら頑としておのれの考えを曲げようとはしない。諌止したところで言葉の無駄だと察すれば、最初から何も言わないに限るだろう。
オルラの不満顔は「なんて世話のかかるお嬢様かしら」と言外に語っていたが、クランはまるで気付きもせずに、若くほとばしるような情熱にかられるまま言い切った。
「なんとかするのよ」
なんとかしろといわれて、なんとかすべく走り回ることになるのはおそらくオルラ少佐以下第十艦隊の将兵たちである。おそらくなにをどうしろという指示は与えられない。クラン・ネフタルという令嬢は、いつもこうなのである。
気合でなんとかなるものなら、いかようにも努力のしようがあるが、軍組織には明確な派閥が存在し、一方の領袖がどれほど望もうとどうにもならないこともある。ニーナ・ニオールが現場の叩き上げであることは、イコール反中央の閥に属していることを意味する。
中央の門閥が軍務省の官僚と密接に繋がっているのと同様に、主に外征の場で華々しい戦果を上げる提督たちには、派手好きな王族たちがタニマチ的に繋がっていることが多い。
「なんとかならなかった場合は…」
「大丈夫。代わりは連れてきてあるから」
クランはあっさりと言った。
艦隊司令官は、その特権として男性専任副官を持つことができる。クランも、二科卒業生からおのれの専任副官となる少年を選んでいる。
「代わりというのは、リッツ准尉のことでしょうか?」
「ほかに代わりがいて? この艦隊に若い男はあの子しかいないでしょう」
「しかし准尉は、閣下が道具も使わずにお可愛がられになられましたので、いまだに安静が必要だと軍医から」
「立って歩ければいいのよ。脱がされなきゃばれやしないわ」
言って、クランはニヤニヤと笑った。
貴重なキャッツランド人の少年を思うがままにできるという優越感が、その面にあからさまに浮かんでいる。下の者に対するこういうたぐいの残酷さが、なんの苦労も知らず育てられた名家の令嬢たるゆえんなのであろう。ぐっと、奥歯を噛みしめて、オルラ少佐は無表情を保った。彼女がひそかにリッツ少年に想いを寄せていることを、そういうことだけは聡く察しているのだ。
「それほどまでに、ヴィンチ少尉がおよろしいのですか?」
「今年の二科卒業生は、全員で九六人いたわ。そしてその他にも、一科の卒業生二八人、後方勤務に当たっている前年度以前の卒業者まで含めると、三百人からいたわ」
おかしがるように、クランはいったん言葉を切った。そうしてオルラ少佐の目をのぞき込んで、足で押さえつけたネズミを弄ぶようにるると言葉を継いだ。
「今年一番最初に専任副官の品定めをしたのは、あのニーナ・ニオールだったわ。そうしてあいつの目にとまったのは、結局あの子だった。…クランは七年も前から目をつけていたのに!」
クラン・ネフタルという令嬢が、肉親の七光りでいまの地位を獲得したことは否定すべくもない。が、それが同時に彼女の無能を示しているわけではなかった。母親がたとえどれほど絶大な権力を持っていたところで、実績もない新人少尉をいきなり提督に押し上げることはできない。彼女はその年の一科主席卒業者であり、キャッツランド宙軍のニーナ・ニオールに代わる次代の顔として中央で頭角をあらわしつつある俊英とされていた。
就任が半ば内定していた第九艦隊司令官への辞令が女王の横槍で覆ったとき、「代わりに新艦隊をやる」と軍務省長官の言質を取るや、誰もが数ヶ月はかかるだろうと思っていた艦隊編成をたった二週間でやり遂げてしまったのは、彼女の将才の片鱗であるといえるだろう。彼女はネフタル家のコネクションを最大限に生かし、既編成の後方警備隊の人員をごっそりと引き抜いた。装備の旧式化に不満をもっていた警備隊上層部に、就役したばかりの新鋭艦を惜しげもなく与え、見返りに十分な数の熟練兵を手に入れたのである。こうして先陣の第九艦隊に続く第二陣に割り込むことができたのも、艦隊編成が脅威のはやさで終ったからである。
むろん、新艦隊を手に入れるに当たって、たとえ親の七光りがあったところで、無理をしていないはずはなかった。
「ニーナ・ニオールを失脚させる」汚れ役を引き受けることが、交換条件だった。彼女の血筋ならば焦らずともいずれ艦隊司令官の地位など手に入ったに違いない。だが、クラン・ネフタルは長官の差し出した手を取った。ただただ、隣に住んでいただけの少年を手に入れるために。
「つまりは、そういうこと。リッツなんか、あの子とはとても比べ物にはならないわ。だって十二番目にクランが選んだときに、まだ名簿に残ってたぐらいなんだから」
まるでショッピングで品定めしたぐらいの気軽さで言ったクランに、オルラはめまいを覚えた。そんなたかが十二番目に選んだ少年ひとりを得ることすら、ネフタルの傍系に過ぎない彼女には不可能なのだ。たとえどれほど才能を持っていても、ネフタル家という門閥は、彼女の才能を本家の跡取りのために搾取する。おそらく彼女は、どれほど武功を立てようと、一生この令嬢の尻拭いをさせられつづけるのだ。
「この際だから、いっそのことニオールには『戦死』してもらおうかしら」
クランの物騒な発言は、指揮卓に張られた遮音スクリーンで周囲には聞かれることがない。
「どう思う?」
「どうか、無茶だけはおやめください」
「いやよ」
言下に、クランは言った。
ほんとうに手に入れる手段がなければ、この令嬢ならどんな手でも使うだろう。人を人とも思わない酷薄さが、おそらく彼女に目標達成手段の選択肢を数多く与えるにちがいない。
「わたしに全力で仕えなさい。そうすれば、ニオールに渡す前に、リッツを一晩ぐらい貸してあげるわ」
そのいいようにオルラは怒りを覚えたが、不本意にも内心はひどく揺らいだ。
この令嬢は、恐ろしく自分本位でわがままだが、少なくとも出し惜しみするような吝嗇家ではない。一晩、あの少年と情を交わせるのならば…。
「絶対に、あの子を手に入れるの。いいわね」
オルラは、生唾を嚥下した。
「なんであんなにおびえてるのかしら」
キャッツランド第九艦隊旗艦カーリカーンの指揮卓で、ルーエン国の首相と名乗る人物と会談を行っていたニーナ・ニオールは、にんじん色の髪をかき回して「ヴィンチ少尉の様子は!」と八つ当たり気味に通信士のシャーリーをどやしつけた。
「海賊艦は、まだ完全に推進系を復旧させてはおりません。例の小惑星の爆散にあおられて、秒速八キロで漂っています。…少尉殿は、いぜん艦橋に拘留されている模様」通信士自身も、いささか真剣すぎるくらいに諸元画面を見つめている。
モニターの大部分が、気絶しているらしい専任副官の少年と、画面に向かって悪態をついている若い海賊の姿を映している。映像が繋がっていることを知っているのだろう、若い海賊は宇宙焼けした浅黒い顔をモニターに近づけて散々ニーナを面罵したあと、艦の人工知能への干渉をやめろと叫んだ。その海賊艦内の様子を映す画面の片隅で、ルーエン国の首相が顔を真っ赤にして怒鳴っている。突然音声を切られて、何がなんだかわからないのだろう。
「提督の読みどおりでした。やっぱりルーエン領海に、シンジケートの拠点らしき施設がいくつか確認されました。しかしなぜそのことがお分かりになったのです? 艦の推進系を復旧させた海賊どもが、どうしてルーエンを目指すと…」
「少し前のとても貴重な経験をさっそく生かしただけよ。自警力の弱いところに海賊どもが寄ってきて巣穴を作るっていうのなら、この辺りでいちばん可能性が高いのはあの国でしょ? あのショボショボの貧乏艦隊を見れば察せようってところだわ」
なるほど、たしかに近隣の国で、もっとも国力の劣るのはルーエンであろう。そもそも、宇宙戦力の構成からして、ルーエン国は『艦隊』ではなく『警備隊』でなのである。辺境諸国の正規軍で標準とされる四等級艦の保有数もわずかで、ほとんどが五等級艦以下の小型艦である。
「…で、やつらは仲間を頼ってルーエンに逃げ出す。それをわたしたちが先回りして、海賊のアジトを乗っ取る。そうして、仲間のふりをしてやつらを迎え入れ、その場で拘束。なんて完璧な作戦!」
ニーナは、おのれの描いた作戦を自画自賛したい様子であった。
「やつらの艦のセンサーがまだこっちの掌握下にあるうちに、はやいところ先乗り分艦隊に敵アジトを攻略してもらわないと。あっ、それとアジトはできるだけ無傷で確保お願い……とくに外観は損ねないように」
実はキャッツランド第九艦隊によるルーエン急襲は、さらわれた専任副官の少年を救出するための作戦上、副産物的に出現したものに過ぎないというおそるべき実態を、辺境諸邦連合の首脳も、交渉の途中でほったらかされて怒り狂っているルーエン国首相も想像だにしていないだろう。やたらと大写しになる専任副官の少年の映像の脇で、交渉相手とのコンタクトが途切れて泡を食っているルーエン首相の姿は、滑稽が過ぎてもはや哀れを誘った。
「いま報告が入りました。敵拠点の制圧、完了したそうです」
「よし、海賊艦との通信、開きなさい! …ああ、繋ぐのは音声だけでいいわ。とりあえず音声だけ回復したってふうでよろしく」
無音声でわめきつづけるルーエン首相を放置して、ニーナは咳払いした。それが聞こえたのだろう、海賊たちの様子が変わった。
「おい、ネコ女ども! 聞こえてるんだろう!」
「ああ、いま聞こえるようになったわ。…ずいぶんと復旧に手間取っているようだけれど、まだわれわれに降伏する気にはならないの?」
「冗談のつもりか? オレたちが押さえている人質のことをおまえが忘れるとは思わなかったがな。そっちにオレたちの様子が見えてるのはわかっているんだ。そうやってオレたちをなぶっていると、急に気が変わっておまえの大切な愛人と無理心中でもしたくなるかもしれねえぞ」
頭目と思しき若い海賊は、実際にひどく不機嫌な口調でいった。向こうからこちらの映像は見えていないはずであったが、この若い海賊は状況に潜む危険な欺瞞を嗅ぎ分けているようであった。
「このぼうやの耳を少しそいでやれば、どっちが切り札のジョーカーを握っているのか思い出すだろうぜ」
画面の向こうで、若い海賊が本当にナイフを抜いた。その腹で専任副官の少年の頬をぺちぺちと叩いた。
「ま、待ってちょうだい! お願いだから…」
「まずは艦隊を停止させろ! そこから絶対に前に進むな! オレさまがいいというまでそこで待機して……そうだ、いまなんとか連合っつう変なやつらが集まってきてるんだろ? こっちだってバカみてェに手をこまねいてるわけじゃねえ。星間ネットぐれえならなんとか聞けるようにした。おまえら、やつらに降伏しろ」
「そんな要求、飲めるわけが…!」
海賊は無言である。ただ黙って、ナイフを手の内で弄んだ。
「わ、分かったわ。とりあえず第九艦隊はこれ以上は進まないわ。カーリカーン機関停止! 全艦にその旨指示しなさい!」
叫んだあと、べろを出しているニーナ。
海賊艦のセンサー系は、回復したように見せてまだカーリカーンの人工知能『アタルゴウ』に支配されている。カーリカーンは追跡を一切止めてはいなかったが、海賊艦の重力センサーはキャッツランド艦隊の停止を証明して見せていることだろう。
「どう? わたしの艦隊が止まったのは分かるでしょう? だからはやくヴィンチ少尉を返してちょうだい!」
「それはおまえの心がけ次第だ。それともうひとつ、いつのまにかオレさまの船に侵入しやがったやつら! そいつらをとっとと撤退させろ! 分かってんだぞ! オレたちの不意をついて強襲するつもりだったんだろう? だが残念だったな、オレたちはもうそいつには気付いている。やつらに船から出るように言え!」
「そんなはずはないわ! わたしはそんな命令を出した覚えは…!」
通信が、そこで途切れた。ニーナの合図で、シャーリーが回線を切ったのだ。モニターでは、いきなり通信が途絶えて若い海賊が操作盤を叩いている。海賊艦の通信装置は整備されていまでは新品同様に性能がよいはずであったが、あの調子で叩きつづければ本当に壊れてしまうかもしれない。
「通信できないんじゃ、仕方がないわね」
ニーナの口元に、冷えた笑いが固着している。まさにネズミをなぶるネコの表情である。
「カーリカーンはそのまま海賊艦を後ろから追尾続けなさい。わたしたちは制圧した敵の拠点に先乗りして、ヴィンチ少尉を待ちます」
「提督、海賊艦に潜入した警衛隊ケイティ軍曹から定時連絡……敵戦力の一部を掃討、現在は艦橋への突入に向けて準備を整えているとのことです。突入開始予定は十分後」
「無理に突入することはないと伝えて。作戦は順調に進んでいます。艦橋の最後の扉は予定通り、ノックするだけで開けるのは厳に禁止よ。それを徹底させるように」
シャーリーがニーナの命令を復唱する。
「やつらを精神的に追い詰めて、これで終わりかと覚悟するような切迫したタイミングに、奇跡的に推進系を返してやる。やつらは不審に思う余裕すらないまま必死で船を操縦して、アジトに転がり込んでくる。そこにわたしが待ち構えてるとも知らずに…」
おのれの思いつきに陶然とするように、モニターに映る少年に口付けする。もう作戦が失敗するなど想像もしていないのだろう。
「ケイティ軍曹から返信。ちょっと、そんなに大声で怒鳴られても! これは提督のご命令です!」ケイティ軍曹と押し問答になったらしいシャーリーが、救いを求めるようにニーナのほうを見上げる。が、救出予定の副官どののために用意した荷物をよっこらと抱え込む上官の姿を見て、
「命令を実行してください」と、鬼軍曹の通信をぴしゃりと切った。
いま第九艦隊で、圧倒的な武力で対峙展開している辺境諸邦連合の艦隊を意識している者はあまりいない。カーリカーン艦橋は、さながら一個の生き物のように、『副官どの奪取作戦』にまい進していた。
そんななかに、一本の通信が入った。
「提督! 後続第十艦隊から通信! 艦隊の合流と今後の作戦について緊急の協議を行いたいとの要請が」
「第十艦隊…?」
艦橋を出て行こうとするばかりであったニーナはその報告に眉をひそめ、視線を背後の参謀ふたりに流した。決断力に富んだ上官を得てやや手持ち無沙汰な感じの参謀たちであったが、ニーナの眼差しになにか嫌な予感でもしたのか、ニムルスは背筋を伸ばし、ジェダ・アーリはやや俯いた。
「そっちの対応はあなたたちに任せるわ」
「任せるといわれましても…」
「どうせわがまま令嬢のご機嫌取りするだけでしょ? べつに面倒なら、尻を叩いて追い返しちゃってもいいわよ。わたし、ネフタルに恩義なんてまったくないし」
(われわれの出世に響きます!)
そう叫びたいところをぐっとこらえて、参謀たちはため息をつく。ニーナ・ニオールの頭の中には、現在優先度最高レベルの作戦が進行中である。『副官どの奪取作戦』は、いままさにハッピーエンドを控えた佳境にある。それにかかりきりで手が離せないというニーナの主張は、キャッツランド人の心情的には容認されるべき内容である。が、いちおう参謀のひとりとして、ニムルスが確認した。
「相手はまがりなりにも正規艦隊を率いる提督です。艦隊司令同士の協議となれば、こちらも閣下ご本人が出席されるべきかと…」
「そんなことできないに決まってるでしょう? 状況が見えてないの?」
「いえ、その、海賊のアジトに先乗りするのは、愚見ながら必ずしも閣下ご本人でなくともよろしいかと…」
「この感動の救出劇で、救い出したあの子を抱擁する一番大事な役どころをわたしに手放せというの? まさか、冗談でもできが悪すぎるわ。本気で言っているのなら…」
「いえ、出すぎた真似をいたしました。あとはわれわれにお任せください」
ニーナは頷いてみせると、するりと艦橋を出て行った。参謀たちはげんなりした面持ちで、一時的に指揮権が移ったことを艦橋要員たちに伝えた。これは中央門閥のご令嬢に顔を売るチャンスと言えなくもなかったが、彼女らの優秀な頭脳は最も可能性の高い未来を予測してしまう。ニーナにまともに相手してもらえないと知ったご令嬢の勘気が、たまたま居合わせた不幸な参謀たちに向けられるという非常に楽しくない構図である。
エアロックが閉まり、連絡艇の推進剤が燃焼し始める音が廊下にまで響いてきた。そして、艦隊司令官を乗せた連絡艇が飛び去った。
「クラン・ネフタル少将に面識はあるの?」ニムルスの問いに、
「直接の面識はないけれど…」そう応えるジェダ・アーリ。
「協力者としての情報は互いに共有しているというわけね。長官閣下のご意向に沿うためにも、提督の留守は返って好都合だったかしら? ジェリー…」
「もちろん少佐には協力してもらいます……アーリ家の立場をこれ以上悪くするわけにはいかないの。ここでネフタルの令嬢に気に入られれば、中央統帥府への異動の道も開かれて…」
言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
先のムートン錨地での騒動に調査のメスが入り、その真相が露見すれば現長官は政治生命を失うだろう。そもそも証拠さえ必要ではないのだ。宙軍の英雄ニーナ・ニオールは女王のお気に入りである。彼女の優れた洞察力が黒幕の存在を突き止め、その事実を女王の耳に入れれば、専制君主の勘気が長官一派を吹き飛ばしてしまうだろう。
どう見ても分の悪い側に組している。しかしジェダ家の累代のしがらみが、彼女の思考の自由を奪っているのだろう。
ニムルスはその愛人の肩を抱いて、「やれるか」と言った。
ジェダ・アーリは、こくりと頷いた。
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