『インフリ!!』





  第7章












  海賊艦隊の生き残りは、艦艇一四、生存者は重傷者をあわせても千人あまりにしかすぎなかった。捕虜の供述によれば、集結したクンロン・シンジケートの残党は、十数万余にも達したいたというから、実に百人に一人という生存率である。
  奇跡的に生き残った彼らは、まさに一生分の幸運をこの一事に使いきってしまったようなものだが、その幸運の神通力もいずれはその効力を失うであろうと観測されている。たとえ証言台に立ってシンジケート壊滅に寄与する証言を行ったとしても減刑の可能性はきわめて低く、もしも奇跡的に減刑が実施されるにしても、よくて極寒の流刑星で終身重労働というところである。文明の進んだこの時代、前時代的な肉体労働になにほどの意味があるわけもなく、ようは死刑の別の形態であるにすぎない。劣悪な環境での重労働は、一年以内にほとんどの受刑者の命を確実に奪った。
  守護精霊の加護を失った海賊たちの、一様に生気のない顔が、第九艦隊二千隻それぞれの懲罰房へと移っていった。
  ニーナ・ニオール率いる第九艦隊は、海賊殲滅に費やされた予定外の時間を取り戻すべく、急ぎ足の航海の途上にあった。


  「これ以上はおやめください! もう死んでいます!」
  「おとなしく吐いていれば、少しは楽に死ねたのに。…邪魔だからどきなさい。こいつらは生かしておく価値もない銀河の生ゴミどもなんだから」


  赤黒くぬかるんだ血だまりに足を取られて、ニーナ・ニオールは壁に手をついた。血生臭い室内の空気には、それ以外の異臭も充満している。空調はその能力を最大限に発揮しつづけているが、臭いのもとがなくならなければ、この異臭を完全に消し去ることは不可能であったろう。


  「次を連れて来なさい」


  ニーナの声を聞いて、拘禁された海賊たちがキャッツランド兵に哀願した。


  「おれたちゃ、ほんとになにもしらねえんだ! したっぱをぶったところで、なんも出てきゃしねえよ!」
  「どうせ殺すつもりなら、そいつでひとおもいに殺してくれ。俺はあんなふうに死ぬのは嫌だ!」


  吐瀉物の酸っぱい臭いと、糞尿の獣くさい臭い、そして鉄錆びた血の臭いが混ざり合って、房内の空気は嗅いだ者にしか分からない耐えがたい悪臭に染まっている。兵士は士官のひとりに促されて、新たな犠牲者を引き出すべく電子錠を開錠した。


  「嫌だ〜ッ!」


  海賊の叫びが懲罰房のなかにこだました。凶悪な海賊が泣きわめく姿は、哀れというよりも滑稽であった。その場に居合わせたキャッツランド人で、海賊の身の上に同情を示すような者はひとりとしていなかった。ただ精神の平衡を失っている観のある艦隊司令の身を案じるばかりである。
  ニーナ・ニオールは大きく肩で息をしながら、ワインを口中ですすぐようにして吐き捨てた。


  「提督、一度お休みになられてはいかがでしょうか。あまり根を詰められても…」 懲罰房の入口を固める警衛隊の面々の視線が、頼もしげにおのれの上官へと向けられた。


  耳元でささやいたケイティ軍曹に、ニーナは険しい眼差しを投げた。


  「わたしはまだ大丈夫よ。それよりもはやくそこに海賊を繋ぎなさい。このクズどものせいで、あの子がいまどんな目に会っていると思って…」
  「もう死体の置き場がありません」


  いわれて、ニーナはけだるげに頭をもたげた。ケイティの背後に、たしかに海賊の死体が並べられている。滴り落ちる血と脂、それにもろもろの体液が、排水溝へとゆるく流れを作っている。


  「とりあえず一度時間を取って、きれいに片付けさせてはいかがですか? なに、船外に放り出してくるだけですから、それほど時間もとりません」


  ニーナは雄弁なため息をついた。
  彼女はそれらの海賊たちを、憎しみに駆られるままもの言わぬ肉の塊に変えたのだ。


  「まだたったの十人なのね。もう少し効率のよい処刑方法はないのかしら?」
  「司令自らが直接手を下さなくてもいいのではないですか? 殺すだけでしたら、ほかにいくらでもやり方はあります。なんでしたらこの懲罰房を閉鎖して、空気を抜いてやればあっという間に処刑が終ります。それとも死体の片づけが面倒でしたら、空コンテナにやつらを詰め込んで、恒星にでも向けて放り出してやりますか?」


  その酷薄な会話を耳にした海賊たちは、おのれの身に不可避の『死』が迫っていることを完全に理解したであろう。キャッツランド人たちは、投降した彼らを正当な裁判もなしに殺し尽くすつもりであるのだ。
  ケイティの提案に、ニーナは首を横に振った。


  「それでは奴らが楽に死にすぎるわ。なにかいい考えはないかしら……下級兵たちに慰みものに下げ渡してやろうかしら。他星人の男は不細工で汚くて臭いけれど、いちおうナニもついているから、選り好みしなければ多少は楽しめるはずね」
  「ひとり頭、何人の相手をさせるつもりですか? 最初のひとりで使い物にならなくなると思いますが。娯楽はうまく分配しないと、不平不満のもとになります」
  「たしかに不公平になるのはうまくないわ。ていねいに使って三人として、この艦でありつけるのは三百弱か……とても全員には回らないわね」


  そのとき、彼女らの会話に聞き耳を立てていた海賊のひとりが、にわかに希望を取り戻したように格子に取り付いた。


  「あんたたちを抱けばいいのか? それでいいのか?」


  若い海賊だった。
  顔色を失っている仲間たちを尻目に、好色そうなギラついた眼差しを憎むべき艦隊司令に向けて、念を押すように繰り返した。


  「助けてくれんなら、あんたらを満足いくまでひいひい言わせてやるぜ。なあ、まずあんたから喜ばせてやろうか? 司令官さまよ」


  年かさの海賊が、世間知らずの若造に小声で忠告しようとしたが、そのまえにニーナ・ニオールが動いた。その檻へと歩み寄り、海賊に顔を近づけた。


  「そう、自信があるの」


  問われて、若い海賊は必要以上に力強く頷いた。


  「ためしに誰か抱いてやりなさい。軍曹、貴官はどうです」
  「いえ、わたしはきれい好みですので。不細工な他星人はちょっと…」
  「それじゃあ部下を二、三人選びなさい。仲間の見ている前でやらせます」


  ニーナはにたりと暗い笑みを浮かべて、椅子に腰を落ち着けた。若い海賊が檻から出されて、仲間の海賊たちの目の前にひきすえられた。
  ケイティは立候補した部下の中から三人を選んで、「好きにやれ」とつぶやいた。


  「ばかな奴だ」


  そう漏らしたのは、キャッツランド人であったか、あるいは仲間の海賊たちであったか。
  懲罰房に、海賊のひき潰したような悲鳴がこだました。
  泣き叫び、許しを乞う。だがいったん高ぶったキャッツランド兵たちは、ひたすらに行為に没入した。行為から解放されないと分かった海賊はおのれの腹の上のキャッツランド人をののしり、両腕を拘束する二人のキャッツランド人に耳苦しい悪言をまき散らしたが、時間が経つにつれて、それは子供のようなすすり泣きに変わった。海賊は哀訴したが、おのれを陵辱するキャッツランド人たちはいっさい耳を貸さなかった。
  やがて行為が果てて、三人の兵士が笑いあいながら身体についた血と汗をぬぐってその場を離れると、そこには血だまりに倒れた先の海賊だけが残された。海賊の股間からは、なお間欠泉のように血が噴き出しつづけている。


  「だれか、たすけて……くれ」


  弱々しい海賊の声が助けを求めたが、キャッツランド人たちは彼を死の淵から救おうとはしなかった。止血も施さず、ただ血が失われるに任せた。失血死させるつもりなのだ。
  やがて海賊は失神した。その束の間の眠りは、遠からず永遠のそれにとって代わられるだろう。


  「ほかに自信のあるやつはいないの」


  ニーナの問いに、海賊たちは沈黙した。






  第九艦隊旗艦カーリカーンの看護兵、タンダ上級兵は、ムートン錨地出航から四度目の不寝番を買って出ていた。
  カーリカーンに専任副官専属として集められた艦隊の看護兵十人のなかで、その回数は飛びぬけて多かった。すでに航海に費やされた七日間の、過半にわたって彼女が不寝番を続けていることになる。
  美しい専任副官の寝顔を間近で眺める特権を求めて、積極的に不寝番を買って出る看護兵は多かったが、どのような幸運が作用してか、気が付けばタンダ看護兵が不寝番の役にあやかっているというケースが多かった。


  「体調を壊した看護兵は、これで三人になったな……ほんとに偶然かね」


  警備兵のひとりが首を傾げた。
  昼間、治療に専念する軍医たちは、疲労をきたしていまごろベッドに轟沈しているはずである。ひとり当直の軍医が不寝番に当たることになっているが、その軍医も飲みかけのコーヒーを持ったまま夢のなかに吸い込まれている。


  「処方履歴に睡眠薬を追加…と」


  眠り込んだ軍医の端末を起動して何事かささやいていたタンダ看護兵は、軍医の規則正しい寝息を確認すると、そっと忍び足でその場を離れた。
  室内に、彼女と軍医以外の人の気配は、ベッドに眠りつづけている少年のそれしかない。監視用のモニターから廊下の様子を確認して、タンダ看護兵は少年のベッドのほうへと近づいた。
  ムートン出航以来、七日間眠りつづけている少年は、この日も静かな寝息を立てている。その寝顔は、ため息が出るほど無垢で美しかった。タンダはベッドのかたわらに立って少年の寝顔を食い入るように眺めていたが、しばらくしてあたりをきょろきょろとすると、パシリとホロカメラのシャッターを切った。一度撮り始めると、次第に大胆になってベッドに登っていろいろな角度から接写をはじめた。


  「少尉殿……かわいい」


  点滴のチューブを引っ掛けるようなへまはしない。彼女はまがりなりにも看護兵である。
  ホロカメラの限度枚数に達すると、放心したようにまたがった上から少年の顔を見下ろした。足にあいだにはさんだ少年の体の量感が、彼女をひどく落ち着かなくさせる。
  思わず出たあくびを、タンダは噛み砕いた。
  すぐにポケットから錠剤を取り出して、口のなかに放り込む。身体に染み込むように、覚醒感が全身に広がった。長時間眠らないでいることは、体力を急速にそぎ落していく。すでに何日も寝ないでいるタンダ看護兵の体力は、もうとっくに限界に達しているといってよかった。
  だが彼女は克己した。
  いまこの瞬間だけ、このたぐいまれに美しい少年を独占できる。
  普段ならば艦隊の独裁者である司令官の専任副官……あの赤毛の提督の所有物である。いつもは遠くから見ていることしかできない雲の上の人間が、いまこうして、おのれの尻の下に敷かれている。熱くしびれるような征服感がぞくぞくと背筋を駆け上がった。
  いま、彼女の当面の目標は、この美しい専任副官の形のよい唇を奪うことである。身動きのできない相手を汚すという罪悪感と、彼女は無縁である。彼女はけしてうだつの上がるほうではなく、昇進にも無縁、財産にもいまのところ無縁である。このまま人生を過ごせば、おそらくいちども男を手に入れることなく年老いてしまうことであろう。
  いまが人生唯一のチャンスである。
  守護精霊がそうささやいたと、彼女は固く信じた。
  相手は病人で、抵抗する意志も力もない。彼女の目標を達するのに必要なのは、周囲の目を排除することと、おのれ自身の勇気を奮い立たせることである。
  そばかすの浮く頬をこすって、息を詰めた。
  いまだ、やってしまえ。
  ぎゅっと目を閉じ、顔を近づけた。少しずつ、少しずつ、まるで水におびえた子供が水面に顔を近づけるように、互いの距離を詰めていった。


  (もう少し……もう少しで)


  一分が一○分、一○分が一時間にもなったように、長い時間彼女は勇気のない自分と戦いつづけていた。そしていよいよ、鼻先にかすかな風を感じるところまできた。少年の寝息を、彼女は吸い取るように呼吸した。一度少年の体内に入った空気さえ、いとおしかった。
  だがそのとき、タンダ看護兵はびくりと肩を震わせた。
  腕の端末が、警告の振動を発したのだ。


  「あともう少しだったのに…」


  鼻を鳴らして振り返ると、監視モニターに、廊下をやってくる警衛隊の交代要員が映し出されていた。
  警衛隊では、当直の交代に際して、一度病室のなかの軍医と看護兵に声をかける習慣になっているのである。おそらく、警衛隊のほうでも、少しでいいから少年の寝顔を拝みたいのであろう。
  舌打ちして、タンダ看護兵はベッドを降りると、ホロカメラをバッグのなかに押し込んだ。そしてベッドからやや離れて、眠り込む軍医の横の椅子に腰掛けた。
  ちょうどそのとき、ドアが開いた。


  「当番を交代します」


  なかを覗き込んだ警衛隊隊員の二対の目が、まずベッドの少年のほうへと流れて、ややしてタンダ看護兵のほうに向いた。


  「ご苦労様です」


  タンダはくまの浮いた顔に生真面目さを装って、小さく頷いてみせた。
  警衛隊の二人は、すぐに眠り込んでいる軍医に気づいた。


  「代わりの軍医を連れてきます。大切な副官殿を預かりながら、容態を診もせずに眠り込むとはどういう了見で…」
  「軍医殿もお疲れなんです。少尉殿はわたしが見ておりますから、ご安心ください」
  「いや、そういうわけにはいかない。おい、戻るついでにほかの軍医を呼んで来い」


  警衛隊のひとりが、廊下を足早に去っていった。ほどなく代わりの軍医がきて、正体もなく眠り込んでいる同僚に雷を落すことであろう。
  今日もまた大事なチャンスを逸したことをタンダは内心歯噛みした。こんな調子では、少年の種を掠め盗るどころか、唇を奪うことさえ難しい。
  実物が目の前にあるのに、写真やら髪の毛やら、消毒に使ったガーゼやら注射器やら、マニアアイテムばかりが増えていくタンダ看護兵である。
  目の前のチャンスが消えてなくなったことが実感されると、どっと疲れがよみがえってきた。次のチャンスは、絶対ものにしてやる。タンダ看護兵は、心のなかで何度目かの悲壮な決意をした。






  カーリカーンの懲罰房は、静まり返ると、低く轟々とした駆動音が耳に届くようになる。その床下では、三千トンあまりの汚水がつねに浄化処理されている。
  ひそひそと、人語が漏れる。


  「出たのか?」
  「おう」


  そう答えた人影が、暗闇のなかで立ち上がった。
  宇宙焼けした浅黒いその顔は、ともすると灯火のない暗がりのなかに溶けたように見えなくなる。着ている服も黒ければ、髪も黒い。


  「スベン。どうやったんだ?」
  「なぁに、ちょいと誘いをかけてやったら、当番のネコ女がころりと引っかかりやがった。他星人の男ぐらい、片手でひねられるとたかをくくってやがったんだろうぜ。徒手格闘はこっちだって十八番だっての」


  ナイトウォークのスベン。ムートン錨地でエディエルをかどわかそうとした青年海賊である。
  倒れ伏した番兵から奪ったカードで、懲罰房を開錠する。旗艦カーリカーンに収容された海賊の生き残り百人あまりが、ぞろぞろとくぐり戸をくぐって出てきた。スベンはひとわたりおのれの功を仲間に誇ってみせたあと、当然といわんばかりに宣言した。


  「これからはオレさまが頭だ」


  年齢からいえば、スベンよりも年かさの海賊は何人もいる。が、海賊たちは、多少の不満は漏らしたけれども、最終的には彼の指導権を承認した。より強き暴力を秘めた者が上に立つ彼らの社会の中では、当然の結果であるといえた。スベンは組織のなかでも指折りのクンロン闘術の名手であり、何より押し出しが強く頭も切れた。
  沈黙の同意が成立した後、海賊たちは当たり前のようにスベンに今後の予定を問うた。


  「で、どうやって脱出するんですかい?」


  まだ彼らの命運はキャッツランド人たちの手中にある。身を守る防護服も、本来彼らが空気のように携行してあるべき凶悪な武器もない。唯一、スベンが撲殺した看守から奪ったハンドガンが一丁あるばかりである。
  なかなか口を開かないスベンのまわりで、海賊たちが喧々諤々と議論を始めた。むろん人がましい教養などほとんど持ち合わせていない辺土出身のあぶれ者ばかりである。散々大声で怒鳴りあったあと、ともかく力ずくで脱出する、というよく分からない結論を大合唱した。


  「奴らに拿捕された船が船倉かどこかに格納されているはずですぜ。運がよけりゃ、まだ飛べるかもしんねえ」
  「こんなムナクソわりいネコ女どもの船なんざさっさとおさらばして、北部のアジトにでもいきやしょうぜ」


  大声で騒ぐ海賊たちを、スベンが手で制した。その強い眼光に射られた海賊は、首をすくめて仲間の背中に隠れた。


  「船倉に行って、船が見つからないときはどうすんだ。たとえ運良く船を取り返して脱出できたとしても、怒り狂ったネコ女どもに、主砲でドカンだぜ。まず逃げられっこねえ」


  簡潔なスベンの答えに、海賊たちは顔を見合わせた。


  「オレたちゃいまのところ百人はいる。この艦は大きいが、乗組員はせいぜい四百か五百だろう。どうにかしてあのあばずれ女を人質にすることができれば、このドでかい新ピカの戦艦だって乗っ取ることができらぁ」


  あばずれ女とは、いうまでもなく第九艦隊司令ニーナ・ニオールのことである。
  人質をとってのゆすりたかりは彼らの十八番である。大事な身内を奪われた家族が、面白いように言いなりになるのを彼らは知っていた。


  「あのあばずれをとっ捕まえて、人質にする。いまはそれっきゃねえだろう」


  海賊たちは、犯罪者集団らしく行動に移ったとなったら無駄口をたたかなかった。端末から艦内図を読みながら歩き出すスベンに従い、粛々と懲罰房から流れ出す。
  向かう先は、艦隊司令ニーナ・ニオールのプライベートルームである。彼らの仲間を殺しつづけたニーナ・ニオールが、艦橋ではなく私室で休んでいるとのスベンの読みからだった。


  「武器がこれだけではちっと心もとないですぜ。武器庫を襲って、装備を強化しやせんか?」
  「バカ野郎。がさつなネコ女の艦とはいえ、いちおうは正規軍だぞ。武器庫なんざ銀行の金庫並に警備も厳重で、近づいただけで袋叩きさ。よしんばそこまでたどり着いたって、こんな豆鉄砲程度じゃ頑丈な扉に穴もあけられねえさ」


  懲罰房のある区画を出たところで、艦内警報が鳴り響いた。発見されるのは想定内のこととはいえ、海賊たちは首をすくめた。この逃亡の失敗は、即彼らの死である。


  「はやく行きやしょう」


  誰とはいわず、海賊たちは駆け出した。頭数は多かったが、彼らはほとんどが素手であった。途中、キャッツランド兵と遭遇するたびに、彼らは果敢な突撃を行い、人命と引き換えに少しずつ武器を手に入れた。感情を麻痺させた戦闘集団は、重症で動けなくなった者を一顧だにせず打ち捨てた。


  「ネコ女どもめ、船がでかすぎて防戦の態勢が整えられねえみたいだ」
  「やつらが油断しているあいだに、まだまだ稼ぐぞ」スベンはベルトに押し込んだハンドガンを叩いてにやりとうなずいた。


  たしかにキャッツランド兵の応戦は、組織的とは言いがたかった。個人の戦闘能力に大きく頼る彼女たちの性向が、偶発的な戦闘に対して各個対応という反応を引き出しているようだった。全員に武器らしきものがいきわたるにつれ、海賊たちの表情にも本来の悪たれぶりが戻ってくる。いま必要なのは武器と時間のみであるのに、彼らは放っておくといろいろなものを懐にしようとして、スベンに怒鳴りつけられた。




    ごっそり奪え、
    根こそぎ奪え。




    ひとりが放歌を始めると、全員がそれを口ずさみ始めた。




    酒場の荒くれもしょうべんちびる
    おれらはクンロン大海賊
    金を奪え、
    女は犯せ、
    男はぶっ殺せ、




    敵中にある恐怖を紛らわせるためであったろう。歌う声はどんどんと大きくなる。




    正義ヅラは気にくわねえ、
    なんでもかんでもともかくぶんどれ、
    おれらは泣く子も黙るクンロン党
    最強の大海賊




  「てめえら、死んでこいや!」


  おうっ、と海賊たちがなだれを打って突撃した。
  そろそろ組織抗戦が目立ち始めたキャッツランド人たちの火線に、海賊たちは恐れることなくその身をさらした。キャッツランド人の骸を踏み越えるたびに、彼らの手にはいよいよ銃火器があふれた。






  「そのまま、十分にひきつけろ」


  海賊たちの快進撃も、永久に続くものではなかった。
  好き放題にやられたとはいえ、キャッツランド軍は辺境最強の軍組織である。カーリカーンの治安維持をその主任務とする彼女たち警衛隊の面々は、必殺を期して昇降チューブフロアに陣取っていた。
  海賊たちの行動はおよそ思慮深さからは無縁であった。彼らが艦隊司令ニーナ・ニオールをその仇として狙っていることは周知のことであったし、そこへ至るためにもっとも手っ取り早いのがこの昇降チューブを使うことであった。艦隊司令の休むプライベートルームは船体中央近くであり、全長二キロにも達する巨艦の中央まで足で移動するとなれば、百人の勢力とていずれ抵抗に削られ摩滅してしまうだろう。
  いままさにフロアに飛び出そうとしていた海賊たちの頭上から、ガスが噴出した。無力化ガスのたぐいだが、機敏に反応した海賊たちは身を低くしてフロアへと転がり出た。
  ガスの効果はそもそも期待などしていない。煙幕になればそれでよかった。


  「いくぞ!」


  敵に物影に潜む間など与えない。警衛隊はショックロッドを片手に海賊たちの人塊に躍りこんだ。


  「くされ海賊どもが!」


  ショックロッドは、強化服を装備した敵を攻撃するための特殊警棒で、打撃面から内側へと爆発的な衝撃波を送り込む機能がある。むろん生身の人体にこれを振るえば、生きながらにして内蔵がミックスジュースになる。
  海賊たちにとって恐るべき裁断者となった彼女らのなかでも、ひときわ海賊たちを震え上がらせたのはケイティ軍曹であった。
  引き絞られた筋肉が躍動する。
  その巨漢のキャッツランド人に海賊たちは見覚えがあったのだろう、『グンソウ』というタンゴが彼らの口から発されている。あの凄惨な拷問が行われていた懲罰房で、ニーナ・ニオールの相手をしていた「軍曹」は、おそらく相当に印象深かったに違いない。
  またたくまに前衛の数人が叩き伏せられ、応射するいとまもなく海賊たちが崩れたった。


  「落ち着け、銃を使え!」
  「バケモンだ!」


  ハンドガンを使うにも、飛び込まれた時点で彼我の距離が近づきすぎている。ハンドガンは点の攻撃に過ぎず、ショックロッドは線の攻撃で海賊たちをなぎ払う。得物が一閃するたびに、数人の海賊が絶命し、倒れ伏した。


  「お頭!」


  乱戦のさなかに叫びがあがったとき、ケイティはその若き頭目を間近に見ることになった。海賊たちにとって死神と化したキャッツランド「軍曹」が、闘いを予感して鋭い牙を見せて笑った。


  「きさまが頭目か」
  「おっと!」


  もはや一瞬のひらめきにしか見えない必殺の一閃に逃げ散る仲間たち。それらをたくみに遮蔽物として利用しながら、スベンはするりとケイティの間合いに踏み込んだ。彼が得意とするクンロン闘術とは、海賊組織がそれぞれに伝承するという徒手格闘のひとつである。目に見える強さしか評価しない海賊社会で、武器を持たずして強いということは最高の自己表現に他ならなかった。スベンは恐るべき破壊力を秘めた一手を撃ち出した。
  その一撃がただならぬ殺気を潜めていることを見抜いたケイティは、彼女の戦士としての資質を示すであろう驚くべき反射神経で防御に動いた。おそるべき膂力で強引に引き戻したロッドの柄で急所をガードしたのだ。
  だが、ケイティの防御は間に合わなかった。スベンの一撃は、人体の急所を狙って打たれたものではなかったのだ。なにものにも妨げられることなく、ケイティのわき腹を叩くようにその掌底が放たれた。
  急所をそれた一撃になにほどの威力があるものかと彼女が余裕の笑みを浮かべたのは一瞬であった。
  その表情がひき歪んだ。
  緩やかにさえ見えたスベンの掌底にどれほどの破壊エネルギーが秘められていたのか、彼女の巨体がカタパルトに打ち出されたように舞い上がり、三メートルの放物線を描いて床面に激突した。
  あまりの衝撃に、呼吸が止まる。信じられぬ事態に、ケイティは呼吸を再開させることすら忘れて、若き頭目を凝視した。数呼吸の沈黙。そして海賊たちの歓声。


  「みたか、ネコ女どもめ!」
  「クンロン闘術の達人にかなうものか」


  体じゅうの筋肉が反乱を起こしているのだろう、立ち上がろうとしても力が入らない。
  心酔する指揮官を倒されて浮き足立った警衛隊員たちを押し返し、海賊たちは昇降チューブのフロアに踊り出た。


  「軍曹殿!」
  「行かすな!」


  彼女らがつかの間の忘我から我に返り、追いすがろうとしたときにはすでに海賊の大半がチューブへと飛び込んだ後だった。そのあとを追おうとする部下たちを、ケイティは叱咤した。


  「行き先指定の変更だ! ニオール提督のフロアをはずせ!」


  とっさの機転であっただろう。ケイティの指示はすぐさま部下の手によって実行された。
  行き先は最上層へ。
  彼女たちはこのあとわが身を引き裂きたくなるような自己嫌悪に陥ることとなる。
  これが、キャッツランド第九艦隊の迷走の始まりであった。






  海賊たちは、最初唖然とした。
  吐き出されたそのフロアの天井が、星の海となっていたからである。真空中に放り出された、というわけもない恐慌が過ぎ去ると、どうやらおのれたちがまったく別のフロアへと導かれたことを理解した。
  操作ミスをしたのだとタコ殴りにされる手下を放っておいて、スベンは頭上の星々にしばし見入った。星の光と闇以外何もないその空間は、彼の愛すべき庭だった。
  そして昇降チューブの脇にある表示を見て、ここが艦の最上層であることを知る。
  ニーナ・ニオール奪取の作戦は失敗したのか。新しい頭目だといきがった挙句、結局失敗して途方にくれるおのれは、見ているのも痛いみじめな負け犬だった。
  もう一度ニオールを狙って下を目指すか?
  自問して、頭を振る。
  艦の脱出艇がこの最上層フロアにあるのかもしれない。その程度の予想はだれの頭にもある。ならばもはや逃げの一手だろう。おそらく彼らの乗る脱出艇は、キャッツランド人たちの射撃大会の的にしかなるまい。
  ツキに見放されたか?
  スベンは結構そういった持って生まれたツキなどを当てにする男だった。
  この一連の騒動で、仲間のほとんどが殺されるなか、彼は生き残った。
  そして実力だけでは簡単にはのし上がれない海賊社会で、彼はこの騒動のさなかにまんまと一家を構えることに成功した。あとは命冥加にこの船を逃げ出すだけであった。シンジケートの長老たちはまだ秘密のアジトで生き残っている。そこまで生きてたどり着けば、組織の復興とともにもっと高い場所にまでだってのし上がることができるだろう。
  まだあきらめない。
  ツキはまだオレさまを見放しちゃいねえ。
  スベンに促されるまでもなく、海賊たちはフロアへと侵入した。
  通路へとさまよい出た海賊たちは、突然の誰何を受けて反射的に発砲した。
  誰何したのはふたりの警備兵だった。最初の銃撃が命中したのか、ひとりがすでに倒れている。生き残ったキャッツランド兵は、一瞬後退しようかと躊躇をみせたが、ちらりとわきのドアを流し見て、それから悲壮なまでの果敢さで応射を始めた。
  しかし多勢の海賊たちの狙い済ました射撃に、なすすべもなく打ち倒される。


  「ばかなキャッツランド人だ。あれじゃあいい的だぜ」


  唾を吐いて、海賊たちはその死体のわきを通り過ぎようとした。


  「待て」


  スベンは、先を急ごうとする海賊たちを制止した。その手に握られたハンドガンがドアの鍵に押し付けられ、焼き切った。


  「お頭…」


  スベンがドアを押し開けると、ぷんと薬品臭が彼らの鼻をついた。
  さまざまな医療機器。
  そしてその向こうに寝かされた、キャッツランド人の少年。


  「ありゃあ…」


  スベンがその病人を見咎めて、小さく声を上げた。
  浅黒い面に、印象の強い眉が持ちあがった。その間にも、海賊たちが続々と部屋のなかになだれ込んでくる。
  海賊たちは寝かされた少年に気を取られていたようであったが、その背後でこそりと立った音に全員が反応した。


  「ひいっ」


  ひと目で看護兵と分かる白衣のキャッツランド人が、椅子を持ち上げた格好で凍りついた。
  銃口が、この不幸な看護兵に向けられた。


  「よう、この患者はだれなんだ」


  事情を知らない海賊の一人が、そう尋ねた。
  看護兵は生唾を飲み込んで首を横に振った。かっとした海賊が殴りつけようと動いたが、仲間の言葉で思いとどまった。


  「ニオールの副官だよ」


  代わりにスベンが応じた。
  ベッドの端に腰を下ろし、興じたように膝を打った。


  「こりゃあいい。こいつさえいりゃあ、あのニオールのくそアマも、絶対に言うこときくぜ。このガキはニオールの愛人だ」


  海賊たちの野卑なざわめきにも、眠りつづける少年はなんら反応を見せない。
  海賊たちは、切り札を手に入れた。









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