『戦え! 少年傭兵団』





  第25章 『これが戦場』












  何かいろいろと『危険なもの』が身近をかすめていく。
  騎兵が振り回す槍。
  味方の流れ矢。
  一度総毛をよだたせる圧迫感で敵の騎兵の馬体が騎槍とともに駆け抜けたとき、風圧だけで体がよろけた。あまり身長の高いほうでない彼の頭上わずかのところを騎槍がかすめていくのを他人事のように眺めたまま、アレクはぼんやりと戦場の風景に見とれていた。


  「アレっち!」


  その瞬間、彼の身に死神のマントが触れていたかもしれない。
  生き延びたのは、ただの幸運。
  忘我の淵から彼を引き上げた声が誰のものだったかは分からない。敵の騎兵に蹂躙されつつある乱戦の渦中で、アレクはいままさに夢から覚めたようにまたたきした。


  (しっかりしろ!)


  戦場で血まみれの剣鬼となっていた父が振り返った。現実と妄想が混濁とする。おまえはそれで、生き残ることができるのか?


  (ここは、いくさ場…)


  彼の周囲には、死があふれていた。
  幾度も死が彼の身近を通り過ぎ、そしてまた迫りくる。驟雨のような矢が頭上から降ってくる。もはや敵味方など考えもせずに撃ち出されてくる矢から、敵ばかりでなく傭兵たちまでも逃げ惑った。
  そんな渦中に、彼はあった。
  圧倒的な状況の中に、ぽつねんと取り残された右も左も分からず舞い上がった新米傭兵がひとり。矢が当たらなかったのは、ただただ幸運なだけで。
  孤立するおのれを自覚したとき、アレクの無意識は身に迫る危険を回避すべく知覚範囲をその周辺へと急速に拡大させた。
  それは切り結ぶ敵味方の数と距離、移動の方角、殺意と恐怖の向かう先を管制して情報化した。飛来する矢さえも、その瞬間どこへ向けて飛んでいるか、高さ、そして本数は何本かを把握する。それらの時を輪切りにしたような情報の断片が奔流となってアレクの脳内に流れ込んだ。
  一瞬の過負荷を、彼の未熟な頭脳は『漠然化』して感覚的に再構成した。


  (来る!)


  『直感』が告げた。
  そのときまさしく彼の体に到達しようとしていた矢の存在に気付き、彼は薙ぐように小刀を一閃した。
  はじかれる矢。
  幸運にもとりとめられた『無事』を実感する暇さえなく、アレクは感覚の中の原野を駆け始めた。そこは乱戦という名の波に洗われた草原だった。
  この傭兵たちを投入した肉をすりつぶすような不毛な乱戦は、《大アラキス同盟》軍が統制を取り戻すための不様な遅延行為だった。敵はまだ突撃して来た騎兵のみ。剣を手に傭兵たちが駆け抜ける騎兵の前に立ちふさがったとしても、そのスピードと圧力に抗し得る者は少ない。ましてや、隙間なく全身をよろった騎士にひと太刀浴びせられることはほとんどなく。


  「馬だ! 馬を止めてしまえ!」


  戸惑う彼に仲間の叱咤が届く。
  おそらくそれがこの騎兵との乱戦中に傭兵のできる最善の闘いであったに違いない。どれだけ金をかけて馬を防護したとしても、その脚まで鋼鉄で覆うわけにはいかない。
  恐るべき鋭鋒を突きつけて駆けて来る騎兵の槍をかいくぐって初めて、傭兵にチャンスは訪れる。馬のむき出しの脚に剣を叩きこむ。
  意外に馬の脚というのは骨太で、生半な攻撃など効くものではない。渾身の一撃が必要であった。
  二、三の騎兵の攻撃を避けたアレクは、ほかの傭兵たちの戦法を真似て、突撃してくる騎兵に向かって小刀を下段に構えた。腰を落として、目を見開く。


  (オレだって!)


  心臓がバクバクと跳ね回っている。
  呼吸が速くなり、顔面が冷水を浴びたように温度を下げてゆく。血の気が引いていくおのれが信じられない。
  彼はあきらかに戦場に慣れていなかった。そしてそんな弱兵を見逃さなかった騎兵たちが狐狩りのように交互に突撃を繰り返してくる。彼は『獲物』として敵に狙われ始めていた。
  彼がいま見定めている騎兵が眼前に。
  そしてやや背後寄りに、こちらへと馬首を寄せようとしている騎兵がふたつ。


  「アレっち…!」
  「逃げろ! まだ早い!」


  なにが早いものか。アレクは反発する気持ちを突撃してくる騎兵へと向けた。
  一回、二回と前足で地を掻いた人馬が、突進を開始する。彼の心臓を狙い済ました騎槍が、風の壁を突き破るようにして迫った。


  (まず、避ける…)


  騎兵のスピードはむろん尋常なものではない。だがそれゆえに急な進路変更は至難である。あの騎槍さえかわすことができれば、騎兵に一矢を報いることができる。
  背をかがめる。
  もっと。もっと低く。
  破壊槌から削り出したような太く鋭い騎槍の威力は恐ろしくとも、所詮騎士が馬上にある限りあまり下に向けることができない。『刺突』できねば騎槍は威力を発揮できないのだから。
  低くかがんだ彼の様子に、その騎兵は躊躇した。
  が、それも半瞬のこと。騎士はしたたかに方針を変更した。
  かがむのが早すぎたのだ。敵の騎兵はうかつな新米傭兵を叩き伏せるべく騎槍を棍棒のように振りかぶった。


  (そんな使い方…ッ)


  アレクは敵の攻撃が変化したことに寸前で気付き、飛び込むように地に伏せた。彼の背中を、風の唸りが通り過ぎた。クリケットの球を打つように振り抜かれた騎槍が、外套の端をかすめて馬蹄とともに遠ざかる。
  くそっ。
  草を掴み、土を蹴って転がるように立ち上がる。
  可能な限り迅速に体勢を整えたアレクであったが、『狐狩り』に挑む騎士は背後に二人も控えている。その一騎がすでに走り始めていた。
  アレクは振り向きざままたしても身を投げるように地を転がった。なぶられている。転がったその先をもう一騎が背中から狙ってくる。
  アレクは歯噛みしつつも、まるで背中に目があるかのように右に向かってさらに転がった。天と地が回る。草と土の匂いが鼻をついた。
  なんとか危険を回避したアレクは、そのまま駆け去った騎兵の背を見送りつつ口元についた土と汗をぬぐった。騎兵はアレクという獲物のみに拘泥せず、一度駆け出したその速度を直線上の蹂躙に使用した。アレクが避けた騎兵たちに、二人の傭兵が串刺しにされ、もんどりうって地に転がった。
  一歩間違えば、あれが彼の命運となってもおかしくはなかった。
  飛来する矢が減ってきた。
  壊乱した味方の弓兵が散り散りに逃げ出したのだろう。期せず反撃力の低い標的物が増えたことで、騎兵たちがアレクに目を付けることが少なくなる。
  傭兵たちがよく口にする『肉の壁』。
  行動の自由度が上がった傭兵たちが、仲間たちと集合して壁を作り始める。《火竜のあぎと団》も、十竜長たちが部下を呼び集め始めている。そろそろ緒戦も終盤に差し掛かっているのだろう。前進にもたつきのあった《大アラキス同盟》の槍兵たちが前面へと押し出してきつつある。
  敵の騎兵たちが、退却の潮時とばかりに、反転し始める。


  「アレっち!」


  その叫びが誰のものかは分かった。ボーさんのしゃがれ声は、戦場でとてもよく響いた。
  いつのまにか、アレクは味方たちからずいぶんと離れてしまっていたようだった。退却を始めた敵の騎兵たちが、引き際の駄賃とばかりに動線上のアラキス兵を狙いだした。


  (腰を低くかがめて……懐にもぐりこむ)


  やってきた騎兵の槍を肩のわずか上にかわして、ようやく射程圏に入ることができたアレク。小刀を全力で振りぬいた。


  (…チッ)


  小刀が空振りした。
  アレクの立ち位置が遠かったのと、小刀があまりに短かったこと。間合いの読み違えだった。
  もう一騎がアレクを狙い済まして駆けてくる。時間がない。
  アレクは小刀を鞘に戻して、中剣を手に取った。


  (こいッ!)


  騎兵もへばり気味なのか、騎槍の先が心持ち下がっている。重い騎槍をとりまわす余力がもうないに違いない。
  ふっ。
  短い呼吸。
  アレクはその騎兵の槍をなんなくかいくぐった。
  さっきは少し逃げ腰に遠間に身を置いてしまった。今度はできるだけ接近する。
  息が上がったアレクにも、重い中剣を振り回す余裕はない。地面をこすりあげるように、全身をひねって剣を馬の前脚に叩きつけた。




  ガツンッ!




  石でも叩いたような反発にアレクはよろけた。馬の脚の骨に弾かれたのだ。
  勢いに負けてくるりと体を回転させたアレクは、しかしその攻撃によってつんのめる馬と、うわっとばかりに投げ出された騎士を観た。
  馬体が跳ねて、そのまま地面を滑っていく。その馬の陰に落ちた騎士。
  アレクはもうなにも考えずに落馬した騎士に駆け寄っていた。もう体力が残り少ないことなど頭からは消えうせていた。横倒しの馬の鞍を踏み台に飛び越えた。


  「まっ、待てッ!」


  マリニ訛りの騎士が手をかざして叫んだが、アレクは止まらない。この騎士もすでに何人もの味方を血祭りにあげているのだ。自分だけ助かろうなどとそんな勝手な理屈など通用しない。
  アレクは中剣をかざし。
  そして、初めての『戦果』と引き換えに、ひとつの命を断った。








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