『戦え! 少年傭兵団』





  第26章 『矢が避けていく子供』












  《大アラキス同盟》対《マリニ公国軍》の戦いは、何度かのつばぜり合いの後に『アラキス側不利』というありがたくない観測が持ち上がり始めていた。
  戦線はヘゴニア中央部まで後退し、同盟の南部領主たちが顔色を変えて作戦会議を怒号の巷に変貌させている。手ひどい敗戦を食らえば、彼らの幾人かは『没落貴族』の不名誉な称号とともに身ぐるみはがれて寒空に蹴り出されることになるだろう。
  顔色を変えた領主の中には、むろんエデル伯爵その人も含まれている。
  作戦会議から陣中へと戻ってきた伯爵は、私家軍の主立ったものたちを帷幕に集め、けんけんとおのれの都合と勝利への要望を並べ立てたらしい。作戦らしきものは皆無で、ただ『なんとかしろ』という伯爵の要求を承らねばならなかった《火竜のあぎと団》100名の運命は、さながらサイコロの目で生き死にが決まる100枚の賭け銅貨のようなものであった。


  「きさまら、一生懸命『がんばった振り』をしろ」


  レフ・バンナの心づけとして各小隊にぶどう酒と貴重な塩漬け肉が配られ、おおっぴらにできない指示が各小隊長の口より隊員たちに伝えられた。日々の激戦で満身創痍の団員たちは、ぶどう酒を満たしたマグを打ち鳴らして、団員たちの命冥加なしぶとさと我らが3番隊長の性格の悪さを笑い讃え合った。






  塩漬け肉は、臓腑に染み渡るほどうまかった。
  アレクはたった一切れの肉を口にくわえてしがみつつ、中剣に砥石をかけていた。疲れた体に塩味がうまくて、あふれるように唾が沸いてくる。


  「その剣じゃ、多少削っても切れるようにゃなるまい」


  隣で同じく砥石と向かい合っていたボーさんが、アレクの中剣を見てつぶやいた。それはアレクも同じ想いである。刃こぼれだらけ、錆だらけで、少々刃を削ったところであまり代わり映えがしない。特に刃の深くにまで潜り込んでいる錆が曲者だった。削れば削るほど新しい錆が発覚したりする。


  「でも、オレにはこの中剣しかないから」


  アレクは塩気の抜けた肉片を噛み砕いて、ぶどう酒と一緒に飲み込んだ。保存のあまりよくないぶどう酒は、あくが強くて喉に引っかかるぐらいにすっぱかった。思わぬ酸っぱさに少し咳き込むと、折れているかもしれない肋骨が差し込んで痛んだ。二度目の戦いの時に、死体に躓いて脇を打ったのだ。
  隣のボーさんも、肩に矢を受けて布を裂いた包帯を巻いている。ほとんどの団員がどこかしら怪我を負っていた。死んだものも何人かいる。


  (この中剣だけが、オレの対抗手段…)


  次の戦いのために、血脂を削ぎ落として戦える状態にしなければならない。
  小刀は最初の戦い以来鞘に収めたままだった。小刀の切れ味より、無骨な中剣の打撃力のほうが甲冑相手に実際的で有効なことは、もう理解している。






  ***






  戦場に出て、分かったことがいくつもある。
  自分を死神から遠ざける術。




  「だいぶ『傭兵』らしい面になってきたじゃないか」


  シェーナが言った。
  自らも戦場を駆け回り、何人も敵兵を斬り殺した第9小隊隊長シェーナ・ロブソンが恐ろしく腕の立つ『傭兵』なのだということは実際に観て分かった。シェーナだけでなく、飛んでくる矢をことごとく撃ち落としてエデル伯爵の身辺を守り通すレフ・バンナの剣さばきも、到底アレクには及びもつかない高みにある。
  シェーナの酷使された筋肉が強張っているのが指先にも分かる。肩を揉みながら、こんな筋肉を得るためにはどれくらいの鍛錬が必要なんだろうと想像している。


  「矢が避けて飛んでいく運のいい子供がわが隊にはいるらしい」


  「矢が避けて」という言葉の意味は分からないが、第9小隊で子供扱いされるのはアレク以外にはありえない。


  「あれだけ隊からはぐれまくって、騎兵に狙われまくって、雨みたいに降り注ぐ矢にも当たらずに生き延びたんだ。ぼうやには飛びっきりの守護天使がついてるよ」


  肩から腕を揉んで、水で絞った布巾で身体を拭きあげると、シェーナは気持ちよさそうに喉を鳴らした。腕の立つシェーナでさえ、細かい傷はいくつも付けられている。転んだ打ち身があるとはいえ、この乱戦がちな戦場で無傷に近い状態を保っていることが奇跡に近いことを、アレクはうすうすと察しつつも、それがおのれの気付いた戦場での『処世術』の賜物だと考えていた。
  矢はよく集中していれば当たらないようにかわすことができる。矢がどこにいて、どのあたりに落ちるのかおおよそ分かるのだから、避けられないはずはないのだ。アレクはおのれの心の目が持つそうした『客観性』がどれだけ特殊なことなのかまったく自覚していない。分かっているから、かわす。その程度の認識に過ぎない。
  それよりも、彼にとってはほかの『処世術』のほうこそ重要なのであった。






  ひとつ、
  周りをよく見て動かないとすぐに味方からはぐれてしまうこと。はぐれたら格好の獲物になり下がってしまうこと。






  ひとつ、
  全力で剣を振り回していたらすぐに息が切れてしまうこと。疲れても敵は絶対に待ってはくれないこと。






  ひとつ、
  騎兵はとにかく速くてずるいこと。身構えて待たないと、徒歩の兵にはとうていまともには相対し得ない兵種であること。一対一でない限り逃げたほうがいいこと。






  ひとつ、
  槍兵は本当に厄介なこと。遠間から並んで突き込んでこられると、剣では手の出しようもないので極力近づかないこと。






  「だいぶ走りまわる体力はついてきただろう?」


  シェーナの艶めいたアピールから目をそらしつつ、「もうヘロヘロですから」とやんわりとかわすアレク。首筋に吐息をかけられて、いつでも逃げられるように腹筋に力をこめたことは内緒である。


  「『剣』は不利だろう?」


  シェーナはアレクの逃げがちな顔を手で正面に向けさせてから、軽く鼻をつまんだ。考えていることなどお見通しだ、というように。
  アレクは何度かの戦いを通して、ぼんやりとそうではないのかと疑問を抱き始めていた。騎兵にも、槍兵にも、弓兵にすら剣士は劣るのではないか?


  「…黙ってると、『食う』ぞ」


  鼻をつままれたまま、アレクはあうあうと抵抗した。


  「あの、その」


  言いよどんでいる間に唇をふさがれそうになって、口撃を手のひらで間一髪かわすアレク。この流れだと間違いなく押し倒される。


  「『剣』て、もしかしたら戦場では時代遅れなんじゃないのかと…」


  剣士(ほとんど『傭兵』と同義だ!)はとにかく戦場を駆け回らされる。騎兵は馬に乗ってるし、弓兵は遠くで立ち止まったまま矢を放つだけである。槍兵は並んで動くから前だけ見ていればいいし。
  剣を振り回すだけの傭兵は、観た感じばらばらで、戦い方が定まっていないようにもとれる。
  アレクの弁に、シェーナはわが意を得たりとにやりと笑った。


  「剣士なんて、とうの昔に時代遅れなのよ」
  「やっ、ぱり…」


  接近した顔に緊張しながらアレクがもごもごとしていると、


  「あたしらの団でも、やれと命じられりゃ槍だって弩だって使って見せるさ。雇い主がそいつを『支給』してくれるんならね」


  『支給』というあたりが問題なのだろう。
  アレクの拒絶に嘆息したように、シェーナは椅子に腰を下ろした。足を投げ出してきたので、アレクはやれやれとふくらはぎのあたりを揉み始める。


  「…槍をくれるのなら団の100人を陣組みして動かせばいいんだし、それなら敵の騎兵にだってそう簡単には推し込まれないと思うんです。同盟のほかの傭兵もそうすればずいぶんと有利になるんじゃないかと思います…」
  「『槍』も揃えるとなったら高いからな。雇い主たちにとって、あたしら『傭兵』はこそ泥みたいなもんだから、持たせたら『そのままネコババ』するんじゃないかとお疑いなのさ」
  「そんなこと、絶対に…!」


  アレクの青臭い言葉にかぶせるように、シェーナは、


  「まあ、値打ちもんなら貰っとくけどね」


  と、喉で笑った。
  支給されたぶどう酒で、多少は酔いも回っていたのかもしれない。


  「でも一番の理由は、『剣士』が使いやすいってことよ。『突っ込め!』と『引き上げろ!』のふたつで指示は終わりだからね。おバカな雇い主には使いやすいでしょうよ」


  戦場に出る前だったら、シェーナの言っている意味を分かりかねたかもしれない。だがいまならばアレクの心にもその意味がするすると入ってくる。


  「とくにこの同盟みたいな『寄合い所帯』は各領主軍でてんでばらばらだからね。そんな槍を買い揃えて与えるほど資金も潤ってないし、槍兵にしたてても使い切るだけの兵法のある領主も少ない」


  つまりは、《大アラキス同盟》が『烏合の衆』でなくなる日は永遠にやってこない、ということなのだろう。せっかく在来勢力として確固たる力を持っているというのに、意思を統一できないという欠点のためにいずれは勢力を暫減させ、滅び去っていく存在であるのかもしれない。
  ならばそんな『負け馬』に乗っからなくてもいいではないかと団の長たちに言いたくなるが、シェーナ曰く「財政破綻するまではいいお客さん」なのだそうだ。ゆえに、「一生懸命『がんばった振り』をしろ」などとレフ・バンナがのたまったりするのだろう。






  負け組みでも死ななければ傭兵は給金にありつけるのだから。








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