『戦え! 少年傭兵団』





  第31章 『脱出』












  たった一本のささやかな松明の明かりに映された、家族の再会。
  地下水路の隠された暗がりのなかで、占領下の混乱で疲れ果てた人々の顔がはじけた歓声に何事かと上げられた。この数日、悲劇ばかりで打ち沈んでいた彼らには、はじけるような子供たちの笑顔がまぶしそうであった。


  「全員、無事だったんだ…」
  「城が敵に取り囲まれて、町のみんなはパニックになったわ。たいていの人は家に閉じこもって隠れたみたいだけれど、攻め込んできた兵隊がどんなひどいことをするのかわたしたちには分かっていたから、すぐに兵舎から逃げ出したの」


  リリアの抱擁は、とても柔らかかった。ほのかに甘い匂いが、汗の匂いが、アレクの鼻腔をくすぐった。ほっと吐き出されたリリアの呼気が、安心のためだと気がついたとき、彼女の腕に力がこめられた。
  それは抱きしめるというよりも、しがみつくような力。そうして彼女の体がわずかに震えていることに気付いた。


  「アルローがいい隠れ場所があるって、ここまでつれてきてくれたの」


  ソマ村でその身になにが起こったのか、想像するのは容易い。だけれど、好んで想像したいとは思わない。


  「もう大丈夫だよ。オレが守る」


  安心して欲しかった。


  「オレが剣になる」


  目が合った。
  ほとんどくっついてしまうほどの近さで。潤んだ目が、アレクの魂を吸い取ってしまうようにまたたいている。
  アレクは心臓が高鳴るのを覚えた。何かが起こりそうな、不安と期待。
  そのまま吸い寄せられるように顔が近づこうとしたとき。


  「はい、お腹すいたでしょ!」


  カチカチのパンをずいっとばかりに顔のあいだにねじ込まれた。
  アレクは錆付いた風見鶏のようにぎぎぎっと相手のほうを観ると、そこには引き攣った笑顔をわざとらしく大きくするアニタの顔があった。
  一瞬前の、何か魔法にでもかかったかのような抗いがたい空気はなくなっていた。そのとき「チッ」っと舌打ちが聞こえたのは気のせいだったかもしれない。
  リリアはちろりとアレクを流し見てから、今度はにこにこと笑みを作りながらアニタを見つめ返す。何か空気が震えているような無音の緊迫感。


  「…はい! アレク兄、あ〜んッ」


  アレクはパンを口にねじ込んでくるアニタに軽くゲンコツを落としながら、家族の無事な姿を目に焼き付けようとするかのように念入りに見回した。とりあえず誰も怪我などはしていないようである。
  心の底からのぼってくる暖かな何かが、全身の緊張をほどかせる。
  よかった。何とか間に合ったみたいだ。
  アレクは潤みそうになる目をごまかすように顔をごしごしと手でこすった。周囲の目がなければ脱力のあまりカッコ悪く腰砕けになっていたかもしれない。アニタのくせっ毛を撫でながら、アレクは人知れず気持ちの立て直しを急いだ。
  子供たちに情けない姿だけは見せられない。
  アレクの帰還に彼らが生色を強くしたのは、彼という守護の《剣》が傍らに戻った安心のために他ならない。ならば彼らの期待する鋼のごとく強靭な《剣》でありたいと思う。
  彼の中剣と小刀は、町の外の土中に埋めてきてしまった。
  得物をなにも下げない腰まわりの軽さが、《剣》であるべきおのれを『不完全なもの』と認識させる。こうして無事にめぐり合えたからには、早急にこの市城から脱出して、武器をこの手に取り戻さなければならない。
  アレクの脳髄は早々と脱出の算段を始めていた。
  あの市城の惨状を観たいまとなっては、脱出に一刻の猶予もないように感じられる。動くならすぐ。


  「脱出……するのか」


  静かな泉に小石を投じたように。
  ぽつり、とつぶやくような言葉が闇の中に波紋を広げた。
  揺らめくか細い灯明に、《守護騎士》ゼノの厳しい面差しが明滅していた。






  「ならばわれらもそれに同行しよう」


  その眼差しは、アレクのわずかな表情の変化も見逃すまいと食い入るように見下ろしている。
  巨漢の騎士が身じろぎしただけで、人々の目がそちらへと吸い寄せられる。ゼノは一瞬だけおのれの主である王女のほうを見て目配せの同意を得ると、アレクの横に胡坐をかいて言葉の穂を継いだ。


  「…この水路に逃げ込んだまではいいが、正直このあとどうするか思案にあぐねていたところでな。外のマリニ人どもはいまどんな様子なのだ?」


  この剣匠の身体に染み込んだ汗と埃の臭いは、子供のころから馴染んだ傭兵たちの臭いと同じである。ベルトの古い皮革の臭いと、擦り込んだ手入れ脂の臭い。そして、鉄の臭い。


  「外は…」


  アレクにも否はない。
  暗闇に逼塞するこの難民たちに外の状況を知ってもらわねばならない。
  淡い期待を浮かべてアレクに集まる周囲の視線。
  城外にいたはずの彼がこの市城に舞い戻ったことで、マリニ人たち侵略軍が街の略奪に飽いてほかの土地に移ったのではないか。そこまではいかなくとも監視の目も緩むほどにマリニ人たちが満腹して街はそれなりに平静を取り戻したのではないか。
  どんな話を期待しているのかまる分かりなのだが、偽りを語るわけにはいかない。心に気合をこめる。
  食料がいつまでも持つわけではない。ここにいる者たちは、いずれ地上へと這い出しておのれの生活を回復せねばならないのだ。
  アレクは語り出した。
  アラキス同盟軍のぶざまな敗戦を…。
  ヘゴニアに食い入ったマリニ公国軍の鍛え抜かれた強さを。
  そしてその野蛮さを。
  略奪の限りを尽くされたエデルの様子を。
  聞く人々に言葉もない。
  焼けた数多くの家々。黒煙を上げる伯爵家の城館。
  同盟から見放され、地図から消え去るだろうエデル伯爵家とその没落の様子を。
  市城の絶対の支配者であったエデル伯爵家すら没落離散したこのいくさで、庶民の平凡な暮らしが守られることなどありえない。支配者のいなくなった街は、急速に寂れ土に帰っていく。もしかしたらいま傍若無人の支配者となったマリニ人たちがこの街に飽いて出て行ってしまったら、この市城はもしかしたらそのまま人の住まぬ廃墟と化してしまうのかもしれない。
  すすり泣く声が洩れる。
  おのれが育ち、愛した郷土が踏みにじられていくさまを想い。
  住む家を、たつきの道を破壊されて暮らしのめども立たない絶望を想い。
  いま傍らにない親類、知人の安否を想い。


  「若い女はすぐに襲われる。子供はかどわかされる。物持ちは奪われる。もう街の市場にはリンゴひとつ売ってはいないし、すきま風を防ぐ割れてない窓のある家も見当たらない」


  語りながら、アレクもこの街はもうだめだ、と思い始める。
  戦火の絶えないヘゴニアの北辺にあるこの市城は、守り手を失えば廃墟となる運命である。いくさをする軍の通過など一瞬のこと、そのあとは夜盗たちが弱者を狩り立てる無法の野と化すしかない。
  やっぱり、早く脱出すべきである。
  それもできるだけ早いうちに。まだ逃げる体力が残っているうちに。


  「この水路……大きな川につながってる(ズルリ)」


  声が上がった。
  片隅に膝を抱えて坐り込んでいた小さな子供が、洟をすすりながら決然とアレクを見つめている。
  痩せっぽちの小さなアルロー。
  この水路の中に皆を導いた功労者。その頼りないほどに細い肩をすぼめる小さな冒険者は、すでにこの水路の全域を踏破していたようだった。


  「でも、まだ外に兵隊がうろついてる。出たら見つかる」


  こいつは小さいくせに、妙に自立していて頭の回転も悪くない。おそらくアレクやゼノと理解の水準は違えども同じ地平に立って意見の交換をしているつもりなのだろう。
  子供たちもほうっと感心したようにアルローを見ている。まだ全員にそうだと自覚がないのかもしれないけれど、子供たちのなかでリーダーとして頭ひとつ抜け出るとしたらこの痩せっぽちの子なのかもしれない。


  「…そうなのだ。幸いこの水路は、ロナウという川の上流につながっている。水位さえ下がれば、そこから外へと脱出するのも可能そうなのだが、いまはまだ監視の兵が多く物騒この上ない」


  ゼノが言葉を引き継いだ。


  「しかし、もう悠長に待つゆとりはないようだ」


  きっぱりと、アレクの目を見て頷いた。
  まるで脱出の決断の背中を押そうとするように。
  ゼノはしばらく脳裏で得られた情報の整理に忙しそうに黙り込んでいたが、やにわに立ち上がると、おのれの主人のほうへと歩いて行った。そうして主従で、ひそひそと話し合っている。


  「もう食いもんも少ないし、このまま隠れてたらオレら干物になっちゃうぜ」


  膝小僧をぽりぽりと掻きながら、レントが大きな身体をゆすった。


  「そのまえに逃げだそうぜ! 森の中に入っちまえば、木の実とかイチゴとか腹一杯食えるかもな!」レントを突き動かす大いなる動機は常に『食欲』である。


  会話に聞き耳を立てていた子供たちが、喧々諤々と論戦を展開し始めている。


  「敵に見つかっても、あたしたちの剣でどりゃぁ〜って打ちかかれば負けないはずよ!」アレクお手製の木剣を構えて自信満々のアニタ。
  「ルチア泳げないしぶくぶくって沈んじゃうよ〜!」沈むというより流されていきそうなルチア。
  「こうして皮の水筒に息を吹き込んで……膨らませれば、誰でも、浮く」橋の少ない暴れ川で渡し守がよくいう『浮き袋』を語り出すアルロー。
  「…ここから出るのは……難しそうなの?」


  リリアの問いに、アレクはほんの少しだけ頬を染めて、


  「オレが守るから」なんでそんなことを口走るのか、おのれ自身でも分からない。何か魔法にでもかかったみたいだ。
  「外はめちゃくちゃだから。マリニ人に見つかったら、なにされるか分からない。…でも、危険だけど、すぐにでも逃げたほうがいい」


  この家族を失いたくない。
  薄汚いマリニ兵の毒牙にリリアたちをさらすわけにはいかない。家族を守るのは、アレク自身の責務なのだから。
  しばらくすると、ゼノがまた近くまでやってきた。
  そうして、皆に決定を伝えた。


  「今夜中に脱出する」


  たったひとつの松明が、何かにおびえるように大きく揺らめいた。








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