『戦え! 少年傭兵団』





  第2章 『腐肉に群がる者たち』












  ヘルマン辺境伯領の中心都市、ヘルツェハル市城は痛いほどの静寂に包まれていた。
  堅牢な城壁に囲まれた有力諸侯のお膝元であるこの町に、たとえ朝も近い夜半とはいえこれほどまでの静けさが生まれることなどかつてありはしなかった。
  普段ならばその時間帯なりの騒がしさ……酔客でにぎわう酒場の喧騒や、下世話な横丁の嬌声や喧嘩の怒鳴り声が街角のいたるところをにぎわせていたことだろう。
  その夜、市街地に人の姿はなかった。


  「領民たちは猟犬に追い立てられた狐のように巣穴にもぐりこんで怯えて息を殺している。誰になにを言われるまでもなく、この町の行く末を察しているのだろう。…彼らはすでに半ば混乱状態だ。失われた辺境伯家の武力がいつものように彼らの安全を守ってくれるのではないかと妄想している……が、それが楽観的に過ぎるということも同時に理解している。…平和なことに慣れすぎてしまったがゆえにあがくことをしない……まったく、因果なものだ」


  ゼノは部屋にある小さな窓から見える町の様子を示して、アレクにより正確な状況を理解させようとしている。


  「城壁どころか市城の正門にさえかがり火が据えられておらん。かろうじて門は閉じられているようだが、衛兵たちはすでに逃げ出してしまっているのだろう。…どうせ逃げたとしても家族持ちなら城外へは抜け出せぬ。自宅で家族の安全を身近で確保するつもりなのだろうが、おろかな……兵はまとまってこそその最大の力を発揮するというのに」


  アレクはゼノの物言いを一言一句聞き漏らすまいと神経を集中している。


  「衛兵の気配がないことはすぐに知れてしまおう。欲をかいた夜盗の一人が市城への侵入を試みれば、そこで辺境伯家の現状が明るみに出てこの町の安全だった時代は幕を下ろすことになるだろう」
  「この領地を乗っ取るつもりなら、町が焼かれてはうまくないだろうし、オレは町に侵入しようとする夜盗どもを殺せばいいの?」


  できうるならばゼノが答えを口にしてしまう前に解答にたどり着きたい。
  そんな安っぽい自己顕示欲が彼のなかにある。
  このヘルマン辺境伯領をうまいこと乗っ取って、滅んだルクレア国再興の拠点にしたいわけだから、その軍資金をひねり出す羊たちを野犬に襲わせるわけにはいかないだろう。ゼノがまずやらなければならないことは、この町を守りきること。領民たちの新たな庇護者として、名乗りを上げねばならないのだから。


  「簡単に言えばそうだ。…が、わたしとおまえのたったふたりで、この大きな市城を外敵から守りきることなどそもそも不可能だろう」


  ふたりがだめなら、もっとたくさんで守ればいい。
  その守り手の増員をどうするか、ということなのだろう。アレクたちの会話に聞き耳を立てていた勝気なアニタがとてもいい顔をして近寄ってきたが、とりあえず無視する。一緒に戦うとかまたぞろ馬鹿なことを言い始めそうな彼女のおでこを指ではじいて、「お話の邪魔しない」とジェスチャーで口をつぐませる。


  「人手を増やすことはこちらに任せておればよい。…おまえにまずやってもらいたいのは……歩きながら話そう。ついて来い」
  「わかった…」


  人前では言いずらそうな雰囲気から、ああ汚れ仕事なのだなと分かった。
  傭兵はよほど人倫にもとる犯罪行為ででもない限り雇い主の要望には最大限応えねばならぬものである。この稼業はとてもではないがきれいごとだけで成り立つものではない。父とともにあった《オークウッド旅団》でも、使者を人知れず処分したこともあったし、村の大切な穀物庫に火を放って村人たちの飢えなど知らぬように敵の糧道を破壊した。
  傭兵とはそんな存在だ。
  薄暗い廊下に出て彼の家族の視線がなくなると、こちらのほうをちらりとも見ずにゼノは言った。


  「辺境伯家には古くからの家臣団がある。ほとんど各村小領の名ばかりの田舎騎士だが、そのなかに家宰として累代伯爵家に仕えてきた鉄棒のような男が末姫のお傍をついて離れぬ…」
  「その『馬鹿』が邪魔なんだ」
  「そうだ。馬たちがやる気をなくして座り込んでいるというのに、ひとり気を吐いて鞭を振り回している……急ぎ家中を取りまとめねばならぬ火急のときに、あれは『毒』だ」
  「…ぽっと出の『伯爵家の遠縁』の客人に偉そうな顔をされるのが気に入らないとか、四の五の言ってるわけだね」
  「そうだ」
  「報酬は……きっとオレらを納得させてくれるんだよね?」


  暗い廊下を危なげもなく進む二人。
  そうして広間にたどり着く寸前に足を止め、そこにアレクを伏せさせたゼノ。


  「…ここから見えるだろう。あの甲冑騎士だ」


  そこは城館の大広間であった。
  領主の謁見場ともされるその広間の奥にはそれらしい豪華な椅子が並べられ、そこに座る小さな人影をめぐるように人の輪ができている。真珠に蜂蜜を溶かしたような美しい髪の少女が、片方の肘掛にしがみつくように小さくなっている。
  その横でここからでも聞こえるほどのだみ声でがなり続けている甲冑騎士……昔話の出てきそうな立派な髭を蓄えた男の姿がある。『頑迷な老騎士』の典型的なタイプに見える。


  「ヘルマン辺境伯家はこの末姫様を中心に、わが譜代の騎士団が総力を持ってお守りいたす! 遠縁か何か知らぬがあやしげなルクレア人などに用などないわ!」


  うわ、たしかに邪魔そうだ。
  末姫様……アマリー姫の周りにいるのは駆けつけた在郷の騎士たちであるのだろう。鎧は磨き上げられてピカピカなのだが、日ごろの鍛錬が足りぬせいか甲冑の重さに身動きさえ気だるげな印象がある。あるいは今回領主の戦死した戦いに参加していなかったことから、予備役のような老騎士ばかりなのかもしれない。
  そのまわりには大広間を警護する衛兵の姿もある。
  アレクはあまりのばかばかしさに歯噛みした。
  こんなところで無駄遣いする兵士がいるのなら、さっさと城壁に配置しておけばよかったのに!


  「わたしがあれと話した後、あれは急いで城壁へと向かうだろう。…おまえはあれの後を追い、『夜盗』の仕業に見せて始末するのだ」
  「報酬は」
  「金貨10枚だ」
  「少し合わないけど、足りない分は『貸し』だよ」
  「首尾がうまく行けば、そのとき追加は検討しよう」
  「わかった」


  アレクがうなずくと、ゼノは大広間へと歩き出した。
  物陰に潜みつつアレクは騒動の傍観者となった。
  大広間にゼノが姿を現すと、とっさに槍を突きつけた衛兵たちが慌てて姿勢を正して敬礼した。どうやらこの国でも《東方の三剣》、《ルクレアの守護騎士》は尊崇の対象となるらしい。
  ゼノの登場を知って、くだんの甲冑騎士が苦虫を噛み潰したような顔をした。
  この老騎士がゼノを胡散臭いと決め付けた直感はまさに正しい。しかしその胡散臭さが無辜の領民たちに害を与えるという考え方は誤っている。
  老騎士は正邪の判断にこだわるあまり、唯一の救いとなるカードを破り捨てて国を滅ぼす過ちを冒そうとしている。
  おそらくは伯爵家に最も忠誠心の篤い人物であったろうが、かえってその『忠誠心』があだとなって主家を歴史の闇に放り出すことになるだろう。


  (金貨10枚か……あいつらに菓子でも買ってやろうかな…)


  ぼんやりとそう考えながら、アレクは腰の中剣に手のひらをそっと合わせた。








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