『陶都物語』
第8章 『虎渓山の煙』
年貢の検品が終わると、大原郷はほっとした空気に包まれた。
それも仕方がないだろう。毎年毎年、この年貢収納でトラブルに見舞われる農民がいて、今年は不良米を多く混ぜたと役人にアヤをかけられた者がふたり、量が少ないと叱責されたものが4人ほどいた。
その不幸な6人は代官屋敷にしょっ引かれて、罪人のように裁かれた。先の割れた竹で散々に叩かれて放免されたらしい。
実際のところ、役人の咎められたのは完全に冤罪とは言い難い。お上に召し上げられる年貢米なのだ。どうせ自分らの口に入ることのない米であるし、ばれなければ出来のいい米を手元に置いておきたいに決まっている。ひとによっては昨年の種籾を混ぜてしまうやつもいるし、知らん顔をして籾殻を混ぜるやつもいる。あくまで程度問題で、ぱっと見は分からないぐらいの悪さである。
似たようなことをしている者はもっと多いに違いない。見つかるほうが運が悪いのだ。
根本郷の代官屋敷にいったん集められた年貢米は、数日とおかずやってきた札差商に証文と引き換えに引き取られて行った。それらの荷駄が通り過ぎるのを見送った大原の領民たちは、ようやくほっとしたように祭りの準備を開始した。
秋祭り。
いわゆる収穫祭である。
一年の間、耕作と手間仕事で働き続ける彼らにとって、祭りは貴重なストレス発散の場だった。
林家は大原郷の庄屋なので、祭りに供出される飲食物の多くを負担せねばならない。領民の慰撫という側面があるため、根本郷の代官屋敷からは神社に供える五穀と玉串、それとは別に一斗の米が贈られている。林家としても面子を保つためにはそれなりの物を出す必要があっただろう。
「これで何かをみつくろいなさい」
貞正様が着物箪笥の中から取り出した金子は一分金。
それは小判(1両)の4分の1の価値がある小型金貨で、大原郷のような田舎の農村でおいそれと目にするものではなかった。
金を渡されたのは次郎である。物がそろう商家は多治見でも下街道沿いの発展したあたり、池田町屋などに行かなければ見つけられない。貞正様が次郎を指名したのは、池田町屋に起居するその経験を買ってのものだろう。
だがそれは考えが甘かろう。
草太はその一分金を手の中で眺めている次郎の横顔を見るうちに断じる。
田舎では大金でも、街道沿いの旅人が多く通る界隈では相対的に価値が減じることだろう。次郎はまさしく、その一分金を見てまるで銅銭でも眺めるようにつまらなそうにしていた。
(あれを取るに足らない小銭だと考えてる人間に、この買い物は任すべきじゃない)
次郎が商店で、これが気に入ったと鯛の尾頭付き一匹を買ってホクホク顔で帰って来る光景が脳裏に浮かんだ。いや、それでも買い物してこれれば御の字、下手をしたら自分のツケを払って知らん顔してしまうかもしれない。
まさか5歳児にそんな心配をされているとも知らず、次郎はめんどくさそうに一分金を受け取ると、「こんなはした金でなに買えってんだ」とか危険なことを言っている。
だれか経済観念のしっかりした人間がついて行くべきだ。
草太はキョロキョロと見回すが、貞正様と大奥様。本来ならもっとも信頼できる二人であったが、当主自ら買い出しなどありえない。長男の太郎は『若旦那』と呼ばれている手前、買い出し要員たり得ないことは貞正様と条件的に似ている。
まあ妥当な人選をするなら、小者のゲンあたりに行かせたほうがよいのだろうが、それを貞正様が分からない理由がない。
(…経験を積ませようってか。でも次郎はすでに分家してしまっているし、いまさら経験を積ませるも何もないだろう。三郎よりはましだとしても、いまひとつ納得できないなぁ)
ぶつぶつとひとりごちている草太であったが、そのすぐあとに自分も貞正様に呼ばれて用を言いつけられた。
「おまえもついていくんだ。草太」
えーーーっ。
なんだよ、こんなおバカのお守りおしつけようってのかよ。
内心の不満が顔に出ていたのだろう。それを見取った次郎が
「父上ッ! なんでわざわざこんなガキ連れてかなきゃなんないんだよ! ただでさえめんどくさいってのに…」
それはこっちの台詞だっての。
足を蹴っ飛ばしてやりたくなったが、よく考えれば次郎の台詞はそれなりに当たり前の話で、客観性をもってこの状況を見れば、大変な買い出し仕事にわざわざ手のかかる5歳児を連れて行くというのはたしかに相当にめんどくさいことだろう。
共感すべきなのは次郎のほうだっただろう。
次郎のあからさまに面倒がってる顔を見て、それからそんな意味不明な指示を出した貞正さまのほうを見る。彼の視線に気付いた貞正様は、坐ったまま懐から一枚の紙を取り出して、ぴらぴらとしてみせた。
…ああ、なるほどね。
そういうことなら仕方がないだろう。
(しかし、あれはうかつだった…)
貞正様の手にあるのは、年貢米の帳簿付けのとき、彼が手慰みにまとめた簡単な確認表であった。
普通なら、江戸時代の縦書き文化に習い、納付者とその米俵の数が冗長な長文としてだらだらと書きつけられるわけだが、彼はそうすることが当たり前だろうとばかりに掛線で枠を作り、納付者欄と数量欄、それに役人がつける文句を書き止めるための備考欄。そんな簡単な表を横書きで用意した。
貰った筆が狼面筆(かなり細い字まで書ける)だったので、割と細かい字で書いてみた。
50組ほどの領民たちの名を縦に並べて、その横には同じく納付した米俵の数が書き加えられる。
数字の集計など、こうして縦に並べておけばいつだってできる。それよりも重要なのは、全体がひと目で分かる簡潔さであるだろう。地の文に数字を埋め込んでいくこの時代独特のやり方は、彼にとって非効率もはなはだしかった。
で。
その手慰みの確認表が、貞正様に没収されたときの記憶もなにげに新しい。
なるほど。
これは次郎を試すお遣いじゃなくって、このオレを試すための試験ってわけだ。
そういうことならいいだろう。ふてくされたように林家を出て行く次郎に遅れないように駆け出した。池田町屋にはまだ行ったことがない。この時代の庶民が気ままに他領へ移動できるのか自信がなかったので、彼の行動範囲は大原・根本の林家領内に留まっていたのだ。
「手をかけさせるんじゃないぞ」
彼のほうを見て、次郎はつっけんどんに言った。
言葉では突き離しているようで、実際には遅れないように歩幅を調整して歩いてくれていたりする。女にはだらしないが、性の悪い男ではない。
てっきり大原川沿いの御料地(幕府領)の街道を使うものと思っていたら、次郎はずんずんと大原郷の丘陵の連なりを踏み越え、最短ルートで池田町屋に向かうらしい。
道なき道をいく、という感じではない。人の暮らしがあれば、どこにだって道は出来るようで、こちらのほうがたしかに近道らしかった。
「草太。…あの煙が何か分かるか」
次郎が聞いてきた。
見ると、東の高根山(※注1)の山裾の反対側から、灰色の煙が盛んに上がっている。右手の多治見盆地の中心らしき開けた辺りには刈り取ったばかりの田んぼが広がり、秋の陽光を照らした土岐川(※注2)がきらきらと輝いている。後の世の多治見市街地であるが、いまはまだ人家もまばらである。
高根山で炭でも焼いているのかと考えたが、それは彼に答えを窮させたことで得意げになった次郎の言葉で否定された。
「いかに小知恵が回ろうと、しょせんは井の中の蛙ということよ。あれは美濃焼きの《窯》の煙よ…」
「窯…?」
「そうだ、あのあたりは丘が多いからな。窯を作るのにいい塩梅らしい」
《陶都多治見》…。
大原郷ではほとんどその片鱗さえ見えなかった美濃焼の確かな息吹が、空を白くけぶらせている。
煙の立ってるところは、じっさいけっこう距離が離れていそうで、高根山の山裾、ということはなさそうだった。
「あれはどこの窯なの?」
殊勝な態度で聞いてみる。
林家の秘蔵っ子にものを尋ねられて気を良くしたのか、次郎はえっへんとぱかりに胸を張って答えた。
「あれは『虎渓山(※注3)の窯』やろう」
草太はその立ち上る煙を、しばらく無心に眺め続けた。
(※注1)高根山:多治見盆地の中央付近にある単峰。標高は227m。
(※注2)土岐川:多治見盆地を貫流する川。愛知では庄内川の名で知られる。
(※注3)虎渓山:国宝虎渓山永保寺のある山の名。標高161.4m。
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