『陶都物語』





  第9章 『次郎の嫁』












  そうだった。
  いつの間に忘れていたんだろう。


  たしか虎渓山には、窯元がいくつかあったはずだ。
  この町がなにゆえ『陶都』を自称したのか。それは日本全国津々浦々の陶磁器生産地のなかにあっても頭ひとつ抜きん出たとの並々ならぬ自負ゆえである。
  美濃焼、と言えば、戦国時代の古田織部により創始されたとされる織部焼、シュガーシロップをかけたようなふくよかな白をまとう志野焼、そして『瀬戸』と名がつくけれども名産だと胸を張る黄瀬戸、瀬戸黒。たくさんの名品が生み出されてきた土地なのだ。窯がないはずはない。


  (一度で良いから、そんな時代を味わいたかったものだ)


  そんなことを思ったことがあった。
  まだ焼物産業がイケイケドンドンな時代に自分が生まれていたなら、なんだって出来たはずだ。
  美濃焼は庶民向け廉価品として市場にあふれ出し、一時代全国を席巻した。
  せっかく手にしたビッグチャンスを、明治時代当時の企業家たちは、国内での成功に拘泥するあまり寄り添って笑いかけていた女神の後ろ髪をするりと掴み損ねた。そうして過ぎ去ったチャンスは二度と戻らず、勃興する後進国勢力に世界のひのき舞台から引き摺り下ろされていった。
  なぜ美濃焼は敗退したのか。
  なぜ後進国の製品が台頭してきたのか。
  その歴史を知る彼には理由など明白である。
  それは、勢いに任せて資本家となった当時の陶磁器業者たちが、確たる経営戦略もなく上がる膨大な利益を空費したためだ。その当時なら湯水のように利益が出たはずだ。その金を生産力の拡大ばかりでなくマーケティングに、個人的な奢侈にでなくブランド化戦略に集中投下していれば、もっと違った未来図が目の前に拓けていたはずだ。
  彼は夢想した。
  自分の作った製品たちが、人々の賞賛を浴びて世界に飛び立っていく様を。
  わが社のロゴがそのまま高品質の証として、ぴかぴかに磨き上げられたショーケースにお宝のように陳列されることを。


  (なんで忘れていたんだ……せっかくその夢をかなえるチャンスを、神様か仏様かは知らんけれどありがたいことに与えてくれたんだ。それをやらなくてどうすんだよ!)


  草太は次郎の後について池田町屋の裏手にたどり着くまで、精神に与えられた衝撃をなんとか形にしようと思案に暮れていたが、


  「ここがオレの嫁の家だ。おまえは来るのは初めてだったな。いい機会だから、少し寄って挨拶していけ」




  池田町屋の裏通りには、草太の生家とどっこいの粗末な家々が、大原郷ではけっしてありえない密度で肩を寄せ合っている。


  隙間というよりはやはり裏道と呼んだほうがいいのだろう。人同士がやっとすれ違える程度の幅の道が、区画整理なにそれおいしいの的なカクカク感で続いている。足元には小さな水路が、ちょろちょろとけしてきれいではない生活排水を流している。


  もうひとつ向こうの区画に行けば下街道に面した宿場の様相を見せるのだろう。遠くたくさんの人声が上がっている。裏側は主に勝手口が集中し、女中が汚い水をたらいで捨てたり、洗濯ものを抱えて忙しく出入りしている。




  開いた勝手口から、濃密な生活臭が漂い出て、裏通りは独特の臭いで充満している。ある旅籠では魚を焼いているらしく、脂のこげる臭いが鼻についた。
  久しぶりに嗅いだ臭いだったので、思わずおなかがぐぅと鳴ってしまう。
  次郎が「嫁の家」と言って示したのは、壁土をベンガラで赤く染めた、小洒落た感じの旅籠だった。
  《木曽屋》という名だけ見れば、材木問屋のような旅籠である。
  次郎が中に入ると、立ち働いていた女中ふたりが、「若旦那様が帰ってきたって」「女将さん!」と、腹の底から響く大きな声をあげた。よく腹筋が鍛えられている。
  ひとりは強ぽっちゃり系、カメさん。もうひとりはガリガリ系で、出っ歯が愛嬌のイネさん。
  ふたりの顔が向いたほうに女将さんこと次郎の嫁がいるのだろう。勝手口を入ると、なかはどこも同じような造りなのか、広い土間と竈が並んでいる。ほんの少し酸味の利いたタクアンのような香りがしている。見れば、土間の奥に蓋の開いたままの大きな壺がある。自家製の漬物か何かだろうか。


  「あら、ウチの宿六がお帰りかい。…家事のひとつも手伝わずに好き勝手出歩いて、ほんといいご身分だこと」


  うわぁ。
  いきなりイヤミきました。
  長い廊下から顔を出したのは、時代劇の江戸の火消し『め組』の女将設定が発動したかと見紛う、つんつんした丸顔の女性だった。
  イケメンだから美人妻かと思ってた。悪かったな、次郎。
  木曽屋の若女将お勢は、旦那の胸倉をむんずと掴むと、何かを要求するように目から無線信号を発した。次郎は面白いようにそれに反応し、若干口元を引き攣らせながら、「オレはほんと果報者だ。こんなよく出来たかわいい嫁を貰って…」
  そんな棒読みで奥方の溜飲が下がるのかと突っ込みたくなったが、意外にお勢さんの反応は分かりやすく好転した。丸っこい顔をうっすらと赤らめて、やだよおまえさん! とかいってやるかやるかと思ってる前でほんとに旦那張っ倒したおしたよ。
  見えないとこで苦労してたんだな、次郎。


  「別にオレはあぶら売ってたわけじゃなくてな、大原の屋敷に呼び出されていてな……ほら、こいつが前話していた三郎のガキだ。あいさつしろ、ぼうず」


  背中を押されて、おずおずと前に出る。
  5歳でただでさえ身長がたらないのに、相手より低い土間に立っているものだから相当に見上げる格好になる。
  怖い鬼嫁かと思っていたら、彼を見る目はにこにこと笑っている。


  「ぼうや、名前は?」
  「草太」


  年齢相応の受け答えをイメージしながら相手を観察する。旦那には恐ろしいほどのイニシアチブを発揮するが、子供にはニコニコしてしまうタイプらしい。子供好きなら、こっちのものだな。


  「お年は何歳?」
  「いつつ」


  手の指で示してみる。
  とたんにぱぁっとお勢さんの顔が輝いて、伸びてきた手が草太の頭をごしごしと撫でた。予想外の力で頭を前後にゆすられて、思わずたたらを踏んでしまう。


  「あらあらあら、将来有望そうな坊やだこと! かぁわいいわね〜」


  ぐりぐりぐり。
  やめてくれ。ただでさえ伸びない身長が縮んじまう。
  お勢さんが、とりあえず上がってお茶でものんでいきな、茶菓子も出してやると誘ってくれたのだが、いま彼には祖父から与えられたミッションがある。


  「オレとこいつは、いまから店を見てまわらにゃならんから、茶はまたの機会にしてやってくれ」
  「お店?」
  「村の祭り用の食いもんを買わなきゃならんのだ。…おい、いくぞ」


  次郎の大きな手が、彼の発育不足な手を包みこむよりも早く。


  「買いもんぐらい、一刻もありゃあできるでしょ! ソウちゃん、おいしい落雁があるよ〜。食べたいよね?」
  「うん! 食べたい!」


  脇の下をホールドされて、彼の身体は軽々とお勢さんの腕の中に納まった。小さいとはいえ結構重いはずなのだが。
  ともかく、買い物も大事だが、この時代たいへん貴重な甘味をスルーするとは何事かといいたい。前世では落雁? あのチョークみたいな奴? 的な存在だったが、甘みの乏しいこの時代では、あの和三盆の柔らかな甘みがまた格別のものとして大人気であった。
  突然おねだり子供モードに突入している彼の姿に、次郎がうろんげな眼差しを投げてくる。
  おまえ、こんなキャラだったっけ?
  言いたいことは分かるが、いまはあえて耳をふさぐ。田舎の子供は甘味に飢えているのだ。








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